Sky Lord
20.Gravepost
緩い風が吹く林の中を、二人の東洋人がキャリーケースを引きながら歩き、目的の前で足を止める。
簡素な墓石が並ぶ、誰も入ってない墓の前に立った二人のうち一人がそれを見て悪態を吐いた。
「ったく。誰も入ってねぇなら建てる必要なんてねぇのにな……」
「なんで墓なんか建てたんや」
そもそもの問題として、なぜ誰も入ってない墓が必要だったのか。
ずっと疑問に思っていた侑士がやっと問いかける。
「死んでるなら必要だろ? っていう誰かの意思さ」
「誰かって誰や」
「知らねーよ」
吐き捨てるように告げるを見た侑士が、少し驚いたような表情になる。
こんな乱暴な口調のを初めて見るからだ。
「なぁ」
「ん?」
「随分口調変わるんやなぁ。びっくりや」
「悪い」
だが本気で悪いとは思ってないのだろうことがアリアリと伝わってくる。
だから侑士も気にせず言葉を続けられる。
「それがの素なんやね」
「まぁな」
「さて、そろそろ戻るか。帰りの飛行機の時間もあるし」
時計を見てが告げる。
北の国だからか、まだ太陽は高い位置にあるのだがすでに時間は十八時を過ぎており、帰りの飛行機の出発が迫っていた。
そして、一体ここはどこなのか。
ずっと気になっていた侑士が改めて問いかけた。
「戻るって。ここ、飛んだ場所からどんだけ離れてるん?」
「南西に四百。さらに西に五十」
「そんなに!?」
まさかそんな距離を一瞬で移動しているとは思っていなかった侑士は驚く。
しかしロシアという広大な土地を、例え観光目的ではないからといって一泊二日、いや無箔二日で行って帰ってくることなど、こうでもしないと出来ないだろうと納得する。
普通に移動するとなると二泊三日くらいかかるだろう距離だが、一瞬で移動できるなら数時間程度で行って帰ってくることが可能だ。
だからこんな弾丸旅行が可能なのかと侑士は思い至る。
「日本からでも飛べるけど、それやると密入国になるだろ? だからやらないだけ」
「そういう良心はあるんや」
答える声に、苦笑いが混じる。
「良心じゃない。どっちかと言うと保身だな。ま、昔は越境なんて関係なかったけど」
「せやろなぁ」
すでに入国関係で色々あったのを知っている侑士は、の答えにただただ苦笑するしかなかった。
「戻るよ、侑士。名前出して」
キャリーケースを握り返し、が促す。
「わかってる」
背中に集中して侑士が名前を出す。
繋がっている糸がキラキラと光って、その糸がの背中から広がっていく光景はまさに幻想的だった。
の本当の名前がWINGED、翼あるものとはよく言ったもんだと侑士は思う。
殺風景な林の中に、まさに天使が降り立ったように見える。
まるで羽が生えるように糸が広がっていく様子はとても綺麗で、これは確かに小学生の子どもが見たら欲しいと思うだろうな、と侑士は心のどこかで納得する。
しかし、その『天使』から出る言葉は極めて現実的だ。
「あと、できれば命令してくると助かる。そっちの方が力が強く出せるから」
「命令なぁ。明確に出すんは初めてやな」
「だな」
そう答えたの手を取って口元に持っていき、そのまま甲に唇を落とす。
「侑士……」
「えぇやん、これくらい」
咎める口調で言いつつ睨んでくるが気にしない。
「ったく。時間ないんだからふざけてないで……」
「じゃ、空港戻ろか。誰も居らんとこに」
言葉を遮って発言した侑士に何か言いたそうだっただが、何事もなかったようにニッコリと笑う彼にグッと言葉を呑み込み、悔しそうな声で
「了解」
と言った。
空港ターミナルの一番端に出てから、二人は特に疲れた様子もなくゲートを通り、搭乗口に居た。
機内持ち込みができる大きさのキャリーケースをそれぞれ持つ風景は、いかにも兄弟か従兄弟で簡単に観光してきました、といったように見える。
とても四百五十キロの距離を往復してきたとは思えないその光景を、不思議がる人は誰もいなかった。
「着替え、必要あったか?」
これでは一泊二日というより無箔二日だ。
しかし体を動かして移動していないせいか、全く疲れていない。
六時間という時差の影響はあるが、それでも体は楽だった。
「無かったな。でも、入国するとき観光って言いやすかっただろ?」
「そうやけど」
空港の搭乗ゲートの椅子に二人並んで座りながら話が始まる。
「せやけど、名前って便利やねぇ」
「そうだな」
「こういう平和なことに使えるのはえぇことやと思う」
「ダケだったら良かったんだがなぁ」
「が言うと、実感ありすぎてなんも言えんわ」
木の棒が立つだけの殺風景な共同墓地と、誰も入っていないの墓を思い出して侑士が答える。
戦争に投入され、人知れず死んでいった名前を持つ者たちの墓と『死んだこと』にされたの墓。
確実にこの国の闇の一部だ。
「ま、えぇ経験させてもろたわ。の原点も知ることができたし」
を含めた部隊の人たちがあそこで何を誓ったのかは教えてくれなかったが、あそこから今のが始まったのなら、それを知ることができただけでも非常に意義のある旅だったと侑士は思う。
話だけでは実感が湧かなかったから、こうして経験させてもらっているだけでも付いてきた甲斐があるというものだ。
ビザ関係で少し手を回してもらったらしいが、何をしたのかは深く突っ込むのは止めようと侑士は思った。
世の中、知らない方がいい事もあるとは、まさにこの事だと思ったからだ。
「そうか」
と答えるは、どこか笑っているように見えた。
ひとまず日本に戻った時、やらなければならないことを考えながら侑士は自分の左側に座って目を瞑っているをチラリと見た後、窓の向こうに広がる上空へと視線を向ける。
この空が、隣で眠る男の領域なのだと。
この、人を寄せ付けない光景がの扱う世界なのだと、しっかりと目に焼き付けるために。
昔から何度も乗ってきた飛行機を、いや、この高さから見える景色に対して、ここまで感慨深い気持ちになったのは初めてのことだ。
命令する以上、知らなければ扱えないことは重々承知している。
だからこの旅にも無理矢理だが付いてきた。
名前を持って数日の侑士は、元から持っている手塚とは差がありすぎるのだから、余計に知っていかなければならない。
だが、その差を埋められる自信が侑士にはある。
出来なければ、隣に座る男は絶対に手に入らない。
「AIRLESSの名前、絶対使いこなしたるからな。覚悟しぃや? 」
侑士は誰ともなしに決意表明して、そのまま静かに目を閉じた。
アトガキ
2023/08/17 CSS書式+加筆修正
管理人 芥屋 芥