「話し、あるんやけど」
夏の大会が終わり、三年が引退してしばらくした頃、彼のマンションの前にその男は立っていた。
「なんの用だ、忍足侑士」
容赦のない言葉が忍足を刺すように放たれる。
――わかってたことや。容赦ない、聞いた通り、まんまやな
わずかに起こった動揺を忍足はいつもの通り隠す。
「自分は話すことなんて無い、ってか?」
「……」
「絡みや。わかるやろ」
なんの感慨もわかない手塚の表情が、忍足の言葉でわずかに変化した。
「わかった」
Sky Lord
01.The boys' resolve
「なんであんなことしたん」
手塚の持っていた合鍵を使って中に入り、家主不在の中、リビングに向かい合って座って話を切り出したのは忍足の方だった。
「なんのことだ」
「の背中に名前、刻んだんあんたやろ」
「AIRLESSか」
察した手塚が吐き捨てるように言う。
が目の前に座る忍足侑士に、手塚の話をしたということは、名前絡みであることの証明でもあるからだ。
でなければ、一切話さないだろうという確信が手塚の中にある。
の時がそうだった。
同学年としては少し幼さを残した耳付きの転校生、を、危険だと言われるタイの闇の町、ロアナプラというところに、半ば強引に連れて行ったのだ。
自分を理解させるために。
そして帰ってきたの耳は落ちていた。
それを空港で見た手塚は珍しく内心だけで動揺したのだが、の説明で納得したのは記憶に新しい。
その『出張』は、表向きには来年の修学旅行の視察、という扱いになっていたのは、恐らくが改ざんしたのだろうことも。
「せやな。俺に移ったらしいから、ある程度は話してくれたで。あんたがおらん間に墓参りにも行ったしな」
忍足の言う『墓参り』が何なのか心の底の方で気になった手塚だが、恐らくと同じように、目の前に座る忍足に自分を理解させるために彼が行動したのだろう、ということだ。
そして、それらの理解を一切表に出さずAIRLESSの別名を告げる。
「あれはNoSignだ。本当の名前じゃない」
「それでも俺のや」
「違うな、誰のものでもない。仮初の名前だ。が、俺の名前は違う」
忍足の名前を否定すると同時に、自分の名前を肯定する。
「だからに刻んだんか」
「そうだ」
「あの刀傷、負わせた上でやろ。よーやるわ」
嫌悪と軽蔑と冷静さが混ざり合った目で忍足は手塚を見る。
「それ程強く願わないと、あの人は手に入らない」
沈黙が下りた。
その沈黙を破ったのは、忍足の方だった。
「なんで飛び出したんや」
「お前に答える必要はない」
厳しい答えを手塚が返す。
「……」
忍足の表情が険しくなるのが、客観的に見ても明らかだった。
「珍しく熱くなってるな。忍足侑士」
「あんたがに傷負わせたからな。当然や」
「だから俺は、あの人の一生を背負うつもりだ」
「好き嫌いは一時的やけど支配は一生、って奴か」
「違うな。支配は本当のサクリファイスがやる以上、俺は、ただあの人の感情を預かるだけだ」
「感情を預かる?」
「そうだ。俺は『MERCILESS』だからな。心を、感情を預かれる。だがお前はあの人の何を預かれる?」
「……」
答えない忍足に、手塚がAIRLESSの本当の意味をかみ砕いて説明する。
「AIRLESS、空気がない故に相手に言葉が届かない名前、『NoSign』を以て、何ができるんだ」
「AIRLESSって、そういう意味か」
「そうだ」
だから移ろう名前だと言われ、捕らえた者は誰もいない。
今はがその支配枠に組み込んでいるが、釣り合わなければ相手に届かず消えてしまう。
故に『NoSign』なのだと、手塚は告げる。
だがすぐに忍足は答えを返した。
「空気がなくて言葉が届かんのなら、傍におればえぇ。真空でも光は捉えられる。むしろ光の方が速いからそっちのほうがえぇかもな」
「……」
手塚は答えず、まっすぐ射貫くように忍足を見る。
「言葉が届かんくても通じる仲になればえぇ。それが俺のやり方や」
「なるほど」
そして、今度は忍足の方から仕掛けた。
話の主導権を握るために。
「悪いけど、俺はで耳落とすで」
それは忍足から手塚への宣戦布告に近い言葉。
耳を落とす、という行為はまさにセックスを意味するからだ。
だからが耳を落として帰ってきたとき手塚は内心焦ったのだが。
「なんだと」
手塚の表情が厳しくなる。
「あんたが感情預かるなら、俺はの身体、預かったる」
「ダメだ」
「決めるのはや。お前やない」
の両翼であるサクリファイス同士が戦っても無意味なのは二人とも百も承知だが、それでも舌戦は出来るし、必要なら拳でもやり合える。
だが意外なことを手塚が答えた。
「耳落としが本来の意味なら、忍足。先に譲ってもいい」
「なんやて?」
「先に譲ってもいい。そう言った」
「なんでや。理由あるんやろ?」
なんとなく想像したが、それ以上の答えが手塚から返ってきた。
「グズグズになったあの人を抱くのも面白いと思った。それだけだ」
「……それはそれでエロいけど、それって見てるってことか」
「そうだな」
そして、話は終わりとばかりに、忍足が再度切り出した。
「見てる云々は置いといて。今日、あんたと話せて良かったわ」
「俺もだ」
「せやけど俺は、を傷つけたあんたを許さんで」
「俺も、許してもらう必要はない」
「じゃ、のこと、ゆず……」
どさくさに紛れた忍足の言葉を打ち消すように、手塚が続きの言葉を自分のものとして強引に引き継ぐ。
「愛してる」
「譲る気はないってか」
「当然だ」
そう答える手塚の顔に、不敵な笑みが浮かんでいた。
アトガキ
2025/09/30 up
管理人 芥屋 芥