「ねぇマスター」
長い緑の髪を一つにまとめてアップして、どこかからデータを拾ってきたのか、いつものミニスカの服とは違う服を着た女の子がベッドに寝そべりながら、彼を呼ぶ。
「ん、何?ミク」
「明日は……」
ミクがベッドから降りながら、少し思いつめたような表情で
「明日マスターは早く帰ってきますか?」
と聞いた。
伝えたいことがあります
「いや、どうなるか分からないけど。どうしたの?」
否定から入ったってことは、きっといつもみたいに遅いのかな。
学校というところで人に何かを教える立場らしい先生という職業に就いているマスターが、明後日の新学期というものの準備で明日は遅くなるのかもしれない。って、今日の朝言ってた。
ここ最近は早く帰ってきてくれたのに、明後日からまた遅くなるって。
明日は、ヘタをすれば帰ってくるの深夜頃になるかも……って。
それじゃ間に合わないよ、全然間に合わないよマスター
でもワガママは言えないよね。
「いいえ。なんでもありません」
自分の中で話を終らせたミクが、ギシッという音を立ててベッドから降りて
「何か、音楽聞いていいですか?」
と、CDが並べてある棚に手を伸ばしつつ、彼を振り返って聞く。
「どうぞ。何ならプレイヤーに入れてくれると嬉しいかな。
 ちょうど何か聞きたかったところだから」
がそれに応え、選曲をミクに任せてしまう。
任されたミクは、何か適当なディスクを数枚取り出してその中から一枚選んでデッキにセットし、ボタンを押した。
選んだのは、きっとマスターが聞きたいんだろうなって思うような音楽。
少し落ち着いた感じの、お姉ちゃんが好きそうな『大人』な曲。
そしてマスターが好きな曲。
なんでそんなことを知ってるかって。
私達は、いろんなことを話す。
部屋で、通信で。
特に、同室のお姉ちゃんとはマスターの部屋から戻ってからもずっとお喋りしてることが本当に多い。
リンも時に混じったりして、それはとても楽しい時間。
女性型ボーカロイドだけの、秘密の話。
そんな中で、マスターの好みの音楽という話になったとき、メイコ姉ちゃんがベッドに背中を預けて
「でもマスターって、あんまりロックとか好きじゃないみたいなのよねぇ。
 ディスクは持ってるのにさ」
って言ったのを思い出したから。
「「え?そうなの?」」
リンと私の声がハモって、メイコ姉ちゃんに問い返して。
「うん。なんかねーそう言ってたような気がする。
 違うかな。
 そうだ。無性に聞きたい時があって、それ以外は……っていう話だったかな」
沈黙が降りたその中に入るの言葉は、きっと『あまり聞かない』っていう言葉なんだろうけど、お姉ちゃんは言葉を濁したとミクは思う。
と同時に
へぇ、そんなことをマスターはメイコ姉ちゃんの前で言うんだ。初めて知った。
と、半ば感心し、次の言葉を言おうとして口を開こうとしたときパジャマ姿のリンが
「私のときは、そんなこと言わないよ?」
と、私が言おうとした言葉を先に言いながらゴロリとベッドの上で体を一回転させてベッドの端へ移動すると、そのまま足から床に下りる。
「そりゃぁね、マスターって私達に対する自由度がかなり高いから、好きにさせてくれてるのよ」
そうメイコ姉ちゃんが言葉を結んだときに、丁度約束の時間が終ったらしいレンが部屋のドアをノックしてきた。
そんなことがあったから今、マスターが聞きたいと思ってるかもしれない音楽を、コンポにセットしてかけてみた。
それは、歌詞が入っていない楽器だけの音楽。
もし入っていたとしても英語だったりで私には理解できない種類の言葉。
だって私は、私達は『日本語』ボーカロイドだし……
「好きなのかけていいのに」
というのはマスターだけど、そんなこと出来ないっていうより
「私が聞きたいんです。マスター」
と、再びベッドに戻ってミクが答えた。
 
 
彼女がよくかける曲は、ロックやポップスといったものが多いのに今日に限ってどうしてジャズを?
そんな彼女が流したナンバーは、『Cool Struttin'』
ソニー・クラークというピアノ奏者の曲だ。
ジャズの中では定番中の定番の曲で、そういうお店とかではホトンドと言って良いほど一度は流れることが多い、そんなナンバーだ。
それを今日に限って選んできたミクの本意はどこにある?
それに、さっきから様子が……
「ミク、無理しなくていいよ?」
が言うと、プウと頬に空気を入れて少し拗ねた表情に変わった彼女が
「マスター、私の言う事聞いてました?」
このディスクは、私が聞きたいんですって言ったのもう忘れたの?
しかしその表情は拗ねているというより、その中に少し不安があるような印象があることを不思議に思ったが再度、問い掛ける。
「ミク、何かあった?」
この質問に明らかに不機嫌になった彼女が、そのままの表情でプイと顔を横に向ける。
その行動慌てたが、
「ごめん。気を悪くしたなら謝るよ」
と言ってそのままスッと頭を下げる。
そんなの行動に、更に慌てたのは最初に振ったミクだ。
まさか頭を下げられるとは思わなかったから、思わず立ち上がって
「そ……そんなことしないで下さい。
 ただ私は……ただ、マスターに私もジャズが好きだってところを見てもらいたかっただけなんです。
 それだけなんです。
 そ、それじゃぁ私もう時間だから、戻りますね」
そろそろリビングにいるお兄ちゃんが呼びにきそうだし。
メイコ姉ちゃんと私とリンが集まって話すことに、『俺も混ぜて』と言ったお兄ちゃんにお姉ちゃんが『イ・ヤ・よ』ってキッパリ断るからいっつも一人。
あ、レンがいたか。
でも、レンはたまに一緒になって話してたりするから……やっぱりお兄ちゃん一人なんだよね。
でもそれがなんだかお兄ちゃんらしくて、見てて飽きない。私、メイコ姉ちゃんに似てるかな?
だけど今日マスターの部屋でジャズを流したのは、私だってがんばればきっとお姉ちゃんみたいなこともできると思うから。
私もジャズをやりたい……って。
そんな意思を音楽で伝えて、でも結局言葉で言っちゃったけど。
だけど本当の本当に言いたかったこと、言えなかったな。
少し沈んだ様子で慌ててドアの方へと体を向けるミクに、思わずの手が伸びた。
「ミク、待って!」
が部屋から出て行こうとする緑の髪を一つにまとめた彼女の手を取って……
 
 
 
『ミク、待って』
ドアの向こうから聞こえる彼の声に、ノックしようとしたその手が止まる。
『マスター……』
気まずい。
一体何が起きてるんだろう。
それを知りたいと思うと同時に、同じくらいの強さで知りたくないとも思う。
だって……だって……
そうして、随分経ったろうか。
ドアが開いてミクが部屋から出てきた時、通信が彼女から入る。
――ごめんお兄ちゃん。私、言えなかった。
かなり落ち込んだ表情をカイトに見せて送ってきた彼女の通信に、カイトが返す。
妹が今日、マスターに何を伝えたかったのか、分かったから。
――俺が変わりに言っていいの?
――うん。じゃ、お休み。ごめんね。
「おやすみ、ミク。
 だけどそれで本当にいいの?」
答えは通信じゃなくて、声だった。
「……うん」
そんなドアで何かをしている二人に
「どうした」
やはり、ミクが不安なのを心配しているのだろうか。
膝を折り、視線を彼女に合わせて再度
「どうしたの?」
と聞いた。
「ほら」
そう言って、パジャマ姿のミクの肩にカイトがソッと両手を添えてに何かを伝える勇気を彼女に与える。
って言ったって、そんなものが僕たちボーカロイドに本当にあるならだけれど、でも人はこうして人を支える……?
ちょっと違うかな?
まぁそんなことは今、多分どうでもいいんだ。
少しでも僕の存在が君に力を与えるなら。
「ミク?」
視線を合わせたままのが彼女の名前を再度、呼ぶ。
やがて、俯いたミクがゆっくりと口を開いた。
「マ……マスター、私……私……」
歌や音楽、それにマスター関すること以外の希望は、なるべく制限されている。
そういうプログラムが、ミクを苦しめる。
自分がこの日に存在できた日を言う事すら、僕たちには難しいこと。
僕の場合は、マスターが知っていてくれたから……
そうか。
伝え方を変えればいいんだ。
――ミク、『私の情報を検索してください』ってマスターに言うといいよ。
――お兄ちゃん?
――直接伝えなくても、ネットとかの情報からならマスターに伝わるよ。やってみて。
――うん、わかった。
それは一瞬の通信のやりとり。


「マスター」
「ん?」
顔を上げたミクが、決意を胸に目の前に立つの目をしっかりと見て、言った。
「あのねマスター。
 知ってほしいことがあるの」
と。
アトガキ
VOCALOID KAITOメインのオール夢
でも,ミクです。
2008/09/05
管理人 芥屋 芥