『彼等』の名前を見たその時、のマウスをクリックする手が一瞬だけ止まる。
『鏡音 リン レン』
――鏡音、リン、レン……?
どこかで聞いた名前だった。
果たしてそれはどこで聞いた名前だったか。
Reunion
町の人間は既に消え、人の居なくなったそこに踏み込んだのはつい昨日のことだ。
戦火を逃れるために人が消えたこの町で、掠れるような声の歌が聞こえてきたのはその日の夜だった。
「隊長、どうしますか」
声に気づいた隊員が警戒を込めて問いかけた。
「情報ではこの町に人は居ないハズだがな。ちょっと探ってくる。何かあったら無線で呼ぶよ」
そう言って立ち上がる少年に対して、言われた男とは別の男が質問した。
「俺たちは付いていかなくていいんですか?」
敵だったら、一人では危ないという意味を込めて。
だが
「構わん。休んでろ」
と答えると少年は帽子を被り、銃を持って声のする方へと足を向けた。
声が聞こえてくるのは、棄てられた教会の中。
他国の宗教に対して厳しい措置を取るこの国で、恐らく住人によって細々と守られてきたらしいその教会の中から、その声は響いてい る。
「誰か、いるのか?」
周辺を探り周りに誰もいないことを確認してドアを開け、静かに少年が声を発する。
銃は構えない。
何故なら、ここには自分達以外の人間は居ないはずだから。
それにこんなところ(神の前)で死ねるなら、それでも構わないという荒んだ心が、少年の中にはあったのかもしれない。
そんな声に反応するように,中からの声がピタリと止む。
やはり誰かいるようだが、生きているような気配がしないのは何故なのか。
ゴト……
奥で何かが落ちるような音がしたその時、初めて少年が銃を構えた。
「ダレ……カ……イルノ……? マスター、カエッテキタノ?」
抑揚の無い、途切れ途切れの言葉が彼の耳に届く。
そしてその言葉は、この国の言葉ではなく、聞きなれない……いや、違う。
父親の国の言葉だ。
そう。
確か、日本という国の言葉だ。
親父がよく使っているから、その言語は聞いたことがある。
それにしても、今その声の主は何て言った?
「俺は『マスター』なんて名前じゃないよ」
通路を歩いて、声がした奥の祭壇へと少年が足を進めるとその脇にソレ等は居た。
「マスター……ジャ……ナイ?」
答えたそいつの見事な金髪だった髪は埃を被り、腕は折れその下からケーブルが剥き出しになっていて、その壊れ具合に一瞬だったが 少年は視線を逸らす。
そしてその隣にいた、彼の肩にもたれ眠るように座る少女を見た瞬間、少年は彼女が今後動くことはないだろうということがハッキリと分かるほどに壊されていた。
「ロボット?」
こんな街に、こんな精巧なロボット?
「ロボットジャナイヨ……オレ……ハ、ボーカロイドサ」
設定なのだろうか、途切れ途切れであっても少し生意気っぽく少年が言う。
そして、隣にいる少女に視線をやって
「――ガ、ウゴカナク……ッテカラ、ハジメテ、ヒトとハナシタ」
と言った。
名前が聞き取れない。
「VOCALOID、ねぇ。まぁいいや。ところで君、なんで歌ってるの?」
基本的なことを、少年がボーカロイドに合わせて父親が話していた日本語を思い出しながらゆっくりと尋ねる。
その問いに、自らボーカロイドと言った『少年』が答えた。
「マスターヲ……マッテイルンダ。ココ、ニイナサ……イッテ、イッタンダ。カナラズカエッテクルカラッテ……」
話していく間にも、少しずつだがボーカロイドの発音が良くなっていくことに少年が気付く。
「ダカラ、オレハココニイル。――ハモウ、ウゴカナクナッタカラ……ナラ、オレダケデモ……ココニ、ココデ……歌って、マスターヲ……」
「待つのか」
相変わらず名前の部分が聞き取れないまま、そのまま黙ってしまったボーカロイドの続きの言葉を少年が重ねるようにして言うと、その首が下に動いて肯定を示した。
だが、それは恐らく果たされない。
何故なら……
言って良いのかどうか、少年には判断できない。
ならばこのままここで、本当のことを報せず彼の充電が切れるまで好きに歌わせたらいいのかもしれない。
どうせこの町も、後二日もすれば地図から消える。
ならこれくらい聞いたって、罰は受けないだろう。
「君の名前は?」
あの時、確かにそう聞いた。
なのに、肝心のその名前だけが思い出せない。
この町での作戦が終わり、十時間後にはここを出るというときに『もう一度だけ』と教会に足を運ぶ。
「居る?」
ドアを開けて聞くと
「うん……いるよ」
と返ってきた返事に、少年が奥へと足を進める。
「今日の朝、俺たちはこの町を出るよ」
そう言うと、土埃にまみれたままの金髪のロボットが、悲しそうな顔になって静かに聞いた。
「歌ヲ、歌っていいかな?」
と。
「マスターが教えてくれた歌なんだ」
と、この時初めて笑った顔で本当に嬉しそうに言うと、座ったままの格好でボーカロイドが小さく歌う。
声の音量は小さかったけれど、静か過ぎる教会にその声は十分響いた。
彼が出すその声はとても澄んでいて、壊れかけているとは思えないほど力強くて、そして何より綺麗だった。
歌とは、これほどまでに綺麗なものだったのか。
歌とは、これほどまでに人に何かを与えるものなのか。
そして、その歌詞を聞いて少年は、なんとなくだが彼をここに残した人間の意図が理解できたような気がした。
早く終わりたいのは、前線に立つ兵士だって同じだ。
しかし状況はそうは言ってくれない。
この歌は、そんな矛盾を歌った歌だ。
まるで自分達に向けて作ったような、そんな歌だ。
矛盾は百も承知の上だ。だが、それでもそれを指摘されると心の底がズキリとした。
――そうだよ。こんな戦争なんて、一日も早く……
「泣かないでよ」
気がつけば、ボーカロイドの顔がドアップにあった。
「うわぁ!」
驚いて少年が思いっきりのけぞる。
だがボーカロイドはそれに頓着することなく、更に言葉を紡ぎだす。
恐らく、先ほど歌を歌ったことで内臓されていた充電が切れかけ寸前なのか、その瞳から光が消えていくのが分かった。
「泣かないでよ……――」
「何?」
「な……かないデヨ、マスター……」
「今、なんて?」
「マス……タ……泣かないで……」
声が、消えていく。
それよりも『マスター』って、ちょっと待てよ。俺は違うぞ!?
「だから! 俺はお前のマスターじゃな……っ?!」
言葉がそこで切れた。
少女型のボーカロイドが凭れる反対側に座って、歌を聞いていた少年に覆い被さるようにして彼が倒れてきたとき、偶然だったのか、唇がほんの一瞬だけ触れた。
――ように思ったけど、あれってただの偶然だよ……な。
そう思いながらはそのディスクをカートに入れ、そしてボタンを押す。
しかし、あの時代にカイト達のようなボーカロイドは存在しなかったはず。
ならばこの記憶に残る『彼』は一体……?
と、袋小路に迷う考えが浮かんだが、あぁいうところでは考えられないことも起こると判断しては椅子から立ち上がり、カイトを呼んだ。
アトガキ