それからのカイトは、に触れることを隠さなくなった。
といっても、何時でも何処でも誰が見ている場所でも堂々と触れてくるといったことではなく、誰も見てないことを確認してから指に腕に肩に腰にソッと手を伸ばして軽く触れる程度なのだが、それでも時には服を引っ張って触れてくるようになった。
たまに眠ってるときに気配を感じて目を開けると電気も消し、薄暗いはずの部屋の中で目の前の視界が青だったりするわけで、彼が自分を見下ろしていることが理解できた。
――眠れないだろう、このバカ。
と言うと嬉しそうに笑って「僕、嬉しいんです」と言うのだ。
こんな、真綿で首をしめるようなやり方の対処は学んでない。
だから、つい逃げてしまう。
「ダメ」
「やだ」
と静かな言い合いの間にはゴソゴソと、布団と共にカイトから逃げるように体を少しだけ彼から離した。
蒼焔、心影に立つ
あれ以来、カイトはの言葉を拒否するようになった。かと言って「いいよ」と言えばそこだけ素直に受け取るようになったのだ。このバカは。
「やだ、じゃない。お前いい加減にしないと、ほんとにアンインスト……」
「ダメですよ、マスター。そんなことするの」
頑なに消去を拒むこの強情さ。
普段他の兄弟達にイジラレときには冷たい目で見られる彼の性格からは考えられないほどのドッシリとした何かがある彼は、確かにメイコよりも誰よりも強情なのかもしれない。
そう思い、彼女にそれとなく聞いてみると平然と「そうだ」と言ったのだ。
――あー。確かにカイトは私よりも強情なところがあるかもね。
酒を片手にそう言われてしまえば、そうなのかと。そこはメイコも認めるところなのかと、その場はあっさり引き下がるしかなかった。
「マスター?」
そんな考え事をしていたに対して上から覆い被さるようにしてジッと見下ろして尋ねてきたカイトの目。
お前、なんて目してるんだ。
正直そう思わずにはいられなかった。
「見るなよ」
視線を外してカイトに言うと、首を横に振って拒否を示してくるから本当に壊してやろうかととも思う。
しかしそれが実行できるハズもなく。
そうしないこと。それが愛着というものなのだろうか?
と自問してみるが答えなんて出るはずもなかった。
こんな心をモノに持ったことは無かったから、ちょっと……戸惑ってる。
いつかは人も物も、そして想いさえもいずれは消えると、そう思っているから。
「ダメですよ」
そんな迷いを見抜いたのか、カイトが動いた。
「それこそダメだって。明日早いんだッ」
直接触れてきた冷たい手の感触に、言葉が詰る。
「だから今日は、触れるだけ我慢します。でも明後日は、学校休みですよね」
確認してきたカイトに、が首を振って否定する。
「土曜日の午前中は家に居ない。その後ここに人が集まって練習するからって、今日晩飯食った後言ったろ」
もしその言葉を記録していなのなら、コレ幸いに彼を修理に出せる。
この時なぜか、彼の故障を期待した。
自分で壊したくないのか。だけどそんな綺麗事が言えるような人間か?俺が?
と、心のどこかで声がする。
「じゃ、確認だけでもさせてください」
ソッと手が動いてそこに触れた瞬間の体が跳ねる。
「……ッ!?」
痺れが左半身に走って、体が竦む。
そんな自分の様子を、別の思考でもって冷静に判断すると相当深刻だったようだなと判断できた。
こりゃ、ちゃんと向き合わないとマズイか?
そう思えるほどに。
今更逃げるなんてことは年齢が許すはずもなく。かと言って、精神科……あぁ、今は心療内科っていうんだっけかに今更通うのもなーなどと考えていると、目の前にカイトの青い瞳があって思わず驚きの声を上げる。
「っわ」
「マスター、ちゃんと話聞いてます?」
「ごめん聞いてなかった。何?」
聞いていなかったとここは素直には認めることにした。
ここで意地を張っても何の得にもならないし、第一張る理由がなかったから。
「まだ、居るんですね」
誰がとは言わなかった。だけど、自分の反応でわかったのだろう。
「……かな」
居ると確信したときのカイトの顔は、とても悲しそうだったがそれも一瞬で変わる。
「しぶといですね、その人」
スッと、首筋から肩にかけての体に触れるか触れないかの距離で移動していくその手を気配だけで追いかけて、そして無意識に震えだす体を抑え込むのには必死だった。
「マスターの体だけじゃ飽き足らず、その心の深いところまで傷つけて。とても、欲張りな人ですよね」
お前が居なかったら、そのままだったんだけどな。
の言葉は、何故か言えなかった。
「でも、僕が居なかったらマスターのその傷はそのままだった。ねぇ、マスターにとって僕の存在はどんな感じなんですか?」
さっきが思ったことそのままの言葉がカイトの口から出る。
そのことに驚いていると、首筋に触れていたカイトの指がゆっくりと顎の方へといつの間にか移動していて、やがてゆっくりと掴んで上向かせ、無理矢理視線を合わせられた。
欲が浮かんでいる視線は、昔から苦手だ。
そういった思いから、今のカイトとは目を合わせたくない。
その視線から逃れるようにはゆっくりと瞬きをすると、浮かんできたのは『本職』の同僚の言葉だった。
――地上に、想う人は絶対居た方がいいって。じゃないと、本当に空に連れて行かれるよ?
うるさい。
――本当に、空に突っ込む戦い方するのヤメテクレよな。レーダーで追ってる方がハラハラするぜ。
あーあ、余計なお節介だよ。
――あのKAITOが原因かい?
レオン?
そういやレオンにも言われたなぁ。あの後、飛び方が変わったって。
だけど、それがカイトと何の関わりがあるんだ?
連れて行ったのはあの時が最初で、それ以後はないのに。
関係ない。
そう否定するが、疑問は大きくなっていく。
――本当に?
ウルサイ。
そんな心の迷いを振り払うように、は思い切ったように声を発した。
「どんな感じでも、それがお前に何か関係があるの?」

一度言ってしまえば取り返しがつかない言葉。
だけど、はあえて言う事にした。
彼らは『ニンゲン』じゃない。それにいい加減割り切らないとダメだと思ったから。
伸ばされた手を振り払うのはこれまでも行ってきたじゃないか。
おまけに彼らは人ではない。だから、平気だ。
そしてその言葉を聞いた瞬間、カイトの顔から表情が消える。
そして気付いた。
これじゃ、ただの八つ当たりだ、と。
 
 
 
気まずい空気が部屋に降りる。
「……ごめんなさい」
先に謝ったのは、その沈黙に耐えられなかったのだろうカイトだった。
やがて彼はから体を離して、ベッドから降りようとする。
その後ろから、は声を……
「謝んなくていいから」
頭は声をかけるべきか、それとも黙っているべきかを迷っているハズなのに、言葉が口をついて出る。
「謝んなくていいから。言い過ぎたのは俺だから。その……ごめん」
薄暗い部屋に、二人の声だけが静かに響く。
「……はい」
迷っているはずなのに、手が無意識にカイトの服を握っている。
こんな年になってまで、なんでこんなにも頭の中が混乱する想いが沸くのか不思議だと自分でも想う。
人の想いや揺らぎには敏感なくせに、いざ自分のことになると何をどうして良いかわからなくなる。
これって、俺がマトモな恋愛をしてこなかった証拠か?
と、改めて実感しているようで少し恥ずかしいのだが、そんなことは、ない……ハズ……だ。
ベッドから降りて、床に膝をつけての顔を覗き込んでいたカイトが、二コリと笑っていってきた。
「マスター、顔真っ赤です」
「……ウルサイ」
照れ隠しが分かったのか、カイトがゆっくりと言葉を続ける。
「マスターは、僕のこと、好きですよね」
スッと、髪の中に手を入れて梳くように動かしてまるで確認するようなカイトの言葉に、は答えを言う事ができず、しばらくその場に沈黙が下りる。
やがて小さく発した言葉は、自分でもよく分からないといった心を如実に現していた。
「……かもね」
「そんな『かも』なんて、不確かなこと言わないでくださいよ」
気に入らなかったのか、カイトが不満を口にするがそれでも顔は笑顔だった。
「よく分からない」
そう言うと、カイトは笑顔を深くして言った。
「僕は分かりますよ。僕があなたに触れるのは、僕に触れられるときに見せる一瞬の怯えの顔が、すごく色っぽいと想うからなんです」
「は?」
一瞬、言葉の意味がわからなかった。
怯え?
思い当たる節はないぞ。第一、お前に触れられるたびに怯えてるだって?
チョット待て。
そんなの混乱をよそに、カイトは言葉を続ける。
「それに、気を失う寸前とか。綺麗だなぁって思って、僕いっつも見とれて手が止まるほどですし」
「はい?」
お前は一体何を想像……そこまで考えて、は一つしかないことを理解した。
「お前、ヤッテルときにそんなこと考えてるの?」
「はい」
と、笑顔全開で嬉しそうに答えるカイトに、は少し呆れると同時にあきれて溜息まで出る。
「ため息はダメですよ。幸せ、逃げますよ?」
手を伸ばして髪に触れるカイトはとても幸せそうで。
「それにしても、あの時マスターは僕のあなたへの感情を『恋情』なんて言いましたけど、本当は違いますよね。それに僕があなたに持っているのは、多分ソレよりも深い言葉です。僕からは言えない言葉なのがとても残念なのですが」
「……お前から言えないの?」
意外だった。
コイツに言えない言葉があるなんて。
ま、それは自分も無意識に避けている言葉だから、お互い様だとは思うけど。
それにしても
「はい」
って、そんな笑顔全開で答えるなよ。
 
 
 
 
「それにマスターも、その言葉を使うの、ずっと避けてますよね」
気付いてたのか。
「カイト」
「はい」
条件反射のように返事をする彼が、自分の心の中を引っ掻き回し深いところまで傷つけてそのまま放置したあの男に嫉妬してるのは分かってる。
だから一つ一つ、手探りでいい。
ゆっくりと確かめていけばいい。
これが恋なのか愛なのかなんて、分からなくていいから。
「俺ね、ずっと俺の昔と向き合わないとなぁって思ってて。でも一人じゃ勝てる気がしなくて今まで逃げてた」
迷いながらも、まるで確認するようにゆっくり話すの言葉をカイトはジッと黙って聞いている。
「でも、いい加減本気で向き合わないとダメなんだって、そう思って、だから、その……」
言葉が詰る。
言いたいことは沢山あるのに、何かが邪魔して出てこない。
「はい。あなたの心の中に居ていいのは、僕だけです」
時折コイツは本気なのか、それとも冗談なのか分からなくなるな。
「カイト、それは無理」
「無理ですか」
項垂れた彼の様子に、もしかして本気だったのか?という思いがよぎるが、それは見なかったことにしては言葉を続ける。
「お前に頼るのって、なんかオカシクない?」
人が機械に頼るという矛盾を遠まわしで告げみるが、カイトは首を振って否定した。
「おかしくなんかないです。ねぇマスター、頼ってください。確かに僕は人じゃないし、頼りないかもしれません。でも僕にとって、あなたが全てなんです。あなたが迷うと僕は、どうしていいか分からなくなります。だから。ね?」
二コリと笑って、まるでを安心させるように手を伸ばして髪を梳く。
冷たいカイトの手が、迷ってる頭に触れて気持ちがいい。
そんなことを考えていると頭からいつの間に移動していたのだろう、頬に移動していた手がまるで答えを促すように、唇に触れてきた。
「じゃ、俺の後ろ、支えててくれる?」
その言葉は、本当に静かにカイトの耳に届いた。
実際小さな声だったけれど、それをカイトが聞き逃すはずもなかった。
「はい。喜んで」
そう言ってカイト膝をつけていた床から体を伸ばしてを、真正面から抱いてきた。
「僕が、ずっと支えますから。だからは、安心してあなたの心にある影と向き合ってください。大丈夫。みっともなくても、僕は貴方が好きです」
 
 
機械と人。
交流はないって思ってた。
でも、伸ばされた手を振り払えなかった。
振り払えないどころか、掴んで引き寄せた。
でも、それでもいいと思ったんだ。
アトガキ
VOCALOID KAITO夢

天回高楼シリーズの三作目。
シリーズ全体としてはまだまだ続くと思うのですがこの話はこれで完。

 
 
 
「ソウエン、シンエイニタツ」

2009/02/07
管理人 芥屋 芥