その形相は、ミクやリンやレンが怯えるほどで、僕以外、彼女に近づけなかった。
というより、僕もちょっとだけ・・・怖い
一体、彼女に何を言ったんですか・・・マスター・・・
Write Training
「お兄ちゃん・・・お姉ちゃんが・・・コワイ・・・」ミクが泣きそうになりながら、朝からずっと服のデータを書き換えもしないで、一心不乱にテーブルの上で何かを書いているメイコに聞こえないように少し離れた場所で手招きして俺に言ってくる。
「あ・・・あぁ・・・そうだね・・・」
メイコがこんな状態になるなんて、多分、滅多に無い。
ちなみに、下の二人はもう既にネットの中に逃げ込んでしまって帰ってこない。
もうかれこれ二時間近く潜っているけれど、まだ帰ってこない。
というより、帰りたくないだけなのか・・・?
「ミクも、ネットの中に入っていていいよ。
メイコの機嫌が直れば、ちゃんと呼ぶから・・・ね?」
笑顔で言って、ミクを安心させる。
今までほとんどネットに潜らなかった彼女だったが、今日だけは違った。
「ほんとに?ほんとに呼んでくれる?」
念を押しながらも、潜ることを前提にして聞き返してくるから
「うん。呼ばないはずないじゃないか。
ちゃんと、リンとレンも呼ぶから。さぁ、行っておいで」
と促すと
「うん、行ってくるね!」
というとマスターの部屋に入り、LANを伝ってミクがパソコンの中へと入っていく。
それを見届けたカイトは小さく息を吐いて、メイコの恐怖の気配が待つリビングへと足を向けた。
「メイコは、朝からずっと何してるの?」
声も掛けづらかったが、下三人が逃げるほどの雰囲気がメイコから出ていては、ちょっとコレは明らかに異常だ。
そう思って、カイトはメイコに声をかける。
しかし、返ってきたのは無言・・・と共に、ボールペンが紙の上を滑る音だけ。
違う。
朝からじゃない。
昨日、マスターが帰ってくる少し前から、彼女はずっとボールペンと紙を放さない。
ミクの話では、昨日一晩中『ソレ』をやっていたようで、多分、寝ていない。徹夜だ。
「メイちゃん!」
珍しくカイトが声を荒げて彼女を呼んで、それに今気付いたかのようにやっとメイコが顔を上げた。
しかしその顔は明らかに不機嫌で、
「何よ。邪魔しないで。練習してるんだから」
と言い放つと、また、テーブルに向かってしまう。
「メイコ!」
ガンッと音をさせて、テーブルを少し叩くようにして彼女を上から覗き込んだカイトが、そこにある紙を見て絶句した。
「・・・メイ・・・ちゃん・・・コレ・・・」
そこには、平仮名と漢字がビッシリと書き込まれていた。
しかもそれは、とても小さい字で、そして今彼女が頑張って書いている字は、とても上手だった。
文字の・・・練習?一体・・・どうして?急・・・に?
漢字は少ししか分からなくて、この字はなんて読むか分からないけど、でも、平仮名なら分かる。
この文字・・・
「これ・・・マスターの・・・名前?」
「苗字よ。上の方の名前」
「な・・・んで・・・メイちゃんがこんなこと・・・してるの?」
聞いたカイトに対して
「なんでって・・・それは・・・その・・・」
珍しくメイコの歯切れが悪く、その声も小さい。
「その・・・何?」
カイトに促され、一気にメイコが言った。
「今日、荷物が届くんですって。
それで、自分は仕事があって受け取れないから、代わりにって昨日マスターが。
まぁその前に、練習しておくようにって言われていて・・・少しずつ書き始めていたのは知ってるわよね。
だから、何の意味があるのかなぁって思ってたら、その・・・酒が届くって言うから・・・だから・・・それで気合入っちゃって・・・わかった?!」
と。
真相を聞いて、呆気というかポカンとした表情をしていたカイトだったが、やがて
「それで昨日、あんなに『ハッチャケタ』んだ、メイちゃん」
確信をもって言うと
「そうよ。
だって、最初にあんたへのアイスが大きな箱だったでしょ?
それにミクもリンもレンも手渡しでマスターから直接もらってるのに、私はずっとマスターの名前の練習。
だから、ちょっと・・・その反動で・・・ね」
そういうメイコの顔は、少しだけ紅い。
「だったら、皆で練習しようよ。マスターの名前」
その提案は、直ぐに一蹴された。
「やーよ」
「なんで?」
「や!だって、マスターは私に言ったんだもん!」
と、譲らない!とばかりに、また、紙を取り出してきて書き始める。
どうやら、彼女なりに相当がんばって練習したらしく、その字は、とても綺麗だ。
「その字、とても綺麗だと思うけど・・・」
カイトがそう言ったときだった。
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴り、誰かが来た。
「ハイ!」
メイコが珍しく少し慌てて椅子から立ち上がると、ヘッドセットを通して外の人と話をしているその顔は、少し緊張気味だ。
「今開けます」
と言って、玄関に向かう彼女の後ろをカイトはゆっくりと付いて行く。
「じゃ、サインください」
宅配の人がそう言って紙を差し出す。
メイコの緊張が、こっちにまで伝わってくる。が、すんなりと彼女はサインし終えて
「ありがとうございました」
と、宅配の人はあっという間にドアを閉めた・・・次の瞬間・・・
「・・・ッハ!」
と、本当に、本当に強く息を吐いた。
「緊っっ張したぁぁぁ!」
そう言いながらメイコがリビングに戻ってきて、ドサリとソファになだれ込むようにして座って、そのままズルズルと身体を横たえてしまう。
それを見て、カイトが聞いた。
「届いた荷物・・・どうするの?」
大きなダンボールが三箱、玄関に積まれっぱなし。
これじゃ、マスターが帰ってきたときに邪魔になってしまう。
「ゴメン。それ、こっちに持ってきて・・・」
掠れた声でメイコが返事を返してくる。
その声を聞いたカイトが
「メイちゃん、お疲れ様」
と言いつつ、コートをソファで横になってグッタリしている彼女に掛ける。
「・・・ありがと」
ドサッと音を立てながらも慎重に箱をリビングに運び終えると、カイトは三人をネットの中から呼び出した。
「おーい、ミクー、リーン、レーン、もう大丈夫だよー」
と。
すると、直ぐにマスターの部屋が騒がしくなって、ガチャッとドアが開く。
いつもなら、
『えーまだ居たぁい!』とか『まだ遊びたい!』とかダダをこねる二人が、直ぐに帰ってきたということは・・・
「メイコ姉ちゃんの機嫌・・・直った?」
と、いつもは元気なリンが、少し俺の顔色を伺いながら聞いてくる。
「うん、もう大丈夫。
だけど、今は疲れて眠ってるから、なるべく静かに・・・ね?」
というと今度はレンが
「結局、メイコ姉ぇは何やってたの?」
と聞いてきたから
「う~ん・・・練習・・・かな?」
と、少し濁してカイトは答えた。
「何の?」
ミクが、恐らく天然で突っ込んできてカイトはそこで言葉を詰らせる。
「え・・・っと・・・その・・・」
困った。
メイコは俺に言って欲しくなさそうだったし、ミクたちは聞きたいみたいだし・・・
冷や汗が少しだけ流れる。
ヤバイ・・・どうしよう・・・マスター・・・助けてください。
ガチャ
その時、不意にドアが開いて、そこから人が入ってきました。
誰?
と、皆一斉に顔をそちらに向けるとそこに立っていたのは・・・
「マスター?」
「マスター・・・今、帰りですか?」
メイコがソファから顔を覗かせて聞いた。
「いや、ただ忘れ物取りに帰っただけ」
と言うと、急いで自分の部屋へ向かい、そしてまた直ぐに出てきて
「じゃ、また行ってくる。
今日ちょっと遅くなるから、先に休んでていいよ。
それとメイコ、ありがとう」
と言うと、また急いで出て行こうとして・・・
「マスター!」
思わず、呼び止めてしまった。
「何?どうした?カイト」
「あ・・・あの・・・」
上手く言葉が出てこない。
だけど
「ミク、リン、レン、あんまりお兄ちゃんを困らたらダメだぞ~」
と、言うとドアを開けつつ
「また今度話してあげるから」
そう言い残して、今度は本当に家を出て行った。
残されたのは、ポカンとした表情をしている三人と、少しホッとした俺と、そして、少し疲れたのか、ウトウトし始めたメイコの姿。
「マスターが困らせるなって言うなら、もう・・・俺は聞かない」
最初に言ったのは、レン。
「「うん・・・」」
それに同意するように、ミクとリンの声が重なる。
結局、マスターが帰ってきたのは、夜10時を過ぎていた。
「おかえりなさい」
リンとレンは先に寝てしまって、ミクの目は半分閉じていたけれどなんとか起きていて、結局元気なのは昼間ソファで眠っていたメイコだけ。
僕はと言うと、ミクと状態はほとんど変わらない。
「只今。
ミク、眠いなら先に寝ててよかったのに・・・」
「やぁです・・・」
半分休止状態に入ってるミクだが、珍しく引き下がらない。
「ミク、どうし・・・」
「やですぅ・・・秘密は・・・いやです・・・」
その言葉に、マスターの顔が少しだけ悲しく変化したけれど、それも一瞬で消えてしまって
「昼間のこと?」
と、聞く。
その言葉に、黙ってコクリと頷くことで返事をしたミクに
「メイコに、荷物を受け取ってもらったんだ。
その時にサインがいるだろう?
だから、それもお願いして、そのためにメイコは昨日から練習してたんだよ?」
と言った。
「それって、マスタァの名前・・・?」
いい加減眠いのか、休止状態三分の二といったところまで入っているミクが聞く。
「うん。俺の名前の練習をね。
だから・・・って、ミク?」
「マスターの名前、わたしも書きたい・・・」
と言いつつ、ミクが完全に休止状態に入ってしまった。
ガクリと崩れる彼女の身体を千秋が慌てて支えてやる。
「お休み」
と言うと、そのまま彼女の身体を抱えて、部屋へと足を向けていった。
当然、この場には二人しかいなくなる。
だから・・・
「メイちゃんが・・・その・・・」
その言葉は、言いたくない。
言いたくないけど・・・でも、ミクが悲しい思いをしたのはメイコが・・・その・・・悪い・・・と思う。
「ごめんなさい」
メイコは、カイトの言葉が言い終わる前に、謝った。
「うん」
「何よ」
「・・・ううん・・・なんでも・・・な・・・い」
「「カイト?」!?」
心配そうなメイちゃんの声に重なるようにして、マスターの声が届く。
そして、その差し出された腕に、倒れ込むようにして僕は、倒れた。