「彼を戦線に復帰させるわ」
椅子に座り、書類を見ながら女が言った。
その作戦は苛烈で大胆。
周囲からは女傑と称されるFAFの少将である。
「どうしてですか。奴はただの整備員でしょう」
それに机を挟んで精一杯の反論しているのは、ジャケット着たラフな格好の金髪の男だ。
「そうだけれど、彼はまだ乗れるんでしょ? だったら貴重な戦力にはなるわよね」
持っていた書類をデスクに置き、サインをしながら言うその態度に相対する男は声を荒げる。
「少将!」
「何か?」
さして気にも留めていない風に女は問いかけに質問で返す。
「お言葉ですが、今のあいつが戦力になるとは、私は到底思えません」
デスクの端を掴んで男が訴える。
が、女は答えを曲げない。
「そうかしら? 一度魅入られた人間がそう簡単に離れられると、あなたは思って?」
「ですがッ!」
あいつは離れるためにコックピットを降りたんだ。
今更!
だが目の前に座る女傑は冷静だった。
「離れられるなら、事故を起こしたときに離れていたはずよ。でも彼は軍から去らなかった。整備員として、彼は自らの意思で残ったのよ」
核心を突く言葉を吐いて、女は仕事に戻った。
「それにこの件。今回彼を送り込んできた地球側の頼みでもあるわ。いい加減腑抜けているから、そっちで鍛えてやってくれって、ね」
地球で彼がどのようにして過ごしてきたのか知らない男は、その言葉にただ、呆然とするしかなかった。
いいから座れ
「なんで座らないかって?」
驚いた顔をしたのも一瞬だった。
次の瞬間には、少しの苦笑いの表情がの顔に貼り付いていた。
そして彼はこう言った。
「だって、あそこは君の席だから」
と。
「そ、れ……だけ?」
あまりにも明快な答えに拍子抜けした零は、少し困った様子で聞きかえす。
「それだけだよ?」
と、作業用の手袋を外しながらが答える。
「どうしたんだ急に」
が戦闘機のコックピットに座らないのは、そこはパイロットが座るべき場所だから。
だが、その答え以上にはコックピットに座ることができなかった。
その理由は彼自身十分すぎるほど分かっているのだが、どうしてもそれが克服できない。
ましてや、そのままキャノピーが閉められてしまえばどうなるか分からない。
だから必要最低限しか座らないのだが、それをこの少尉は見ていたのか? ずっと?
には、この少尉がそこまで他人を見ていることの方が驚きだった。
他人に興味がない。
だからこそ特殊戦に配属されている人間だろうに、『他人』が気になるとはどういうことだ?
は、この少尉が雪風に関することでは一歩も退かないということを知らない。
ブッカーとの会話から察してはいるが、直接聞いたことはないので確信を持っていなかった。
だから彼は、純粋に興味で聞いた。
何故自分を見ているのか? と。
「いや、なんとなく」
歯切れ悪く零が答える。
「そうか」
変わったこともあるもんだとは納得し、それで話は終わる、ハズだった。
緊急発進が発令されるまでは。
「クソッ。帰ってきたばっかりだってんのに忙しいこって」
鳴り響く警戒音に、パイロットと整備員たちがどこからともなく飛び出してきて、再び慌しくなるハンガーでは一人ごちた。
そんな中、指揮所からブッカー少佐の声が雪風の無線に割り込んできた。
『、そこにいるな? お前がRioだ』
「少佐!?」
コックピットに座ろうとしていた零の声が珍しく驚いている。
『深井少尉、今は発言を禁ずる』
と少尉を牽制するように言って、そこにいるハズのに向けて言葉を続ける。
『。お前のライセンス期限は確認しているが、それでなくてもお前はまだ乗れるはずだ』
「ッ!!?」
果たして、その動揺はどちらのものだったのか。
ブッカーの声に耳を、言葉に視線を傾けている二人には分からなかった。
やがてコックピットの縁から、無線に顔を向けていたがその声の主に口を開いた。
「ブッカー……。お前、自分が何を言ってるか分かってんだろうな」
とうの昔に降りた空だ。
今更戻れないことくらい、いくら事ある毎に空に戻るようそれとなく促してきたこの男でも十二分に分かっているだろうに。
のその声は低く怒気をはらんだ声だったが、無線機の向うの男はしばらくの沈黙の後、
『……あぁ。分かっている』
という肯定の言葉を返した。
それを聞いては、今目の前にブッカーがいないことを幸運だと思った。
そうでなければ顔、もしくは腹の一発でも殴っていたかもしれない。
「俺は、乗る気はない」
痛々しいまでの怒気をはらんだ声で、はなんとかそれだけを言うことができた。
さっき、深井少尉との会話の中で改めて、今後二度とコックピットに乗ることはないと再確認したばかりだというのに!
が、ブッカーはそれをあっさりと拒否した。
『いいや、これは命令だ。データを取って帰ってくるだけだ。リハビリには丁度いいだろ?』
「……ッお前、いい加減にッ……!」
だが、次のセリフでは黙らざるを得なかった。
『お前がここにいるのは、地球側に『そのつもり』もあったんだ』
「なッ……!?」
が驚いた表情をしながら、上を見上げてブッカーがいるであろう場所を睨みつけるように見た。
だがお互い姿が見えるはずもなく、無線だけが彼の声を届けている。
『そういうこと、だ』
沈黙が降りた。
周りが騒がしい中、雪風のコックピットの周辺だけが沈黙を下ろしている。
しかし状況は逼迫しており時間がない。
現に発進準備を、梯子台の下にいる地上誘導員に急かされている。
乗るか反るか。
鳴り響く発進準備の完了を待つ音が、少しずつの心を揺さぶっていく。
しばらく逡巡したは、やがて顔を下げ
「随分と回りくどいことやりやがって。ブッカー、言っておくがこの貸しは『デカイ』ぞ」
と言った。
『それは指令を下した少将か、地球の方に言ってくれ。というわけで深井少尉、聞いたとおりだ。Rioはになった。いけるか?』
言葉の前後で相手を代えてブッカーが問いかける。
それに表情一つ変えず
「問題ありません」
と深井少尉が答えた。
『じゃ『GoodLuck』』
それを最後に彼は一方的にマイクから離れ、電子の向こうへ消えてしまった。
それを受けたは一息大きく息を吐いて、雪風のコックピットの中にある座席をジッと見る。
その様子を零が、出撃準備を行いながら見るともなしにジッと伺っていた。
操縦席に座って直ぐにが言う。
「改めてよろしく少尉。そして、雪風」
雪風の名を呼ぶとき、が一瞬躊躇ったのを零は聞き逃さない。
「あんた、辞めた後は乗ったのか?」
と、彼は珍しく自分から口を開いた。
「……いや、乗ってない。地上では何回かあるけどな」
地上では。
ということは、空には上がっていないということの答えそのものだ。
「さっきの少佐の言葉でも分かったと思うけど、ちょっと訳ありでな。それで今、荒療治を喰らってる」
自虐するように言うと、降りてくるキャノピーを見上げて
「少尉」
と、が零を呼びかけるが、発進準備をしており何も反応しなかった。
だが言葉は聞いているのだろうことを察したが、続ける。
「もしかしたら、俺は途中で意識失うかもしれない。でも、その時は容赦しなくていいから」
それはつまり、もし自分がレッドアウトしたとしても、それに頓着することなく任務を遂行してくれという事。
「了解」
その意味を踏まえても尚冷たく答える零の言葉には、何の気持ちもこもっていなかった。
差し出されたファイルに、金髪にジャケットにジーンズ姿の男ブッカー少佐が驚きの声を上げた。
「彼もまた、戦闘知性が見出した一人、ということですか?」
「えぇ。そうよ。今のシルフィードが、シルフィードになる前の話だけどね」
長い髪を鬱陶しそうにかき上げて、女傑と呼ばれる少将が答える。
今彼の目の前にあるのは、あの事故の隠された真実の一部だ。
「彼がテストをしていたのは雪風の前身の機体なのはあなたも知っているでしょうけれど。その機体がジャムと接触したとき、彼だけが残った。というより、機体が彼を守ったというべきなのかしら」
「それって……どういう、どういうことですか!?」
答えてブッカーは、先日彼が言った言葉を思い出していた。
『彼は、俺と同じだ』
あの時聞こえなかった言葉が、ブッカーの耳に今になって届く。
「つまり彼は戦闘知性体に好かれている、もしくは何かしらのコンタクトを取れる存在。この辺りは判断が難しいのだけれど」
研究だって万全じゃない。
完全ではない。
だからこそ、彼をあの少尉の雪風に乗せることにした。
その為に、地球で仕事をしていた彼をあれこれ理由をつけてこちらに引っ張ってきたのだから。
何かしらの成果が上がるだろうことを信じて。
「というわけだから、彼らを中心にした作戦を立てていくわ。それでいいわね? ブッカー少佐」
それに「はい」と答えるしか、彼には残されていなかった。
帰って来い。
部下が任務につくと、いつもブッカーは思う。
零、そして。
二人共、揃って帰って来いと。
「見えました」
オペレーターが捉えた光点を見て報告する。
「妙ですね。速度が少し遅いです。事故でしょうか」
その言葉を聞いた瞬間、彼は滑走路へと走っていった。
常よりゆっくりとした風を巻き込みながら雪風は着陸した。
エンジンが止まり、整備員が駆け寄ってキャノピーがゆっくりと上がっていったとき、二人のヘルメットが見えた。
そして直ぐに動いたのは零だとブッカーは確信した。
同じくRioとして座るもまた、零に続いて動いたから、とりあえず生きていることだけは確認が取れて彼は肩をなでおろす。
ハンガーの中に機体が運ばれても、はそこから出てこようとはしなかった。
いや、出られなかったのだ。
やがてブッカーが、医務室に運ばれたの部屋の前に来た。
そこに零が先に来ていたのには驚いたが。
「事故でもしてるのかと思った」
着陸のとき、なぜ速度が遅かったのかそれとなく尋ねる。
シルフィード系列の機体は、離着陸に関しても地球のそれとは全く性能が異なる。
あのような遅い速度では、逆に事故を疑われてもおかしくなかった。
「中でへばっていたからな」
と、珍しく零が答えた。
誰が、とは言わなかったが彼なりに気にしている人物のことを心配したのだろう。
それにブッカーが一息交じりに「そうか」と答えると、彼はやがてそのドアを開けた。
「どうだった?」
と、ドアの向こうの空気を一新したブッカーがに聞くと、力弱い声で返事が返ってきた。
「貴様……覚えてろ」
と。
「だがこれからも乗ってもらう。これは命令だ」
ハッキリとブッカーが告げた言葉に思いっきり項垂れたは、もうヤケクソだ! とばかりに了承した。
「……当分の間は、リハビリさせろ……この、クソ上官」
と。
アトガキ