Sky Lord
17.In the Roof
「起きたか?」
「おはよう、」
「侑士、腕ほどいてくれ。起き上がれない」
「えぇやん。休みなんやろ?」
腰に腕を回されて起き上がれない中、侑士が甘えた声で力をこめて来るのをペシリと叩く。
「お前は休みでも、俺は休みじゃないんだよ。それに明日から墓参りだ」
「墓参り?」
腕を腰に回したまま、寝起きの侑士が上体を起こして顔を覗き込んでくるのを、不機嫌な顔を隠さずに言ってやる。
「あぁ。張の旦那からの命令だからな。行かなきゃならん」
にとって、張の旦那の言葉は絶対だ。
例え命令でなくても、見ていなくても実行に移さなければ気がすまなくなる。
これが手塚や忍足にはない、本来の名前の繋がりの相手の『力』だ。
いや、二人の言葉にも拘束力はあるのだが、本来の相手ほどではないところがの中で彼らの優先順位が若干低い理由でもある。
「行くってどこや?」
の不機嫌さを察しながらも、気にしない様子で侑士が問いかけてくる。
「……ロシア」
答える必要があったのか疑問だが、の口は動いていた。
しかし声が小さかったのか、侑士が顔を近づけて再度問いかけてくる。
「なんて?」
「ロシアだ。俺の生まれたところ」
「、ロシア生まれなん?!」
信じられないといった侑士の言葉に逆に驚く。
てっきり昨日の話から推察していたと思っていたからだ。
「まぁ……な。てか、昨日の俺の話で察してたんじゃないのか?」
「いや、なんとなくそう思ってたけど……。で、墓って誰の墓や」
「……」
できれば墓の話は流したかったのに、変化球で戻ってきて言葉に詰まる。
黙ったに、侑士が答えを促す。
「?」
名前を呼ばれ、諦めたように答えを告げる。
「誰のものでもない共同墓地と……俺の墓だ」
「の墓?!」
「あぁ。言ったろ? 俺は書類上三回は死んでるって。その内の一回目の墓だ」
墓参りはにとって二つの場所を指す言葉だ。
一つは、誰のものという個人の墓ではない、死んだ仲間の眠る共同墓地。
もう一つは、その共同墓地と同じ敷地ある自分の墓だ。
そして、張の旦那の言った『墓参り』も同じものを指すのだろうとは思う。
旦那が何を考えて『墓参りに行け』などと言ったのかの真意は不明だが、それでも彼の言葉には拘束力がある。
だからは、タイから帰国するその日にロシア行きのチケットを取った。
「なぁ」
「なんだよ」
「一緒に行ってえぇか?」
「は?」
唐突な提案に思わず間抜けな声を出してしまった。
「流石に言ってみただけや。で、その墓参り、誰と行くん?」
「俺一人だ」
「ほんまに?」
の眼を見て問いかけてくる侑士の声は冗談半分真剣半分といった様子だったから、もそのノリで返す。
「なんだ。手塚でも連れて行くと思ったか?」
「一応な。聞いてみただけや」
「連れて行こうか迷ったよ。正直」
「迷いはしたんや」
「あぁ。だが今の自分の戦闘機は俺だからって言われて断られた」
「手塚らしいな。せやけどなんで迷ったん?」
「AIRLESSも、MERCILESSも、俺が前任者を殺してるからな」
その言葉に、見下ろしてくる侑士の表情が険しくなる。
「」
「なんだ?」
「そんなこと、言うなや」
「事実だ」
「事実でもや」
「……侑士、悪い。俺はもう、お前に対して今までの顔ができなくなってる」
今までの表の顔ではなく、どこか影を落とすもう一つの顔。
言葉遣いも『先生』が使うものにしては適さないものが多くなる。
しかし、これが本来の姿だし、仕方ないと割り切ってもらうしかない。
それをどう説明しようかと考えていると、侑士が勝手に結論を出した。
「そればっかりは俺が慣れていくしかないんやな」
「悪い。そうしてくれ」
「なぁ」
「ん?」
「改めて聞くけど。その『力』で人……やったことあるんか?」
「だったらどうなんだ? 怖くなったか?」
「怖ないよ。怖ないから聞いてる」
言い切った侑士に、度胸はあるんだなと頭の冷静な部分が考える。
「あるよ。それが実験部隊の主な任務だったし」
正直に答えると、辛そうに目を細めて見下ろしてくる。
そんな侑士に軽く息を吐いて告げる。
「侑士。同情ならやめとけ。同情誘うならもうちょいイロつけて話したよ。同情されたくないから、事実だけ話したんだ」
「……俺は、別に……」
「だからお前に出会ったとき、まぶしいって言った意味、分かるだろ?」
あの時見た侑士には未来があって、輝いていた。
それがキラキラ光っていて、血と硝煙にまみれてきたにとってその光景はまぶしすぎた。
だから真っ直ぐ育って欲しいと思ってきた。なのに……
それを名前が全部ぶち壊した。
結果こうやって言い寄られている。
困ったもんだ。
「……せやけど俺は、が好きやで?」
「結局そこかよ」
何を言ってもそこに収縮する侑士に、呆れたような、脱力したような声音が出る。
「せやからもう一個の顔も含めて全部知りたいって思うんやろな。言っとくけどこれは同情やないで。俺の意思や」
いつも架けている伊達眼鏡を付けず、真剣な表情で見下ろしてくる侑士の顔は少年から青年へと変わる中にあって正に男の顔をしていた。
しばらくの間そんな侑士の顔を見上げていたが、諦めたようにが先に視線をそらした。
「……分かった」
「何がや」
「飛行機のチケット、一枚余ってる。俺がどんな人間か、どんな人間だったか知りたいならついて来たらいい。ただし、一泊二日で帰ってくる弾丸旅行だ。ついてくる気があるなら、今から大急ぎで……」
「!!!」
発言の途中でガバリと覆いかぶさるように抱きつかれ、は焦る。
「コ……コラ!」
「大好きや!!」
ギュッと密着してくる侑士の体を、なんとか引き剥がしにかかる。
「わ、わかった。分かったから!」
「じゃ、早速家帰って準備してくるわ。パスポートと着替えだけでえぇか?」
「そう……やな」
勢いに押されてるは、言葉足らずに答えるのが精一杯だ。
「今日の夜、また来るから泊まらせてや!」
「あ……あぁ……分かった」
珍しく心そのままに嬉しさを表現する侑士の勢いに押され、思わず了承してしまう。
そんなに、上体を起こしベッドの縁に腰掛けた侑士が聞いてきた。
「せやけどそのチケット。ホントは誰のやったん?」
「だ。名前がいつ移るか分からなかったからな。予備で取った分だよ」
「なるほどな。にはホンマ感謝やな」
本当に嬉しそうに侑士が小さくガッツポーズを作る。
「何がだ。ほら、時間ないんだから急いでくれ。家の人にも言っとけよ」
上体を起こしながら急かすと、勢いよく縁から立ち上がって
「分かってる。ほな、また夕方来るわ!」
そんな言葉を残して、大急ぎで着替えて家を出て行った。
「ふぅ」
一人になった部屋では大きく脱力し、再びベッドに沈む。
一泊二日で、しかも観光に行くのではないのだから準備は簡単でいい。
昼からゆっくり準備しても間に合うのだ。
しかしやることは多い。
空港からの移動手段……は考えなくていいとして、まず、記憶の底から共同墓地の場所を思い出さなければならないこと。
場所を特定できないと『飛べない』から、そこは重要だ。
場所は南西の方だった。
少なくともモスクワ近辺ではない。
白樺の林が立ち並び、殺風景な雰囲気が続く道の奥にそれはある。
段々思い出してきたは、改めて一息吐くとベッドを抜け出してそのままルーフバルコニーへと足を向ける。
「はぁ。タバコが吸いてぇ……」
軍に居た頃はバカスカ吸っていたのに、この国へやって来た時に未成年だからと強く禁止されて以降、すっかり非喫煙者になってしまった。
それでも強烈に吸いたくなるのは、意識が昔に戻っている証拠だとは自覚する。
タバコを吸ったところで問題が解決する訳でもないのは重々承知している。
ルーフバルコニーのフェンスに腕を置き、抜けるような夏の青空を見ながら珍しく弱音を吐く。
「ったく……俺もヤキが回ったもんだ……」
手塚の一件から前線に立つことができなくなり、今ではすっかり青春学園高等部の先生だ。
とは言え、去年の修学旅行の時のように、また先だっての戦闘のようにたまに顔を出すこともありはするが、それでも基本的には『先生』として過ごすことの方が多い。
環境の違いか、それともそこまで『昔』というものに自身が囚われていないからか、このヌルさに身をおいていると、自分が軍の実験部隊出身だということを時折忘れそうになる。
未だに戦争を待ち望んでいる彼女とは随分と道が分かれてしまった。
だからか、とは思う。
だから彼女は事ある毎にあの街に来いと誘うのだ、と。
それでも、その光を知ってしまった。
黄昏に立つ自分は、それを大事にしたかった。
光は簡単に闇に染まる。だからこそ……
「そっか。やっぱり知られたくなかったんだな、俺……」
しかし思いむなしく、強く求められて全部話した。
そして、何故張の旦那が『墓参りに行け』と言ったのか、その理由にも思い至る。
を連れて行けと言わなかったのは、近く名前が移ることを見越してのことだ。
移った先が誰であれ、にとって光なのは変わらないのだと。
そしてその戦闘機は本来は闇の側で、本当の主は自分なのだとその相手に知らしめる。
張の旦那は能天気でも底抜けのバカでもない。
自分の言葉がを支配することを重々承知している。
だからこそ、その一言での行動を制限したのだ。
「ここまで読んでいたとしたら、大したもんですよ。旦那」
腕を伸ばし、空を見上げてそう呟く。
それでも、この黄昏に立つと決めたのは自分だ。
こんな嫌がらせ程度で立ち位置を変えるつもりは更々ない。
ルーフバルコニーのフェンスの縁をギュッと握って、改めては決意した。
アトガキ
2023/08/11 CSS書式+加筆修正
管理人 芥屋 芥