「ヤダ……」
 下を向いたままのカイトを覗き込むの目が、不安に揺れる視線を捉える。
「どうした?」
 不安なのは理解できた。
 しかし、何が不安なのか。
 いや、まぁ確かに最近忙しくて構ってやれなかったけ……ど?
 考えていると、手が伸びてきて顎を持ち上げられカイトの顔が間近になった。
「ッ?!」
 驚いて硬直している一瞬の隙に、カイトは壁際に体を寄せそのままの背中を押し付ける。
「マスター、ヤダ……」
 耳元で囁くように言いつつ抱きついて唇を掠めるように奪う。
 驚いてるの頭を抱いて、そのまま髪の中に手を差し込んで更に引き寄せる。
「カイッ……?!」
 汗の匂いを確かめるようにして、そのままゆっくりと首筋に舌を這わせて下りていく。
 際どいところに髪が当たって思わず制止の声が出た。
「こら、ヤメロ」
「ヤダッ!」
 噛み付くように肩に唇を当ててきたカイトに、の体がかすかに揺れる。
「ッ?!」
 思わず息を呑んだの体が強張るのを感じてカイトは更に舌を這わせる。
 震える体に
「まだ、居るんですか」
 と妙に冷静な声で静かに問いかけ、カイトはの答えを待つ。その間に、シャツの中に手を入れて背中から肩に触れソッと傷跡に沿ってゆっくりと触れながら下げていく。
 そんなカイトの行動に、の体が大きく揺れた。
「……違……ッ?!」
 反論しようとするその唇に、今度は噛み付くように押し付けるその一瞬、僅かにがタイミングをずらしたのを感じ取り、カイトは思った。
 あぁ、まだ僕はキスが下手だ、と。
 中々人のようにはいかないなと思う。
 だがタイミングをずらしたのは無意識だったのだろう。
 の中で対処が間に合わなかったのか、間近で見るその表情はとても驚いた顔をしていた。
 そして呼吸というものを考え、苦しくさせないようにソッと唇を離すと、のかすかな吐息をカイトの耳が拾う。
 続けてしようとするカイトを、はカイトの頬に左手を置いて、片手一つで制止した。
「違……って言ってる。ただ傷跡は感じやすいって言いたかったんだ。後、俺はお前が思うほど囚われてるわけじゃない。ただ、あの時は、久しぶりに思い出しただけだから、な」
 ただ感傷に浸っただけだ。と僅かに顔を赤らめてが言う。
 カイトにとっては言い訳にしか聞こえないが、それでも『もう大丈夫だから』と安心させるように言ってソッと頬に唇を寄せてきた。
 そんな行動はずるいとカイトは思う。
 全くの予想外だ。
 そしてそのままズルズルと膝が折れていく。
「マスター……熱……」
 力の抜けたカイトは、の腰に腕を回して懸命に体を支えるので精一杯だ。
 想定された未来に干渉できない不安と、想定外の熱でどうにかなりそう。
 そんなカイトの様子にが呼びかける。 
「さっきから、一体どうしたんだお前」
 妙なところで鈍感なの胸に顔を押し付けて首を左右に動かす。
 消される未来を、不安に思っているんです。だなんて言えない。
 そして『消去』に関しては、あくまでマスター側に全権があるので干渉できなくて不安なんです。だなんて言葉はもっと言えない。
「なんでも、ありません」
 腰に回した腕に力を込めて言うと、頭に手が置かれ優しく撫でられる。
 その、少し骨ぼったい手で触れられると、とても嬉しく思う。
 そして僕は、この手が、好き……『だった』
花雪が足を押戻し
 頭に触れている手を、腰に回していた手を解いて捉えるとそのまま手のひらに唇を寄せる。
 片方の腕はそのまま背中に回したまま。
 そしては、そんなカイトの動きを制止することなく、ただ黙ってされるままにしていた。
 彼が何を考えているのか、その表情からは分からない。
 ただ、この人にヒテイされないことが、とても嬉しいと思う。
 単純。
 そう、単純だ。
 ゼロとイチの存在。
 人の命令を聞くモノ。
 感情は数列螺旋、行動は規定路線。
 なのにその先に手を伸ばしたいという欲。
「なぁカイト」
 おもむろに口を開いたの顔を、下から覗き込むようにして見た。
「なんですかマスター」
 問いかけると、遠慮がちにが答えた。
「俺、風呂に入りたいんだけど、いいかな」
 その言葉を聞いてカイトは、さっきまで彼が何をしていたのか思い浮かべる。
 あぁ、そうか。
 そう言えばさっき、何かしてましたっけ。
 でもアレ、一体何をしていたのですか?
 疑問に感じ、問いかける。
「マスターは、さっきまで何をしていたのですか?」
 考えてみればこの部屋は、この家にあるいわゆる『普通の部屋』じゃなさそうだが。
 それに床のない、下に続くぽっかり空いた空間のことも気になる、といえば気になる。
「あー……ロッククライミングという、趣味を兼ねた運動だよ。この後……まぁいいや」
 言いかけて止めたところを見ると、どうやらこの後も続ける予定だったらしいことが伺えた。
 どうやら、自分が彼の邪魔をしてしまったようだとカイトは表情を暗くする。
 それを見たは、カイト安心させるようにして彼の頭を優しく撫で
「という訳で、風呂に入ってもいいかな。カイト君?」
 と言って許可を求めてきた。
 思いもかけない言葉だと思う。
 少なくとも機械にとって。
 そしてカイトはそれに、ゼロと答えた。
「マスターの汗の匂い、僕、好きですよ?」
 立ち上がって彼の肩口に顔を寄せると、やはり体が小さく震えたのが分かる。
 そこに唇をソッと落とすと、が口調をなるべく平静にしようとして失敗した、そんな微妙なニュアンスを含んだ声音でカイトに言う。
「それ、って、汗臭いって言わない?」
「汗の匂い、マスターの匂いです」
 言いながら、肩口に唇を今度はハッキリと押し付ける。
「……ッ!?」
 そして、腰に回していた手を再びシャツの中に入れそのまま傷跡に沿って、今度はゆっくりと、何かを確かめるようにして触れていく。
 なぜかこうしたいと、カイトは思った。
 そして、手に直接触れる彼の体が震えてるのが分かる。
 それにしても何故されるがままなのか、その理由をカイトは知っている。
 この人が本気で抵抗すれば、自分など簡単に壊れてしまうだろう。
――でも、それが分かってて付け入る僕は、きっと卑怯なんでしょうね。
 電子が、別経路を辿って何かに至る。
 だが、それをカイトが知覚することはなかった。




 やがて力が抜け、しゃがみこむを追いかけてカイトが膝を折る。
「マスター?」
 問いかけて、彼の顔が真っ赤になっているのをカイトは見た。
「マスターかわいい」
 それは本当。
 本当のところ、どれが本当かなんて分からないけれど、デフォルト以外の文章を言うときは、カイトは本当だと思うことにしている。
「男に、可愛いって言っても、何にも出なっ」
 僅かに息を上げながらが反論するの遮るようにして唇を奪う。
 本気で抵抗しないの、既に半分くらいまでたくし上がったシャツを一気にずり上げ
「腕、上げて?」
 と唇を離し耳元で強請る。
「……ッ」
 答えにならない声を上げ、顔を真っ赤にさせながらもはのろのろと腕を動かしシャツを脱がせるカイトに協力する。
 その上で、
「煽ったんなら、責任、取れ」
 と言う。
 その言葉にカイトは、笑顔で『イチ』を選んだ。
「はい」
 と。





 熱を帯びた空気が周囲に漂い、伸ばす腕に腕を絡めてカイトはを追い上げる。
 ウォーキングクローゼットのドアに背中を押し付けると、ドアがグラリと不安定に微かに揺れた。
 そしてカイトの体の下で息を乱し、何かを耐える表情をしているの髪の毛に触れ、上を向かせてそのまま唇を落とす。
 今度のタイミングはずらされることなく、そのまま深く貪るように舌を入れてカイトは中の歯をゆっくりとなぞっていった。
「っん……」
 合間漏れる声にゾクリとする。
 息を吸うとき、微かに濡れているような音がするのはきっと気のせいじゃない。
「はぁ……マスター、中……」
 大きく息を吐いて呼びかけ、続きの言葉は囁くように耳の中で尋ねる。
「……」
 だがはそれには答えず、眉をひそめて微かに頷く。
 皮膚を指で撫でながらゆっくりと降ろしていく。
 じれったいまでの穏やかさで動くカイトに、が耳まで真っ赤にして言う。
「するなら、早くしろ。バカ」
 その言葉を聞いて、カイトは少しだけ悲しくなった。
 だけどやらないわけにはいかない。
 そう思いなおして、指を動かした。 
「マスター、ほら」
「なッ……?!」
 続きの言葉をカイトがの口に指を中に入れて遮った。
「っは、んッ」
「噛まないで下さいね」
 と微笑を浮かべて告げるカイトを、は一瞬濡れた目で睨んだがすぐに視線を指に落として舐め上げていく。
――あぁ、やっぱり気持ちいい
 指は、感じるところなのだという。
 カイトが煽ったとは言うが、煽りかえしているのは間違いなくだとカイトは思う。
「……ん」
 小さな声を立ててがその手を引っ張り、口に入れていた指を中から出した。
「も……いい」
 吐息とともに終わりの言葉がの口から出る。
 やはりこういう場面においても、彼は理性を手放すことはしない。
 予想外のことに焦ることはあっても、それでも理性は手放さない。
 どこまでも冷静で隙がない。
 しかしそれは、この人が慣れているから……
 チクリと痛い現実がカイトの回路の中を走る。
 それを打ち消すように、カイトはの口の中で濡らした指を中に入れてゆっくり広げていった。





「ッ!?」
 熱い。
 どうしようもなく熱いと、平静には思う。
 そして今日のカイトは執拗だと思った。
 いつもなら肩口に触れることはしても、痕に沿って撫でたりはしない。
 それに少しワガママになっているようにも感じられて、は戸惑う。
 何があった?
 尋ねたが、なんでもないというカイトの答え。
 それを追及しようとしたら、手を掴んでそれを止められた。
 明らかに様子が変なことは分かる。
 だが妙なところで鈍感なは、
――確かに先週、あまり構ってやれなかったが……
 くらいしか思いつかない。だが気になる言葉を思い出した。
――そう、言えば、何かあるんですか? って聞いてこなかったか?
 熱を持った頭で考えながらは、賢明にカイトの言葉を思い出していた。
 そしてその言葉の後に涙を流したことも。
――まさか……?
 しかしその可能性がない訳ではないことに気づいたその瞬間、カイトが唇を寄せてキスしてきたので顔を背けて逃れると、その耳元に寄せて尋ねた。
「お前が、何を不安に思ってるか、何となく、分かった気がする」
 途切れそうになる声を賢明につなげてが言う。
 そして言ってから思う。
――行為の最中に無粋だとは思うけど……な
 確かに相手が人ならは言わなかっただろう。
 だが相手はカイトだ。
 不安が先に生まれているのなら、カイトの場合、それを先に取ることが重要だと思った。
「マスター?」
 僅かに驚いた様子のカイトを見て、は自分の中で確信を得たように思えた。
「何で分かった」
 観念したように告げる。
 自分が迷っていることを何故知った? と。
「だってさっきまでマスターの声硬かったし、ここ数日ずっと様子も変でしたから」
 それくらい、分かります。
 最後の言葉は耳元で言ってカイトは、の顔を見ないようにした。
 どんな顔をしているのか、見るのが怖い。
 そして耳元で
「実のところ、どうしようか迷ってる」
 と、わざと主語を外して言うの言葉をカイトは聞いた。
「……そう、ですか」
 しかしそれ以上の干渉は許されていない。
 顔を暗くして答えるカイトに、が問いかけた。
「お前は、どうされたい?」
 しかしカイトはゆっくりと首を振る。 
 どうしてマスターはそんなことを聞いてくるのだろう。
 言葉にならない疑問が浮かぶ。
――もしかして迷ってるんですか? でも僕にはそんな権利、ないんです。そう。無い(ゼロ)んです。
 ゼロのエラーコードがカイトの中に走る。
 エラーの果てにあるのは不具合。
 そして破損。
 もっとも、その前に強制終了が入るけれど。
 だから
「分かりません。ただ僕は、あなたの意思決定に干渉できません」
 笑顔で言うカイトだが、その顔はどこか泣きそうだった。
 真っ白な自分の未来。
 右に行くのも左に行くのも、立ち止まるのさえこの人の意思だ。
 そして消えるのも。
 分かってる。
 だから……
「マスター」
 呼びかけると、視線で返事が返ってくる。
 その視線を受けて、カイトが
「あなたの中に、僕を残していいですか?」
 と聞いた。
アトガキ
VOCALOID KAITO夢
花雪04
2011/02/21
管理人 芥屋 芥