状況は最悪だ。
 なんと味方の大将が真っ先に逃亡したらしい。
 司令長官閣下の副官が、俺たちに向かって冷酷にそう告げた。
 いや、冷酷と捉えたのは俺の主観だが、それでも大将が逃げたと聞いて冷静に受け取れるものか。
 なんと言う事だ。
 それほどここで散るのがイヤだったのか?
 死に場所など、いくらでもあるというのに・・・
 それほどまでに『生きる』ということは固執すべきものなのか?
 それほどまでに、こんなところで散る覚悟がないのか?
 覚悟なく戦争をしていたというのか?
 こちらの大将は!
不戻の道
「お腹を撃たれておられます。時間の問題ですよあの人は」
 と西田が若菜に言う。
 しかし若菜はそれを否定した。
 自分の点数稼ぎの為に!
 これほど無能な上官がいていいのだろうか。
 あの人は、副官がもう保たないのは、目に見えて明らかだろうに。
 副官だから?
 だからなんだ?
 この隊全体の人間と、このけが人とを比べてこのけが人の方が大事だと?

 やはり、あの若菜の考えることは、俺には心底理解できんらしい。
「本気かよ。あんな瀕死のけが人を連れて行けなんて」
 と陰口が聞こえる。
 だがそんなことは堂々と言え。
 そうしてる間にも、中尉が二人に近づいていく。
 そして、入れ替わるようにして若菜が療兵を呼びに行った。
 その姿に後ろから誰か分からないが
「点数稼ぎしてる場合かよ」
 なんてことを言っていたが、そんなのはどうでもいいことだ。
 問題なのは今、正に敵がここに向かっているということだ。
 恐らくあの体では馬を早く走らせることは出来なかっただろう。
 今は後退すべき時で、けが人に構っている時間は一刻も無い。
 なのに治療だと?
 運ぶだと?
 それによって、この隊全体が敵に掴まるということを想定していないのか?
 最低三人が非戦闘員になるのを覚悟せよということか?

 だが口には出さない。
 大体言って聞くような男なら、最初の西田の進言で置いていくことを決定しているはずだからな。
 中尉と、一瞬だったが視線が合う。
 そしておもむろに彼が言った。
「この人は、もう駄目です」
 と。
 そして理由を述べる。
 その理由は、やはり先程西田が若菜に言ったこと。
 そして、俺がこの人を見て思ったことそのままだった。
 やがて
「申し訳ありません。副官殿」
 と言うと、ドッ・・・と短剣を副官に突き立てトドメを刺す。
 それを見て先程までの考えなどすっかり消え去り、頭が冷静さを取り戻す。

「中隊長殿を呼べ」
 そう言われ
「中隊長殿。中尉が呼んでます」
 と彼に呼びかけ、そして『副官』がただの女。そしてモノへと変わっていくその変化を、じっと冷たい目で見下ろしていた。

 あぁ。この女(ひと)は、その境界線を越えてしまったのか、と頭のどこかが考える。
 そしてそのトドメを刺したのが中尉。
 何故?
 決まっている。
 足手まといだから。
 元々怪我を負っていた人間だ。
 どう見ても助からない人間だからトドメを刺した。
 そして、俺は何故かその副官が、少し羨ましいと思った。

「亡くなりました」
 猪口が言う。
 だが戦場では常に付きまとう敵の気配。
 それに真っ先に反応したのは道術兵だった。
「すぐ後ろから敵が来ます」
 一瞬で緊迫する気配。
 それにしても副官が敵を連れて来ているというのにう、その判断に手間取ったのは若菜だ。
 やはり上層部になればなるほど、この国の軍というのはおっとりしたヤツが多いらしい。
「半刻後には追いつかれます」
 道術兵の言葉にただオロオロするだけの若菜。
 さて、どうするか。
 そう思った時だった。
「それで、追手はどうするんです」
 西田が聞いた。
 それが、俺と西田を分けた言葉だったと思う。
 若菜が西田を呼び、そして、捨て駒としての命令を下した。

 なんてことだ。
『それ』をやるべきは俺のはずなのに。
「なんてこった。死にかけの偉いさんに手間取ってそれですか」
 猪口が言う。
 そして、
「追手を止めたという手柄をご所望かな。若菜中隊長殿は」
 と、中尉が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
 しかし……
 命令は命令だ。
 そしてその命を受けたのは、俺ではなく、西田。
 恐らく俺以上に、これからの戦争で必要であろう西田を若菜は選んだ。
 一瞬だったが、西田と視線が合う。
 俺はヤツに、何も返せなかった。
 本当ならば代わりたいと思う。
 俺は、今まで本気で生きたことは無いから。
 戦争で死ねるなら本望だった。
 今、それが俺の頬を掠めて通り過ぎ、西田の前へ降り立った。

 そして西田は、その命令を受諾する。

 西田が準備を始めると、隕鉄が千早。そして俺の独楽の元に挨拶を交わしに来た。
 分かっているんだ。
 千早も、そして独楽も。
 今この時が、彼等の最期だということを。
 そして、二度と会えないということを。
 準備を終えた西田が言う。
「じゃ、先輩。あとは頼みます」
 と。
 そして、中尉がそれに返事をするが、恐らく西田が言いたかったのはこの隊のことじゃないと、直感的に思う。
 恐らく彼は……

「西田小隊、敵との戦闘に入りました」
 道術兵が顔を真っ青にさせながら報告してくる。
 そして千早が先程から唸っている。
 やはり分かっていたようだ。
 その『捨て駒』という言葉の意味が。

 そしてその瞬間、千早が遠吠えをした。
 あぁ、彼は死んだんだとはっきり分かった。
 何故、彼だったのか。
 どうして俺ではなかったのか。
 そればかりが頭をよぎる。
 そして、親王の軍が戦闘をしている報告を最後に、道術兵が倒れた。

 
 
 
 

 絶好の機会を逃し、俺の戦争は続いた。
 そしてこの戦争。
 誰の手になら負えるんだ?
 この侵略めいた負け戦。
 一体誰の手なら……
 そう思いながら、千早のもとへ歩く新城中尉の背中をジッと見つめるしか、俺にはできなかった。
アトガキ
主人公はほとんど喋ってません。
しかも名前変換がない
2011/12/28 加筆書式修正
管理人 芥屋 芥