war of wrong
「ここで」
と黒い服を着た小太りな男が神妙な顔をして言う。
「悪くない人生でしたな」
と、向かい側に座る白い服を着た男が答える。
その傍らには、誰かから頂いたという短剣が添えられていた。
既に重巡筑摩・利根の消火も虚しく、体もまたあちこちが痛み出し操舵不能。
艦内機能は停止しているも同然で、苦楽を共にした乗組員たちも、もやは少なくなった。
ただグルグルと海域をめぐるだけにあって、上を通る敵艦載機が鬱陶しい。
しかし守る翼は皆海に消えた。
今から我らもそちらに向かう。
慣れ親しみ、苦楽を共にした、脱出した乗組員は無事だろうか。
遠い彼方に離れてしまったボートに乗った船員のことを思い浮かべる。
誰か、近くにいれば良いが……
そしてこの航海が最期になってしまったことを、ただただ空に海に詫びる。
未だ炎燻る穴ぼこだからけの甲板と、味方による魚雷によりボロボロだ。
勝利の風は、どうやら御国にではなく敵に吹いているようだと悟ったのは、艦内の連絡系統が上手くいかなかったとき。
残念だが御国は……
しかしながら我に口はなく、語れることは少ない。
調子は乗組員たちが見、舵も何もかもを人に任せて進む我には……
時間にしてどれくらい経っただろうか。
あぁ、終わる。
体が少しずつ傾きだす。
「沈みますかな」
白い服を着た男が言った。
「もし、この状態で『次』があるとするならば、今度こそ勝ちたいものですな」
と、黒い服を着た将校が答えた。
この男を乗せたのは二回目だが、よく覚えている。
海水が入って、艦内を満たす。
残ったものは、全て海底に沈むのだ。
このまま……
そう思ったときだ。
艦内に異変が起きたのは。
ソレはジワリと侵食し、ついには艦を突き破った。
その時、一人の男を見た。
見慣れぬ、扉ばかりの廊下のような場所にポツリと佇む机の向こうに座る、線の入ったシャツを着、タバコを吸い新聞を開いて読んでいた眼鏡をかけた神経質そうな男だった。
『?!』
言葉を失う我と同様に中にいた黒服の男もまた、言葉を失っているようであった。
そして去り際に男が発した声は、無関心とも言える視線でチラリとこちらを見た後の
「次」
という事務的な言葉であった。
次に気が付いたとき、眼鏡の男は既に居なかった。
やがて、深く暗くなる海中から一気に視界が開け出る。
穏やかな海上へと視界が広がる。
ただし、そこは元の世界ではなかった。
何がどう違うのかと問われれば我には分からない。だが、明らかに「何か」が違うのがはっきりと分かる。
それは男の方も同じなようで、艦橋に立ち、双眼鏡をを持って周囲を見渡しながら
「……何が……」
と黒服の男は述べるが、その言葉に返す者はいない。
当たり前と言えば当たり前だろう。
このような状況など、我の知るところではないからだ。
何より艦内で生き残っていたのは、黒い服を着た男だけであったから。
幾日漂流しただろうか。
舵も効かず、操舵する者もいないわが身はただ、彷徨う。
やがて座礁し、我は完全には動けなくなった。
しかしその頃から、黒服の男に尋ねてくるものがあった。
今までの『世界』では見なかった、竜という生き物に乗った男たちであった。
いや、我が生まれた世界では、と言ったほうがより正鵠かもしれぬ。
とかく、我は乗組員たちが持ち込んだ空想科学の小説か何かの世界でしか存在しえなかった生き物が、我の甲板に降り立っていた。
しかも、黒服の男と何やら交渉をしているようであった。
「しっかしこの船。ぼこぼこですねぇ」
見慣れぬ生き物に乗った見慣れぬ格好をした男がしゃがみ、言葉と共に腕を伸ばす。
ベリッという音を立てて、甲板に張られた板が剥がれた。
『……甲板板を持ち上げるな』
完全な状態ならば決して剥がれることのないソレ。
艦載機を送り出し、またそれらが帰る場所でもある我の体。
しかし今の我が体は……
そして、艦を預かっていた黒服の男の気配が変わる。
それに気づいたのか気づかなかったのか、年若い男が振り返って聞いた。
「提督って、漂流者(ドリフ)なんでしょ?」
『……ド……リフ?』
同じ事を思ったのか、黒服の男が面食らったようであった。
「なんだその「どりふ」っちゅぅのは」
「ドリフってのは、こう、異世界ってやつから流れてくる人やモノのことっすよ。まぁ提督みたいな、こんな馬鹿デッカイもの連れてくるのは中々珍しいっすけどね」
立ち上がり、甲板と海を交互に見渡しながら男が答えた。
だからこそ、直ぐに『商会』の網に引っかかったのだと、どこか懐かしい気質を漂わせる男は言った。
ここでも戦争をしていると見慣れぬ格好をした男が言うと、黒服の男の顔が一気に軍人となった。
次があるならば勝ちたいと言った黒服の男の名は山口多聞。
階級は少将である。
「勝算はあるのかね?」
「そっちが何か案を出してくれるなら、諸々の保障はしましょ?」
「……うむ。取引か」
「そりゃ商売っすからね」
にやりと笑った男に、どうやら成立ようだと思った。
グリフォン、と呼ばれる翼を持った獣とそれに乗った男たちが飛び立っていく。
最後の、「隊長」と呼ばれる男に、男が告げた。
「そうだな。もしこの作戦が成功したら「トラトラトラ」と叫ぶといい」
「トゥ……ラ?」
「トラ・トラ・トラ、だ」
「ナンなんです? それ」
「さぁな」
黒服の男のはぐらかしに、若い男が肩をすくめて戦場へと飛び立っていった。
それを見送る黒服の男は相変わらず厳しい顔である。
それは戦場に立ってきたものの顔であり、何より我がずっと見てきた男の顔でもあった。
アトガキ