双想歌
02.同じ者は嫌いです
しばらくの間、そこに沈黙が降りた。
喜助の言葉に一切の体の動きを止めて唖然とした空気を漂わせているの頭に、先ほどの言葉が噛み砕かれてゆっくりと入っていったが、彼がそれを理解するのに丸々一分半という時間を要した。
その間の凍った空気を喜助は内心で楽しみながら、今この状態で目隠しを取ればきっと驚きで目を見開いた彼の顔が拝めるはずだと思って手を伸ばしたとき、彼の再起動は完了した。
「……っと待て。誰が誰と見合いするって?」
再起動してもやはりそれが自分のことだとは思っていないは思わず問いかけていた。驚きが過ぎてさっきまでの体の熱などその言葉で吹き飛んだ。何よりにとってそんなことは初耳だった。
そんな話、自分が知らないのにどうして噂が先に立つ? 流した奴は誰だ? 夜一か? とまで思ったの耳に、喜助から声が届いた。
「ワタシの聞いた人皆言ってましたよ? サンが見合いをするって。ちなみにワタシも夜一サンかなと思って確認取ったんですケドね。どうも違うみたいなんですヨ」
まるでの思考を読んだかのような喜助の言葉に、彼の中で随分な確率で存在した可能性は消えた。
夜一というのは喜助との共通の悪友で、女という枠組みに入るのだが少なくともは彼女を『女』として見たことは一度もない。実力はありすぎるほどあるが性格に難ありで、言うなれば大雑把でガサツであの細身からは考えられないくらいの大食漢で、おまけに悪巧みが好きで喜助と組むと手に負えないくらいの悪戯をする。
そんな彼女が缶詰になった喜助を外に連れ出そうと計画したならば、撒き餌に噂の一つや二つは流すだろうことは簡単に想像がつく。
その証拠にこの話を聞いた喜助が真っ先に確認を取った相手が夜一であることから、彼女の逆説的な意味での信頼性の高さが証明されているのだろう。
兎に角、彼女が出所ではないとするならば他に思い当たらないが困り果てた様子で
「じゃぁ一体誰なんだよ。そんな話、俺初耳だぞ」
と言った。
実際そうなのだから仕方がない。しかも一体誰に聞いたのか分からないが喜助が真偽を確かめた人皆が言っていた、らしい。
外にいて交流もあったが初耳で、研究で缶詰になっていた喜助が知っているという変な図式に背中に何故か冷たいものが走る。
しかし喜助はそんなことはお構いに無しに
「初耳なんですか?」
と、とても意外そうに言うが、その声には完全にその噂を信じていないということが含まれていた。目隠しはされたままなので喜助の顔を見ることはできなかったが、それでも付き合いが長い所為かは声だけで判断できる。だから悪態をつきながらもそれを確かめた。
「当たり前だ。大体なんで俺が……それにお前だって本気で信じてるわけじゃないんだろう?」
それが今回のこんな状態にされる理由になったなんて言うなよという少しの期待と、でもそうなんだろうなぁという諦め気持ちで。
そしてそれは正解だったようだ。
「何言ってるんですか。じゃなかったら、こんなことしてないデショ?」
という嘘の混じった言葉と共に降りてくる喜助の気配に、は目隠しの下でソッと目を閉じた。
出かかる声を懸命に抑えても、それが更に体の中で増幅しているような感覚には戸惑いを隠せない。
目隠しに関しては最初の頃散々された所為かなんとか慣れているが、背中からの熱はいつもと違うので多少の不安を抱きつつも彼は、なんとか理性だけは保っている。
聞きたいことは山ほどあった。
まず噂は誰に聞いたのか、そして背中の物体のこと。恐らく喜助の作品なのだろうが正体不明なソレの確認と、この台で本気ですることはないだろうことへの、ある種の確信と後は、喜助への反抗心。
それらがある以上、の理性が飛ぶことはない。
長い夜になりそうだと、はこの時点で覚悟した。
そして喜助にとっても、その細くなった理性をできれば切って彼の乱れた姿を見たかったが、敢えて現状維持のまま保留することにした。
最初の頃の初心な反応がなくなってしまったのは仕方ないにしても、反抗を諦めているというのは喜助にとって少しだけ物足りなく思っていたので、今回の彼の怒りによる理性保持はなんだか懐かしい感じがして少しだけ有難かった。何故ならそれを崩すのもまた密かな楽しみの一つだし、何より快楽に耐えているというのも最近ではあまり見られなくなったから久しぶりに見てみたいという欲求がある。
その二律背反が喜助の複雑さを表しており、また矛盾していることは十分承知だった。
面白そうだからこのまま限界まで放っておきましょうか?
ねぇサン。
あなた分かってないでしょう?
噂でもなんでも、不安になんかさせないで下さいよ。
それにしても、拘束されてるサンって誘ってるんですか? って言いたくなる位色っぽいですよね。
自分しか同意しないであろう問いかけに、いや、複数人に見せればきっとその中の誰かは同意しれくれそうだが誰にも彼のこんな姿など見せる気がないので、やはり自分の中だけの疑問に喜助は自分で『是』と答えて彼はその背に手を這わせる。
途端、その背のものがぞわぞわとの背中を意思を持って動き始めた。
「……ッ?!」
背中の物体は喜助の手を避けるように動き、見えてない分感覚が敏感になってるにとって、それは異様なことのように思えて飛びかけた理性が戻ってくる。
聞こうかどうしようか迷う。
聞けば自分の感覚が鋭くなってるのを教えるようなものだったけど、聞かなければ前には進まない。
「ちょ……なぁ喜助。このヌルヌルしたの……」
そこまで言っての首筋から、喜助が唇を離した。
「分かりましたか?」
耳元で囁くように答えた喜助に思わず鳥肌が立つ。それを面白がっているのか知らないが、喜助がクスリと笑った気がした。
「テメェいい加減にしろ」
「はいはい」
怒っているので気が短くなって一息で言い切ったを、まるで駄々を捏ねる子供のようですねと思いつつ笑って答えた喜助の手が、スッとに確かめさせるように左腕をなぞると同時に、ヌルヌルしたものがその手に合わせて逃げるように動く。
もぞもぞと動く背中の物を気にしているに、喜助が言い聞かせるように説明した。
「これはね。ワタシを嫌ってるんですよ。だからワタシには触れさせようとしないし、ワタシが触れようとすると逃げていく。ホラ……ね?」
と背中に喜助の手が入ると、そこから喜助の言う名称不明な物体が離れていくのをは今度こそ感触で理解した。
だけど完全に離れたわけではなく、喜助の手が触れてないところに集まっただけで離れようとしない辺り、どうなってんだ? と疑問を抱きつつも、続く喜助の言葉を黙って聞く。
「最初からこうだった訳じゃなかったんですが、気がついたらこういう性質持っちゃってましてね。面白そうって思ってそのままにしてあるんですよ」
と言うと、唇に喜助の指がなぞってるのが分かる。
頑なに閉じてその指から逃げようと顔を背けるの顎を捉えて喜助が顔を近づけ
「開けて下さいよ、ホラ」
と、熱と怒りの混じった声音で告げてきたから思わず僅かに口を開けてしまう。
その隙を逃さず、スルリと入ってきた指が口内で動き回り、それを気持ち悪く思って逃れようとするが失敗した。
「おふぁへなぁ」
呆れたが『お前なぁ』と言おうとして更に失敗。指先が奥歯をなぞって上手く言えなかった所為だ。
「ん……」
口の中で指が動き、閉じられない口から声が洩れる。相変わらず背中の物体は喜助を避けながらモソモソと体を動いている。
当然さっき言われた『媚薬のようなもの』も皮膚からの体の中に入っているのだろう。いつも以上に感覚が敏感になっているのが抑え込んでいてもわかる。
そんなの胸に手をついて、喜助が一切の行為を突然止めた。
「な……に……?」
問おうとしたその口が止まる。
喜助から、刺すような視線を体に浴びたからだ。
やはり噂の件で相当怒っているのがうかがい知れて、は自分に身に覚えのない噂に改めて怒りの矛先を向けた。
「分かってるかとは思いますがワタシ、自分の好きなものに対する執着心って半端じゃないんですよね」
「な、に言ってる」
そんなことは最初から分かってるだろう? ということの意味を込めて問いかける。
最初の頃、どれだけ拒否しても否定しても時には徹底的に無視しても、あらゆる手を使って時には職権乱用一歩手前のものまで使って自分の前に現われたのだから、この瓢々とした男の執着心というものは確かにには理解できない類のものであるのだろう。
理解したくねぇけど……と思いつつは話を聞く。
「ワタシを少しでも不安にさせからソレが出来たんです。分かってくださいよ」
「……」
「まだ分かりませんか? ソレはね。ワタシの欲を詰め込んだものなんです。サンが離れるかもしれないって思ったら居ても立っても居られなくなっちゃって。そんな意識で作ったから、ワタシの欲が詰まったモノなんですよ」
唐突に始まった喜助の説明。だが冷静ないつもの調子の、しかし感じる視線は冷たいから恐らく相当怒ってるのが分かる分、心に少しだけ冷や汗が流れる。
「だからワタシには懐かない。そう成ってしまったんです。ちょっと興味深いですよね。同じモノを求める故の嫌悪。水と油のようなもの。本質は同じなのに間に入る物がないと溶け合わない」
そこまで告げると、喜助の手がの弱いところを一気になぞった。
「っんぁ」
予想外な痺れに思わず声が出て、のけぞった首に唇を当てた喜助が「やっと声を上げましたね」と満足そうに言ってから、ゆっくりと耳元に移動して
「そうそう、知ってますか? 現世でこんな話がありましたね。お互いを好き合ってるものが川を挟んで会えないというお話。年一回だけその川を渡らせてくれる橋が現れる」
近すぎる吐息が掛かって話の内容がよく聞き取れなかっただが、恐らく現世の七夕と呼ばれる伝説の物語のことを指しているのだろうとはなんとか理性を総動員させて考える。
そして次の言葉に、目の前にいる浦原喜助という死神のそのヒネクレ具合が見て取れて、一気に気持ちが引いていくのをは自分の中で感じ取った。
「だけどワタシに言わせると、二人はその橋を取り合ってるようにしか聞こえなかったんです」
オイ……
お前、それは……
それはだな……
「単にお前が屈折してるだけだろう?」
と、物凄く冷静にそう突っ込んだ。
アトガキ