双想歌
03.過去への執着
「それは単にお前が屈折してるだけだろう?」
 の言葉に喜助が腹の上で小さく笑った。いや小さくというのは間違いで、最初は小さな声だったのに次第に抑えきれなくなったかのように声が出て、今や立派な大爆笑だ。
 滅多に聞けない喜助の声を出した笑いにはブスッとして
「おい」
 と声を掛けるがやむ気配がない。
「こら。喜助!」
 笑いを止めさせようと制止を込めて声を出すと
「見たいですか?」
 と急に真面目な声音で喜助が言った。
「な、にを?」
 その転換があまりにも急だったため、一瞬は彼の言葉を理解できなかったけれど、次の瞬間には理解していた。していたのだが、心の中から疑問と不安が徐々に沸いてくる。
 何故彼が急に自分の意向を聞いてきたのか、が気になったのだ。
「アラ? 伝わりませんでした?」
 と喜助は言うが、伝わってることを確信している口調だった。しかしそれ以上に、にとって『喜助が確認を取ってきたこと』そのものが、不安を増大させるだけのものでしかなかった。
 コイツが人に意向を聞くときは大抵ロクなもんじゃない。それはが今まで浦原喜助という死神と付き合っていて学んだことの一つだ。
 そもそも普段の喜助は自分の作ったものをに見せるときは、例え酒が入っていようが寝ていようが用事があろうがなかろうが、さすがに席官としての仕事中は喜助も控えてくれるが、それでも大抵無理矢理・強引だからこんな回りくどいやり方は絶対にしない。それだけは、が長年浦原喜助という死神と関わってきた経験からくる確信のようなものだった。
 怪しんでいるに対して
サンはワタシの作った物、見たくないんですか?」
 と喜助が再度確認を取る。
 その言葉では逆に確信を持った。このモソモソ動く物を『自分の欲』だと言った喜助が、珍しく判断を迷っているのだ、と。
 それにしても背中のヌルヌルした物体から出てた薬で熱を上げたかと思えば絶妙なタイミングで下げてきて、まるで最初から計算していかたのような喜助のやり方が正直気に入らないのも事実で、は『素直ではない自分』に立ち返り、しかし穏便に
「別に。ヤル分には俺はこのままでいい」
 この際、さっさとしろという言葉が言外に置かれていたような気がするがあえて無視する。
 だが目の前に立つ浦原喜助は、どこをどう切り取っても結局いつもの浦原喜助でしかなかったようだった。
「でもそれじゃワタシがつまらないデショ?」
 といって、シュルリと衣擦れの音をさせてその目隠しを取っ払った。
――コォノォヤァロォォーー! 結局テメェの勝手じゃねぇか!!!
 は心の底からそう思い、目の前にいる喜助を思いっきり睨んだ。
 それを見た喜助は「あ、やっぱり睨みましたね?」と、それすらも嬉しいことのように僅かに顔を笑顔に歪めて平然と言い放つ。
 そしてソレを聞いてのこめかみに青筋が走った。
 ヤベェ……
 切れそう……
 しかしそんなことに頓着しない喜助の
「ほら、さっさと出てきてください。サンがあなたを見たいそうですから」
 と少し苛立ちを含んだ言葉での中に冷静さが戻る。
 なぜなら背中にあった物体が彼の下からヌルリと抜け出してきて地面に落ち、同時にそれはモヤモヤと動いて人の形を作っていったからだ。
 足ができ、体ができ、手が伸びて頭が形成されていくのを驚きの表情で見ていたが最後にできたその顔に思わず
「お前これ……」
 と、傍に立つ喜助に声をかけていた。
 ソレは小さかったけれど、そこに立っていたのは紛れも無く自分の姿。しかもかなり幼い頃の。
 補足するように喜助が言った。
「未来に不安があるのなら過去を見ていくしかないデショ? だからコレはこんな姿になっちゃったんです。最も、コレはワタシのこと嫌ってるんですがネ」
 と言って手を伸ばして触れようとすると、ソレは喜助の手から逃れるようにの方へと寄ってくる。
 そしてそんな喜助の最後の言葉に『お前もだろ』と心の中で突っ込みを入れていると、ソレは動けないの手に触れて少し笑ったかのように見えたがそれも一瞬。
 再びドロリとアメーバ状に戻ろうとしたソレに、は思わず声を掛けていた。
「おい。お前名前は?」
 と。
 背中にソレがいたときもそうだったけど、実は触れられて不快な感じをは受けていなかった。ただ感触が『形が異様な人肌』だっただけで。例えイヤガラセだとしても、不愉快な思いをさせない喜助の歪んだ配慮には内心苦笑する。いや、十分異様な感じではあったが。少しヌルヌルしてたし。
 そして『ソレ』については、こうして何かしらの形を取ってくれたら普通に接せられると彼は一瞬で判断した。
 何より自分に似た『何か』の顔が崩れるのは見たくなかった。
 そしてそんなの質問に答えたのは、頭の方へ回っていた喜助だった。
「名前なんて付けてませんよ。別に気に入ってるモノでもないですしね」
 その言葉には喜助を睨み、その視線を受けた喜助がクスリと笑ったような気がした。
 それを見たは長年の経験で理解した。
 自分がコレに一歩心を許したことを不機嫌に思う笑みだ、と。
 それにしても、確信的な行動で不機嫌な思いをするくらいなら見せなければいいのだが、そこはそれだと割り切っているのだろうか。と単純なはそう考える。
 しばらくの間、両者の間に沈黙が落ちた。
 『ソレ』は言葉が出ないのか、ただ黙っての手に触れたまま動かなかったし、もまた黙って喜助を睨むことでけん制する。
 やがて一息小さく行きを吐いた喜助が
「あなたは、嫌ってないですよね」
 と言うと、そのまま唇を寄せて耳に入れた。
 何を、と問いかける前に耳の中で響いた音に「テメェ!」と反論するが、体を固定され動けないにロクな抵抗などできるわけもなく、おまけに散々中途半端に晒された体は熱を持つのも早かった。
 喜助が続きとばかりに再開させると、自分の声を抑えるのに精一杯になる。
――なんでこんな奴に懐かれたんだよ、俺……
 とは自分の不運を嘆いてみるが、答えるものなど誰もいない。
「ッ……」
 思わず出そうになった声を必死に抑えているに、喜助が感心したように呟く。
「やっぱりあなたは強情ですよね、サン。でもね。ワタシ、それを折るのも楽しみの一つなんですよ?」
 声を抑えるあまり、無意識に息まで止めていたことに気付かないが、息苦しくなって空気を求めて口が開くのを待ってたかのように、そこに喜助の指が滑り込んだ。
「……っん。だふぁら、口に指入ふぇるのヤメッ……んぁ!」
 抗議の最中に際どいところに触れられて思わず声が出た。
 二度目の不意打ちと、閉じることが許されない口と、何かで固定され動かすことができない体にそろそろいい加減にしろと切れそうになりながらはなんとか
「と……れ」
 と言った。
 その言葉に、喜助が「ん?」と言って首筋から唇を離す。
 恐らく言い切る頃には自分の顔は真っ赤になっているだろうことを自覚しながらは、自由になった口で更に言葉を続ける。
「拘束、外せって言ってんだ」
 その言葉に、首と肩の間に手をついて上から覗き込む体勢を取った喜助が「逃げませんか?」と聞いてきた。だから彼は視線だけを喜助に移し、少し揺れた視線で自分を見ているそれを真正面から捉えた。
 その視線を見ては思う。
――あぁ。もしかしたら俺、コイツのこういう視線に弱いのか?
 と。
 いつも飄々としてるくせに、自分の興味のあることだけは真剣に見てる。
 そしてそれが揺らぎそうになると、まるで子供のように食い下がる。
 やがて大げさに息を吐いた
「この状況でどうやって逃げられるってんだ。逃げネェよ。大体お前俺の言葉聞いてたのか?」
 と安心させるように真っ直ぐ喜助の目を見て話した。
 先ほどから素直じゃないにしても、喜助ならその言葉の裏くらい簡単に察しがつけられるはずだとは踏んだ。
 でなければこうした、から見て『変だよなぁ』と思う関係は続かないだろう。
 自分でも自覚している素直ではない性格を、なぜ浦原喜助という死神が面白がるのか出会った当初は分からなかったし、実は今でも分からない。
 それに対する喜助から明確な答えは未だもらっていないもまた、いつの頃からか尋ねなくなったからだ。
 結局のところ、自分の一体何がこの浦原喜助という死神の興味を引いたのか分からないまま、こうしてずるずると半ば済し崩し的に、当然最初の頃は抵抗もしたが、だらだらと安定しているのかも分からない中途半端な関係は続いている。
 ほとんどが喜助の、いや全部が喜助の一方的な都合で進められた。の希望など、仕事中を除いてこのヒネクレ者の喜助が聞くはずがなかった。だからは、最初は本当に浦原喜助という死神が嫌いだった。
 最初から席官として自分の前に現われ、いや、違う。本当の最初は……
 しばらくの沈黙の中、考えを昔に飛ばしかけていたの耳に喜助の小さく息を吐く音が聞こえたかと思うと
「分かりました」
 という言葉と共にパチン……パチン……の音と共に両手足が自由になっていくのをは感覚で感じ取る。
 足の拘束を取る際、の蹴りを警戒してか足を押さて拘束を外した喜助に、警戒するくらいなら最初からするなよなと内心呆れただが、それでも何もしなかった。



 自由になってからも、は台の上から動かなかった。
 いつもなら乱れた服をさっさと直して、これ以上はしないだの止めろだのと顔を真っ赤にしながら悪態をつくはずなのにそれらをせず、ただ静かに先程まで『ソレ』に触れられていた右手を持ち上げ、じっと見つめている。
 それには喜助も若干拍子抜けしたようで、僅かに目を見開いて何かを言おうとしたがのあまりの静かさに何も言えなかった。
 それに、何もなければこのまま……と、自分の行為を少し振り返った喜助がチラリと視線を移すと、ソレが喜助と距離を取りつつとそう遠くない距離から手を伸ばして彼に触れているのが目に入る。
 そしてそれを感覚で流しているに、ムッとしたのも事実だった。
 だから頭に手を触れて喜助が軽く髪を梳く。
 それにも反応せず、ただ黙って自分の右手を見つめているに少し安堵を覚えた。
 反応を貰わないことで安堵を覚える自分の捩れた感情に喜助は内心苦笑しつつ、彼はの頭に乗せた手を止めない。
 確かに彼はここにいる。
 ここにいるのに、あんな噂で不安になって『彼』を作った。
 この先に不安を感じたから過去に固執して『彼』が出来た。
 やがてゆっくりと視線が動き目が合うと、思いもかけない真っ直ぐな視線に喜助は思わずドキリとした。何も考えていない、ただ真っ直ぐな視線。邪念も計算も何もない、ただひたすら純粋な視線。
――あぁ、ワタシ。この視線に弱いんですかね……
 などと考えていると、が口を開いた。
「喜助」
 と。
 ただ名前を呼ばれただけなのに、喜助の体が目に見えるほど揺れてその動揺を表した。
 滅多に見ることのできない喜助の不安をそのまま表したような、先ほどよりも強く不安が表れている動揺した視線にしょうがねぇなぁと、は半ば苦笑しながら喜助の方へと手を伸ばして
「コイツの所為で体限界なんだからさっさと来い」
 と、顔を真っ赤にさせながら言った。
アトガキ
お互いに気づかないところにて
2012/07/07 加筆書式修正
管理人 芥屋 芥