「……ん」
 ズルッと椅子から崩れるの体を、カイトが腕を伸ばして支える。
「お前……」
 そう言った彼の声は、少し掠れている。
 それ以上に彼のその瞳は、何かを耐えているようなのが気になった。
 今なら、聞けるかな。
 さっきは後悔と恥ずかしさが先に立って聞けなかったから。
「ねぇ。さっき、レンに何されてたの?」
 耳元で静かに聞き、そのままふーっとその耳に息を吹きかけると、嫌そうに顔をしかめて逃れようとする。
 その顎を、軽く掴んで押しとどめた。
 どんな表情でも、この人の顔は見逃したくないから。
Reunion
「なにって、何もされて……」
 そう答えながらも、は視線を合わさない。
 ならその言葉は
「嘘でしょう? ねぇマスター。さっきレンに何されてたの?」
 レンに何を許したの?
 どこまで触れさたの?
 聞きたいことは沢山ある。
「何も、ない。何もないって」
「嘘はダメですよ。マスター」
 こうも簡単に見抜けるから、本気じゃないって分かる。
 きっと、この人が本気で嘘を付くときは、絶対に気付かせないくらい徹底的に貫き通すだろうから。
「何でもな……ッ」
 スッとシャツの上から、ゆっくりと手を這わせてみる。
「ダメですよ? 。本当のことを、言ってください」
 ゆっくりと、耳元で囁くように言うと更にの顔に赤みが増した。
 そして、与えられた答えにカイトの顔が無表情へと変化した。



「怒ってるだろ、お前」
 前に立つカイトを見上げてが少し呆れた様子で言うその表情は、まるで『ほら言ったとおりじゃないか』とでも言わんばかりだった。
「怒ってませんよ。怒れるはずないじゃないですか。ねぇ、マスター?」
 そんな言葉とは裏腹に腕を引っ張る力に容赦はなく、無理矢理立たされたが慌てたように声を出す。
「ちょ、ちょっ……っと待てって! カイト!?」
 グイッ! と引っ張られ、気がつけばベッドの上に転がされる。
 その衝撃でベッドが大きく軋む。
 そして、振り返ったの目に飛び込んできたのは、カイトの泣き顔だった。
「お前ッ……?!」
 そこでの言葉が止まる。と同時に目を逸らした。


 泣くのは卑怯だって!


 反撃に出ようとした体の勢いをどこに置いていいかわからず、はとりあえず腕を伸ばして彼の頬に手を触れることにした。
――やっぱり機械じゃないよな。でも、機械だよな……
 触れては、そんな場違いな感想を持った。
 いや、正直そんなことでも考えて気を紛らわせなければならなかった。
 蓋が、少しだけ開いている。
 見せるわけにはいかない『昔』が、今は少しだけ近くに来ている。
 見せるわけにはいかない? 違うだろう? 見せたくないだけだ。と、自嘲気味に思い直す。
 大体過去はカイトには関係ないじゃないか。と自分に自分で反論する。
 だからカイトに
「泣くなよ……」
 という言葉を告げる。
 だが、その直後に響いた、シュルリ……という衣擦れの音に一瞬何をされたのか理解が追いつかない。
 だから
「カ……イト?」
 と、随分間の抜けたの声がそこに響いた。
 そしてようやく理解した自分の状態に、どうやら状況は悪化の一途のようだと思った。



「やっめ……!」
 服が散乱し、ギシッとベッドが軋む音が辺りに響く。
 ただし上のシャツを完全には脱がさない。
 正確には脱がせないのだが、その中途半端さが逆に色気を誘っているように見えるのは、きっと気のせいではないとカイトは思った。
 そしては、周りに響く音から逃れるようにカイトから視線を逸らし、その顔を見せないようにしてる。
 それをカイトは許さない。
 顎に手をかけて正面を向かせ、耳元で囁いた。
「ねぇ。マスターの顔、見せてください。ねぇ、見たいと思うのは僕のワガママですか?」
 答えないに、言葉を続ける。
「やっぱりマスターは綺麗だと思いますよ。だから、ね? 見せて」
 視線を合わさないのは、マフラーで手首を括られたの精一杯の抵抗なのだが、カイトには通じなかったようだ。
「ねぇマスター。僕はマスターのこと、好きですよ」
 少し上にあるの頭に腕を伸ばし、引き寄せて告げる。
 逃げる気がないと分かっているから、この程度で済んでいるのだと理解したがようやくカイトに視線を合わせると、嬉しそうなカイトの顔が目に入った。
の顔、真っ赤です。でも、辛そうです」
 本来は受け入れないから、体がツラクなるのを予想して硬くなっているのは本当だが、顔が赤いのは照れているからではなかった。
 本当は、こんなことをやってる心理状態ではない。
――まずい、な……
 まだ冷静な部分がそう考える。
 このままいけば、ただ拾われただけのカイトを責めるかもしれない。
 彼を拾ったのは、本当に偶然にすぎない。
 ただ何となく、感覚のどこかに引っ掛かっただけのディスクを責める理由はないというのに。
(俺から動くしかないのか)
 そう思い、はカイトを真っ直ぐに見た。
「どうして、そんなに辛そうな顔をするんですか?」
 だが先手を取ったカイトが言葉を告げる。
「つらいならマスター。いつも通り言ってくださいね」
 真綿で首をしめるようなカイトの言葉の一つ一つが、ゆっくりとを追い詰めていく。



「どうして、そんなに辛そうな顔をするんですか?」
 その言葉を聞いた時、瞬間的にマズイとは思った。
 だが枷は既に外れていた。
 表情から一切の感情が消え、直ぐに聞きなれた幻聴が耳を掠めて目の前が暗くなっていた。
「……な」
「何ですか?」
 呟かれた小さな言葉を聞き取ろうとカイトが、の耳に顔を近づける。
「お前が、言うな」
?」
 何を言うなと言われたのか分からないカイトの不思議そうな表情を、の言葉が拒絶する。
 そしてその言葉は、やけに冷たく二人の間に響いた。
「泣きたいときに泣けるお前が、言うな」
「……ご、ごめんなさい……」
 傷ついた表情で、戸惑ったようにカイトは謝った。
 浅い息を吐きながら、は混乱で頭が朦朧とした。
 そしてそんなの様子に、やがて心配そうな顔へとカイトの表情が変化する。
?」
 手が括られ体の下で浅い息を吐きながら無抵抗ままでいるという、このまま中に入れてその熱を味わうには絶好の状況だが、の何かを耐えるような苦しそうなその姿はカイトにとって少なくとも尋常ではなかった。
 だから、が落ち着くのを黙って見ていた。
「……ッ」
 目を閉じ眉間にシワを寄せ、何かを必死に抑えこもうとしているに、カイトが思わず小さな声で心配の言葉をかける。
「どうしたんですか? マスター?」
――マスター
 あの頃には無かった言葉が、の意識を少しだけ引き戻す。
「ご……」
 息が荒くて、言葉が上手く舌に乗らない。
 こんなにも苦しそうにしているは、カイトにとって初めてだった。
「大丈夫ですか? どこか具合が悪いんですか?」
 マニュアル通りの言葉だけれども、言わないよりはマシだとカイトは思った。
 そして返って来た言葉は、カイトにとって予想外の言葉だった。
「あ、お」
「マスター?」
 何を言われたのか分からないカイトの回路に、疑問が流れる。
「あおいろ……」
 目の前にいるカイトを、まるで初めて見るかのような目ではカイトの髪の色を見て言った。
 だがそれに気づかないカイトは
「あおいろ? あぁ、僕の髪のことですね」
 と、納得するように答える。
 だが次につむがれた言葉は、もはや通常の彼のものではなかった。
「なんで、青色……?」
「マスター?」
 流石におかしいと思ったカイトは、解こうかどうしようか迷っていたの紐で括られた手を解き、彼の肩に手を乗せて揺さぶった。
「マスター? 大丈夫ですか!?」
 だが、カイトの髪の色を不思議そうに見ているの表情に変化はなかった。
 まだ足りない。
 こんなんじゃ、この人を引き戻すことなんて出来ない。
「大丈夫なんですかマスター、戻って! しっかりして下さい! !!」
 必死に叫んだカイトの声にハッとしたの目が、改めてカイトを捉える。
「あ……おれ……今……」
 ホッとしたようなカイトの様子を、不安に揺れて定まらなかった目が捉えている。
「良かった。びっくりしました」
 先ほど自分が言った言葉を思い返しているのだろうか。は少し傷ついた顔になった。
「ごめん。俺、混乱して……」
「いいえ。大丈夫です」
 安心させるように言うと、カイトはの額にかかった髪をゆっくりとかき上げて、聞いた。
「急にどうしたんですか?」
 その質問には、あからさまに視線を逸らした。
 露骨な態度に、カイトは少々ムッとする。
「ダメですよ。ね?」
 優しく甘えるよう促すと、諦めたようなが小さく息を吐き肩の力を抜いて、やがてゆっくりと口を開いた。
「軽く、混乱してた。ごめん」
 言い終わった後、頬をそっと撫でながらカイトが
「いいえ。大丈夫です」
 と答える。そしてその答えを聞いたはゆっくり体を起こして
「水、取ってくる」
 と言った。
 だけどカイトが
「僕が行きます。マスターは休んでいてください」
 と言うと、が何かを言う前にベッドから立ち上がり部屋を出て行った。



 部屋を出てカイトは珍しく一息つき、咄嗟に出た自分の言葉を反芻していた。
「……戻って、か」
 映し出した情景にカイトは苦笑する。
 咄嗟に出た言葉だ。
 果たして、言って良かったのかどうかは分からない。だけれども、言って良かったのだと信じたい。
 水の入ったガラスコップを手に持ちドアを開けると、ベッドに腰掛けていたが顔を上げてカイトを見た。
「どうぞ」
 受け取ったときに一瞬触れた彼の手は、センサーではっきりと分かるほどに震えていた。
「マスター。本当に大丈夫なんですか?」
 横に座って下を向いている顔を覗き込んでカイトが尋ねると、は受け取ったコップを両手で持ち、更に小さく首を下に動かして答えた。
 そんな弱弱しい仕草を、カイトは可愛いと思った。
――普段元気な姿しか知らないから、かな。なんか今日のマスターって、不謹慎だけど可愛い……
 邪なことを考えているカイトの隣で、がポツリポツリ話しだす。
「俺……、泣きたいときに、泣けなかったことがあってさ。それ以来、ずっと涙を見るの、少し辛くて」
 一言一言確かめるように、ゆっくりと。
 そしてが涙を苦手としているのは、流石のカイトも察している。
 カイトだけではなく、この家にいるボーカロイド全員が察している。
 直接聞いたことはなくとも、皆なんとなく分かっていた。
 ミク達がここに来た当初、片付けを手伝おうとしたリンがカップを割ってしまったことがあった。
 ごめんなさいと泣きながら謝るリンに、の少し困ったようなそれでいて少し苦しそうな表情が、カイトの回路、いや、全員の回路に印象深く残っている。
「どういうことですか?」
 が自分のこと、特に昔のことを話すのは滅多にないので、カイトは思わず尋ねた。
「昔の話。……レンに揺さぶられて、ちょっとだけ蓋が開いて、それで少し、混乱した。ごめん」
「いいえ。マスターがここにいるだけで、僕はそれで十分ですから」
 謝るに、マニュアル通りの言葉が流れ出た。
 それを受けて、の表情に苦笑いが灯る。
「嘘つけ」
 という言葉と共に。
 そしてカイトは、思いついたように告げた。
「そういえば、戻ってきてくださいって言った後の答えを僕、聞いてませんでしたね」
 と。
 今度はその言葉が分からないが疑問を呈する番だった。
「なにが」
「だから、混乱から戻ってきたという、あなたの返事です」
 一瞬、視線を天井に向けて考えたが答える。
「た、だいま……?」
 疑問符が付いているのは、答えに自信がないからだろう。
 そしてカイトは、満足したように口づけと共に答えた。
「はい。おかえりなさい」
 と、笑顔で答えて「ところでマスター」と話を変えた。
「ん?」
 カイトが何を言おうとしているのか分からないが疑問を貼り付けた表情でカイトを見る。
「僕の思いは、どこにぶつければいいんでしょうか」
 そのカイトの言葉を聞いたが、たっぷり一秒以上考えて
「は?」
 と聞き返した。
「マスターがレンに許したこと。僕、怒ってないわけじゃないんですよ?」
 にこりと笑って言うと、カイトはが反論する前にコップを取り上げ、その体を再びベッドに押し付けた。
「やっぱ怒ってんじゃねぇ……ぅわ!」




 軽くキスをすると、静かにその目が閉じられる。
 先ほどとは違い、今度はあっさりと受け入れようとするに思わず尋ねた。
「抵抗、しないんですか?」
 その言葉に応えるようにゆっくりと開けられた酷薄の瞳には、不思議そうな色が浮かんでいた。
「して欲しいなら、するけど?」
「いえ、そういうわけじゃ、なくて……」
 ここから先の言葉を、カイトは珍しく言いよどんだ。
 そんな彼に向けて更に不思議そうな顔をするに、思い切って口を開く。
「……だって、逃げないんですか? さっきは……」
 カイトの言葉を遮るように、が口に手を当てて「いいから」と言うその顔は、やはり滅多に見ることが出来ない赤く染まった顔で、それが可愛いとカイトは思う。
「今日のマスターは、可愛いと思います」
 と素直に言うと、
「あっそ」
 という素っ気無い言葉が返って来たが、それもまたカイトは可愛いと思った。




 シュルリ……そんな音を立てて、静かにの手首から巻かれたマフラーが解かれていく。
 自由になったの腕が、カイトの首に回ってきて引き寄せてきた。
 不思議そうな顔をするカイトに
「ごめん……しばらく、このまま……」
 と、顔を真っ赤にしながら静かに告げる。
「マスター?」
 カイトが驚いた様子で小さく呼びかけるが、
「いいから……」
 吐息と共に吐き出された声と、聞こえてきた中の音がカイトの動きを止めさせた。
 この音は、心臓の音?
 この人がちゃんと生きている音。
 分かる。
 分かってる。
 電気で動く無機的な自分達とは違う、ちゃんとした有機的な音。
 動かなくなれば、きっと二度と、元には戻らない音。
 二人として、同じ『者』はない。音。
 生きものの、基本的な音。
 それが、自分達との決定的な違い。
 これが、『生きている者』の音か。
 これが、この人の基本的な音か。



……覚えた。


「……っはぁ」
 熱い息を吐き、の瞳がカイトを見る。
 その虹彩は、本来の薄緑から青に揺れて染まっている。
「マスター……冷静なんだ」
 カイトは呟く。
 熱に浮かされ、頭がボーっとしているように見えても、芯の部分では冷静だった。
 気遣われているのを、気づかないカイトでもない。
 やがて視線が合い、ニコリとが微笑んだ。
 おまけに心配しているかのように、頬に手まであててくる。
 こんなにも体は熱いのに、まだ心が冷静だなんてずるい。
――余裕、あるんだ。慣れているんですね。
 そうカイトが、判断できるほどに。
 そう思うと、何故かカイトは悲しくなった。
「カイト?」
 下を向いたカイトに、が呼びかける。
「辛い?」
 と、小さく尋ねた。
「ん?」
 質問の意図が分からずが不思議そうな顔をして聞き返す。
「辛いなら、早く終わらせますか?」
 言うが早いか、性急に動いたカイトにが慌てた声を出す。
「カイ……ッ?!」
 名前が途切れる。
「……ちょっ、と待てっ……って!」
 制止する声が途切れる。
 マスター……
 慌てる表情に誘われるように、グイッと顔を引き寄せて唇を合わせる。
 声も、息も奪うかのように、深くそして甘く重ねる。
「……っん」
 眉を寄せて,かすかに鼻で息をするその空気の流れを近くで感じて,更にカイトは彼を,求める。
 『ソレ』が無性に欲しくなって、まるでソレを奪うように……
 彼の『生』を自分の中に入れられたら、きっと自分はパンクする。
 『人』以下の『物』が、人を受け入れられるわけがない。


 分かっているのに、止められない。


「……っん」
 覚えた心臓の鼓動に合わせて動いてみる。
 指が、肩を掴んで少し痛い。
 だけどその痛みすら、嬉しさに変わる。
 何故ならこの指が、ギターを僕たちに聞かせてくれる。
 この指が、僕たちに伴奏をくれる。
 そんなの指にカイトは自分の指を重ね、ソッと掴んで肩から外し、ゆっくりと口元に持っていき、ソッといとおしそうに唇を乗せた。


 眠っている彼の額にかかる髪に指を絡めて、その寝顔を覗き見る。
 ねぇ。
 機械にも、もし『魂』があるなら、次会える時は、僕は人として、あなたに会いたい。
 ねぇマスター……
 僕は、ヒトに、なれるかな……




 巡り巡って、ヒトは出会う。
「リンとレンはここに居て、もうすぐ来るある人を待つんだよ」
「「はい、マスター」」
 生まれつきなのか、青い髪をした少年が自ら復元させた、昔に存在していたという『ボーカロイド』に向かって言い聞かせるように言う。
 そして少年は、町の人間と共に旅立つとき、静かに呟く。

「今度はあなたが僕を追いかける番です。、早く追いついてくださいね」
 と。
アトガキ
VOCALOID レンから移行したカイト夢
未来と現在と過去の、時のパラレルっぽくなっちゃいましたけ……けど一応、完。
でも、本筋の『Sound Fun』はまだまだ続きます。
//ここだけの話。弦を弾く指は最高に色っぺーと感じる,そんな私は指フェチです!(断言

天回高楼シリーズの一作目です。
シリーズ全体としては、まだまだ続くと思うのですが、この話はこれで完。

「リユニオン」
加筆書式修正 2012/02/29
2008/03/28
管理人 芥屋 芥