「行ってらっしゃい。あと、、 君、これを持っていくといい」


 町に入って一番最初に感じたのは、すごく静かな町だということだった。
 山と山の間にあるらしく、少し高台になっているらしいその町の名前は、知覧町。
 だからこそ、ここが選ばれたのだと車内でポツリと呟いたの言葉に答えるものは誰もなく、車はただそこを目指していた。
 そして、想像していたよりも随分と小さな建物が遠くに現れた。
 街全体がどこか厳かな雰囲気を醸し出していて、車を降りるとは緊張せずにはいられなかった。
 ここが、目的地。
 東京から新幹線と電車で丸一日かけてやってきた建物の名前は、知覧特攻平和会館。
――特攻って、あんな字を書いたんだな。
 と、初めて見るの言うトッコウの漢字に、妙に胸がザワザワするのをは感じずにはいられなかった。
 嫌な予感がする。
 そして、館内は許可された者以外の写真撮影は禁止されているからとカメラ他一切の道具を持たずには自動ドアを、くぐった。
「この先、先生は行かないんですか」
 チケット(これは自腹だった。朝飯は先生のオゴリだったけど)を持ってロビーに入るとは、まるで自分は入らないかのように言うに疑問の声を投げかけて、その返事は彼がその立場に居ると考えるならば至極真っ当な答えが返ってきた。
「だって、俺は『敵』でしょ?」
 と。


 夏休みとは言え、平日の真昼間。
 一地方都市のある建物の中で、高校生と思われる少年が誰もいない建物の中で一人居て、その周囲には、数えるのが困難ではないかと思えるほどの白黒の写真が飾られており、その中心には見慣れない飛行機が鎮座していて、その前に立ってそれを見上げていた。
「綺麗だ。これに会いに、ここまで来たんだ」
 その後ろに歩いてきた恐らく同年だと思われる少年に話し掛けているようで、話し掛けていない独り言を彼は呟いた。
「キ61 三式戦闘機 飛燕 連合国名、トニー」
「戦闘……機?」
 それとさっき、はこの目の前にある飛行機のことを何ていった?
「そう。そこの説明にもあるだろう。旧日本陸軍の戦闘機。飛燕。ここだけなんだぜ。日本で、この機体が残ってるの。液冷式エンジンで、俺が何よりも好きな機体だ」
「……そ……か」
 嬉しそうに語るに、はそれだけを返すのが精一杯だった。


 いつか見た何かの写真集の中にあったそれを見た瞬間、心奪われた。
 明らかに他とは違う、尖った先端に、そして何よりその形に、惚れた。
 そして、作ったのはどこだろうと調べたのがキッカケだった。
 自分に、大人が教えない昔を見るように誘導してくれた存在。
 それが三式戦闘機、飛燕。連合国名、トニーという名の、戦闘機だった。
 お陰で中学の頃は異端扱いされ、白い目で見られたりもしたけれど、それでも自分を曲げることなかった。
 正しかったのか正しくなかったのかは今でも分からないし、結論なんて出るわけも無い。
 でも、焼け野原になったからこそ、発展したという今の流れを見ては心の中で、ある事を確信している。
 そして、それが近い将来本当になるだろうことも。


 そんな、親しみを込めたの視線の相手が機械だと知って、は心の中で反発する。
 彼は、自分よりもこんな物が好きなのか。
 こんな、60年以上前の物が。
 唯一の存在なのに、彼はそれを否定する。
 違う、と。
 それにしても何故だ。まさか、こんな古臭い機械なんかを見るためにここまで来たっていうのか?
 しかし、それが出来たのも一瞬だった。
 の後をに続き、多数の白黒の写真を見て周る。
 そこに書かれた言葉に、確かに何かを揺さぶられた。




 朽ち果てた、これもまた飛行機だった。
 近くの看板には撮影禁止と触ることを禁止する旨が書かれたプレートが立っている。
「?!」
 は驚いた。
 顔を上げたところで見たのは、その朽ち果てた飛行機に、直立不動のまま立ち尽くしてる……
「何やってんだよ」
 は恥ずかしくなっての腕をグイと腕を引っ張るも、まるで足に根でも這っているかのように微動だにしなかった。
「!?」
「ゼロ…」
 自分の思う『ゼロ』と彼の言う『ゼロ』は違う。彼は明らかにこの朽ち果て半身を失われボロボロになった機体を見てゼロと言った。
「零式艦上戦闘機。通称ゼロ。ボロボロになっても、その形の綺麗さは変わんないな。なぁ。ジーク」
 戦闘機を見る目が優しい。のこんな優しい目を見たのは初めてだ。
 そして、いかに彼が昔のもの、特に教わらない戦争の遺産を大事にしてるのかが分かっは居た堪れない気分になった。
 こんなこと、習わなかった。
 こんなのがあるなんて知らなかった。
 こんな人がいるなんて、信じられない。
 でも、その『習わない遺産』を大事にするその人は自分のサクリファイスで。
 目を逸らせない現実が、を襲う。



「戦場で飛ぶ戦闘機は、好きじゃない」
 それは、矛盾した感想。
「でも、そのために造ったものだから……こんなに綺麗なのに……人の命を、奪う」
 より速く、より無駄の無いモノにするためには、美しい形にならざるを得ないという現実。
 綺麗だからこそ、それは一層の残虐性を伴なっていく。
「八月は、キライだ」


 ロビーに出てきた二人に、既にロビーにいて椅子に座っていた手塚が、の後ろを歩いてくる。  そんなの様子には言及せずに[に聞いた。
「もう、いいのか?」
 それは、滅多に来ることができないこの地に思い残すことは無いのかということだったが、これ以上ここに居ると自分の中の感情が表に出てきそうで
「はい」
 と答えて会館を出た。
 会館を出て少し歩いて駐車場へと向かう。
 日なたでは夏真っ盛りの太陽は容赦なく照り付けいて暑かったが、木々の影に入ると近くの店から扇風機の緩やかな風が身体に触れて少し涼しい。
 本当に、古きよき日本の田舎というものを感じては妙な懐かしさを覚えて足の向くままに歩いていると、アイスクリームを売っている店の前にきていた自分にほんの少し呆れたりもする。
「すみません。アイスクリーム下さい。えっと、紫いものヤツ!」



「お、美味そう」
 と言いながら自分もと同じものを頼むのは今までどこにいたのか、何処からともなく現れただ。そして、の出す暗い雰囲気には手塚同様、好意的に触れないでいた。
 そして三人に集まるように言うと
「時間もそろそろだし、空港に行こうか。、空席情報見て。あと、昼飯はどっかササッと食べられるところで食べようか。何がいい?」
 と聞いたので、真っ先に
「ラーメン!」
 と言い、それにが答える。
「んじゃ急ごう。エンドに行くんでしょ」
 エンドという、これまた分からない言葉がの口から出てきたが、はそれをシッカリと受取ったらしく
「当然です」
 と、自信たっぷりに答えた。




 田舎の、東京とは全く違う雰囲気を見せる空港の裏手。
 茶畑が広がる道を走る。
 そして、ここからがの本当の目的の行動が開始された。
 車が路肩に停まると、トランクを開けるようにに頼んで車を降りバチンバチンとジュラルミンケースを開けて、そこから取り出されたのは長い物体だった。
「ようやくこれの出番です」
 そう言って取り出したカメラにセットすると先端に何かカバーのようなものを取り付けて、カメラを構えた。
「……長いなぁ。何ミリ?」
 車にもたれながら、関心したようにが準備するに尋ねる。
「400です。これなら、向こうの機体も十分に撮れますし何より民間機はデカイですからね。裏手と滑走路までの長さまで分からなかったのでとりあえず、標準望遠で」
 と言うと、さっさと空港とを分けているフェンスの方へと足を向けた。
巡空桜花
 あの旅の後、は自問自答を繰り返し、しばらく何も手が付かなかった。
 大学のレポートもバイトも散々で、叱られっぱなしの日々が続いた。
 そして彼は、自分の部屋のベッドでゴロリと寝転がりながら、学校で教えてくれた先生の言葉を思い出していた。


 南先生は、綺麗な言葉で闘いなさいと言った。
 美しいイメージで戦えと。
 でも、そんなモノはどこにもなかった。
 人と人と、国と国がぶつかるとき、美しいものなんて何一つなかった。
 でも、前線で子犬を抱いて写真に納まっている隊員の笑顔は、美しかった。
 明日死ぬと分かっていながら、笑えるその心はどこからくるのだろう。
 覚悟? 違う。そんなモノじゃない。
 そんなものじゃ笑えない。
 もし、自分が彼だったら、あんな笑顔にはなれない。
 自分と変わらない、いや年下の60年前の17歳の……少尉。
 当然同い年の戦闘機乗りも居て、それと共に散った60年以上前に同い年だった軍人であり、少年。
 それに比べて、何も知らずにただ教わったとおりに笑いながら名乗った自分。
『お前、あんな物って名乗ってて恥ずかしくないのか』
『恥ずかしいなんてない。俺はお前の戦闘機だ』
『あっそ。やっぱ恥ずかしいわ。お前』
 今なら分かる。
 が何故そう聞いたのか。そしてそう言い切ったのか。
 あの時の自分には分からなかったけど、今の自分には理解できる。ちゃんとしなきゃと思い、それでも何も手に付けられずにただゴロゴロと布団で転がっていたところに電話が鳴って、思わずの体がビクリと震える。
 そして相手はで、一瞬で何を会話していいのか分からなくなかったが、良かったら自分の学校に来てくれるか? という良く分からない言葉で誘われてがそれに行こうかどうしようか迷った。が、行くことを決めた。
 何故か、行かなきゃいけない。そんな気がしたから。
 それにの誘いなのだから、が一番大きい理由だったのかもしれない。






 連絡をいれて、来るかどうかは半々という予想を立てた。
 来ないだろうと思ってたから。
 でもその人はやってきた。
 隣にはやはり手塚さんが居て、そしてその髪の色に驚いた。
 まさか落としてくるなんて思わなかったから。
 染めてるのは知っていた。基地で出会ったときは金髪で、次に出会ったときは黒髪だったから、その違いに直ぐには気がついた。
 だから、ある意味正規な格好で来るなんて全然これは予想外のことで彼は内心呆然としたまま彼等をそこへと案内していく。
 そして、シュボッという何かの音がしてそっちに目を向けると台の前に座ってライターと線香を持った先生の姿が見えた。
「アメリカは、未だに落としたことを正義だと言って、ただの一度も慰霊祭に参加はしていない。だからせめて、ここでなら線香くらい上げても罰は当たらないだろう」
 と言うと、持っていた線香をその束の隣に挿して手を合わせた。
 それを見ていたが、信じられないといった様子でのことを見ている。そしてが立ち上がるのを待ってから口を開いた。
「いいんですか。勝手なことして」
「いいんだよ。私人としてここに居るんだから。ま、本当は駄目なんだけどね」
 にやりと笑っての問いに答えるの格好を改めてみると、初めて見る喪服っぽい黒いスーツに……
「それにしても、テメェが金髪かよ」
 と、染めたと思ったのか跡部が茶化す。
「あのね、わざわざ髪を染めてるの落としてきたのに」
 答える先生の声は、どこか残念そうだった。
「地の髪の色、そっちなのか」
 と、これには驚いた様子で跡部が言うが、はそれに答えずはにかむように笑うだけだった。
 そして、彼を呼べと言ったのは意外にも跡部だった。
「おい、。あの男を呼べ。少し話しがある」





 学校の前に立っていたのは電話をしてきた相手、だった。
 あの日以来、何日も会ってないが彼の様子に特に変わったところがなくて一先ず安心する。
 もう二度と会うことは無いだろうと思っていたから、嬉しさが先に立ったのも本当で、そんな彼に連れて来られたのは立ち入り禁止の鎖が緩んだ、屋上だった。
「こっち」
 という彼の誘導に後ろを付いて歩くと、見えてきたのはそこに立っていたと手塚、それと中に砂を入れその中に立てた線香の束を燃やした小さな器を載せた台で、何かとても屋上にあるものとは思えないような簡単な何かで、一体、何をしてるんだろう。
「何してんの」
 疑問に思って彼に聞くと、少し暗い笑みになって答えてくれた。
「非公式だけど、俺がやったって何の意味もないけど……俺が主催の慰霊祭」
「慰霊祭……?」
 一体それが何なのか分からなくて立ち止まっていると、あまり聞きたくない声がに届く。
「お前にもし、あの人たちの書いたものが引っ掛かってるなら、せめて線香の一本くらい上げるとスッキリするかもしれないぜ?」
 そう言ったのは、のところからは死角になって見えないところに居た跡部だ。
 彼は、が見える位置に出てくると、そのまままるで帝王がごとく彼に断言した。
「それと、呼び出した理由は他にもある。お前、会館で動揺したんだってな。なら賭けは俺の勝ちだ。約束どおり、から手を引いてもらう」
 と聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
 すっかり忘れていたから。
 そして、何故? どうして? 呼び出されてなんでこんなこと言われなきゃいけないんだ。が頭の中をぐるぐる回る。
 そんなの様子を見て先生が
君固まらしてどうするの」
 と言うけれど、その声に少し他人事のような印象をは受けた。
「関係ない。俺はコイツに動揺するなと言い、コイツはしないと言い切ったんだ。その責任は、キッチリ取ってもらう」
 そして、厳しい声で跡部が反論するその顔は、財閥を動かしていた立場だった小父さんの顔そっくりだった。
 そして手塚は、未だに固まったままのを動かそうとして
さん。悪いですが、そろそろ12時ですので」
 と言い、珍しくの方へとつく。
 そんな手塚の様子を見ない振りをしてがおもむろに口を開いた。
 それは、人の名前でも動物の名前でも何でも無い。
 海と空に散った戦闘機達の名前。
「鍾軌 天山 一式陸攻 五色 弐水 彗星 銀河 彩雲 極光 強風 九十七式 九十九式……」
 と、手塚の声に我に返ったの最初こそ何を言っているのか分からなかったが、やがてそれが何なのか理解しだし、驚いた様子でを見ている。
 こいつ、全て覚えてるのか。
 そう思えるほどに、スラスラと出てくるその名前に、は驚きを隠せない。
 ここまで詳しかったなんて。
 そして、自分が考えていた以上にこんなにも種類があったなんて。そして、こんなにも沢山の種類の戦闘機を、日本が作っていたなんて。
「連山 瑞雲 雷電 月光 疾風 隼 紫電 紫電改 烈風 ゼロ 秋水 震電 飛燕」
 は、自分が今言った全ての種類を見分けることができるのだろう。
 形が違うとか、エンジンがどうとか。後期型とか前期型とか。
 議論を散々繰り返し、検証しているから。
 でも自分には分からない。
 だから
「知らないことばっか……」
 自虐的な気持ちになりながらそう呟いたとき、いきなり鳴り響いたサイレンが続きの言葉をかき消した。
 こんな時間にサイレンなんて一体どこから? いつもは鳴らないのに。
 そう思って周りを見ると、目を瞑り頭を下げている、、手塚そして跡部の三人と帽子を取りそれを胸に当てて少し視線を上にして空を見ている先生の姿。
 対照的な三人と一人の姿を半ば呆然と見ていたが、鳴り響いたサイレンの意味に気付く。
「軍の帽子……」
 それを被った先生が、遠く空の彼方を見てる。
「でも、スーツに軍帽って合わない」
 茶化すようにが言うが、
「だから、非公式だって言ったろ」
 と言って、あくまで私人という立場を崩さないの手が一瞬、帽子から下ろすときに敬礼みたいな感じになったのは気のせいだろうか。


「人の命が掛って、初めてそこから更なる安全というものを考える。更に安全に、守るために。初期のコメットの空中分解事故が起こった結果、それまでの一部分で行っていた飛行機の耐圧テストではなく、一機丸ごと全部水槽に入れてのテストが行われたように」
 静かになった屋上で の、まるで教科書を読み上げるような抑揚の無い声がそこに響く。
 だが、次の言葉は全然違った。
「戦争で培った技術散々使って平和かよ」
 と、まるで吐き捨てるように言ったのだ。
「カーナビ、GPS、インターネットもネクタイも軍手も皆そうだ」
 そこに、自分の周りにある日用品の名前があっては驚いた。
「戦争を否定することは、今ある技術のほとんどを否定するってことだ」
 そんなこと、言うなよ。
 そう言おうとしたが、次の言葉には絶句した。
「俺たちは、戦争の技術なしには今の生活を維持できない。携帯一つ、掛けられない。軍事衛星を使ってるからだ」
 そして、それにが補足した。
「軍事衛星の空き領域を使ってたのは、最初の頃だけどね。今もそうなのかな? でもまぁ、それ言うと皆驚くよね。知らないんだもの」
「八月は、キライです」
 会館で聞いた言葉を、再度が言う。
 悔しさを噛みしめた表情で。
「色々、ありすぎて」
「そうだな。戦闘機だって落ちるし、時には失敗もする。航空ショーで結構落ちてるだろ?」
「……はい。ですが、あれは実戦じゃないです。それに戦争がなかったら、発展も無かった」
「そうだね。技術躍進と争いは、表裏一体だからね」
「そんな中で、アレを落としたのは飛行機です。そしてそのハッチを開けスイッチを押したが中の人間なんですよね」
 ゾクリとした。
 冷や汗が流れる。
 の、初めて見る暗い表情に。
「俺は典型的な核アレルギーを持ってるけれど、二発も打たせるほどの相手だったことだけは、旧日本軍を誇りに思いたい」
 沢山の人が死んだ。
 地獄の光景。
 そして、今も……懸命に生きている人がいる。
 戦闘機には確かに積めないけれど、同じところから発達してるという点では変わらない。
「それでも俺は戦闘機が好きなんだ。例え今でも、アレを落とした飛行機を作った会社が今でも戦闘機を作っているとしても、それでも俺は好きなんだ」
 だからこそ、人と機械を同列には扱えない。
 人は自らの意思で動く。だが機械は指示待ちで、それを動かすのが人なればこそ。
 あんたは自らの意思で携帯を取り、ここまで来た。
 生きているのはあんたの責任で、俺の責任じゃない。
 そこまで俺にあんたの責任は取れない。
 だからあんたをモノ扱いしないよ。
 あんたは、自らの意思で動く『人間』だから。
「だからさん。悪いけど、俺はあんたを、そんな風には呼べない」
 言われた。
 言われてしまった。
 分かってたことだ。
 今更、そんなこと聞かなくたって、最初から結論は見えてたじゃないか。
――やっぱり、来なきゃ良かった。
 心底そう思った。でも、ここに来ることを選んだのは自分で、その結果この結論を聞かされている。
 過去の『もしも』は取り消せない。
 それはの言葉だったが、はこの時まともにそれを実感した。
 だから受け入れなきゃいけない。
 ここに来ると決めたのは、紛れも無い自分なのだから。
 それに、あの会館でずらりと並んだ写真と手紙を前にして彼は一滴の涙も流さなかった。
 大泣きした自分とはエラい違いだ。
 涙を流さずには読めなかった。
 これ持っていけと、直前にに渡されたハンドタオルを小馬鹿に思いながら会館に入った自分は、出てきたときにはそのタオルの恩恵を十二分に感じていた。
 と同時に、今まで無邪気にそうだと信じてきた自分が恥ずかしくなった。
 一人一人に謝って来いと、突っ込んだソレに頭を下げろと。
 何故、最初に何故がそう言ったのか、今なら理解できる。
 あんな映像も見せられて、今更名乗れるかよ。





「これ、通信ワイヤーを切って突っ込んでる。普通のミサイルじゃ、今の時代のものでもこうは行かない」
 突っ込む戦闘機に対し、淡々と冷静に分析する の言葉が痛かった。
 どうしてそこまで冷静になれる!?
「マークされてる部分にあるのはミサイル『桜花』。特攻の中の特攻兵器で、この中には人が乗ってる」
 それ以上に、何よりショックだったのが
 頭が見えた。
 人の頭が。
 対空砲という本当に無数とも言える銃弾が飛び交う中、アメリカの艦に突っ込んだ戦闘機の中に人間の頭の影が見えたんだ。
 乗っている。あそこに人が乗っている。人間が……人間が乗っている。
 そしてそのままッ!?
 黒煙が上がる。
 体が恐怖で震えだしていた。
 これが、こんなものが……そして、彼らが乗っているのが戦闘機だと、容赦の無い言葉を彼が放つ。
「い……今のは……」
「あれはゼロじゃない。あれは、三人乗りの天山だ」
「そういう……問題じゃ……」
 飛行機の種類を聞いてるんじゃないんだ!
「そう言う問題だろう」
 どうしてこんなにも冷静なんだ。
「映像での唯一の欠点は、臭いがないことだよな。それがないから、なかなか実感が湧かない。でも、想像することはできる。火薬と油の臭い・弾を撃っているときの砲撃の音、迫ってくる戦闘機のエンジン音があっという間にデカクなって。炎の臭い、鉄が焼ける臭い、そして……」
「ヤメロ」
 それ以上、聞きたくない。
「戦闘機が突っ込んだ時の衝撃で死んだ人間の肉が焼ける臭いだ」
「やめてくれ! 、お前おかしいよ。なんでそこまで冷静なんだ。あそこに乗っている人は皆死んだ。死んだんだぞ!」
 目の前が真っ暗になる。これ以上言葉を告げないでくれ。
「戦闘機に、乗ってな」
「!?」
「あんたは最初に俺と出会ったとき、得意気に自分は戦闘機だって、いとも簡単に名乗ってたんけどな」
 の冷静な目が、ただ、痛い。
 自分を見ていない彼の表情が、映像を分析して解説してくるその冷静すぎる言葉が痛い。
 そして、その視線が軽蔑を含んでいる気がするのは、自分の被害妄想だろうか。
「俺は、あんたのその言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのがこれだった。じゃあんた一体何を知ってるんだ? と。これと似たような事が出来るのかと、だから聞いたんだ。あんたは戦闘機に乗るのかって」
 今まで、無邪気に信じてきたものが底なしの恐怖に変わった瞬間だった。
 お前は戦闘機なのだから、あの銃弾の中を飛べ。
 にそんなことを言われたら、きっと俺は恐怖のあまり失神してしまう。
「卑怯と思うかもしれないけど、俺に特攻は無理だ。時代が違うし状況が違うと言ってしまえばそれまでだけど、少なくとも今の考えを持っている以上、あの天山に乗るのも今の戦闘機に乗るのも、そりゃ戦闘機は好きだけど乗るとなると話は別で俺には無理」
 そこで言葉を切ると、彼は小さく息を吐いて話の続きを紡いでいく。
「俺だって本気であんたにあの天山に乗れとはまでは言わないし、今から特攻して来いなんて言わないよ。けれど、それ名乗っている以上はせめて現代のものでも構わないから、今の戦闘機の運用がどんなものかくらい少しは知ってると思ってた。でもあんたは何も知らなかった」


 名乗るくせに何も知らない。
 そんな結論に達したとき、悲しくなった同時に腹が立った。


「お前は、今まで戦闘機が落とした爆弾などで亡くなったりした人たちに対して、最初に見せたふざけた笑顔でその全ての人たちを、侮辱したんだ。目には見えないけど」
「……」
 お前が俺のサクリファイスなんだけどな。でも、もし逆だったら……彼はどうなっただろう。
 考えるのが、かなり怖い。
「その人たちの前で自分は戦闘機だと名乗るくらいなら……」
 重い沈黙が辺りを支配する。
 

 目の前が、真っ暗になった。
 もう、名乗れない。
 正直そう思った。


「だから、お前等に『戦闘機』って言われても、それでも操縦桿を握るあの人は、ホントにスゲェって思う」
「すごいって……そのはあの先生をそ、そ、尊敬してるのか」
 すんなり言葉が出てこなかった。
 でも聞かないと、駄目なような気がした。
「尊敬?」
「違うの?」
「違うなぁ。尊敬じゃない。尊敬じゃないけど、う〜ん。強いて言うなら、憧れ? パイロットっていう。ファルコンドライバーであり、イーグルドライバーの資格持ってる人だ。そして命令とあらば爆弾を落としミサイルを放ち人を傷つけたりもする現役のアメリカ合衆国空軍大尉だ」
 そういうの表情は、少し複雑そうだった。
 そりゃそうだよなと、ほんの少しだけその表情の意味が分かったは、がどんな葛藤を抱えているか、分かった気がした。
「あんたとは違う、ホンモノを操る人だ」
 そして、最後にこんな言葉で彼は締めくくった。
「対空砲の邪魔がなければ、今現在を含めてどの時代のミサイルも敵わない、超精巧な、最期まで人が操縦するミサイル。それが特攻だ」





 会館での出来事を振り返っていたに、跡部が割り込んだ。
「それで? テメェの結論はどうなんだよアァン?」
 しかしそれに不満そうに反論したのは意外にもだった。
「うるせぇ跡部。まだ続きがあんだよ」
「アァン? 、テメェ今結論出しただろうが」
 お互い顔を歪めて直ぐ険悪な空気になるのを、がやんわりと毒抜きをする。
「続きって?」
「あ、はい。だけど、その、友達からなら、いいかなって思います。だってさんさ。行くときはあんなに自身満々だったくせに、あの会館入って、実機見て手紙読んで写真見て映像見て俺の解説聞いてたらあっという間に顔ぐしゃぐしゃにしながら泣いてんだもん。ビックリですよ」
 と、言って困ったように笑った。
 それは、この場にいる跡部以外の人間が、好意的に触れなかった確かな事実。
 だからこそ、はもう少しだけなら、付き合ってもいいかなと思ったのだ。
「正直、それまでのan>さんの言動から予想してたのとは全然違ってて。だから、なんですけど。その、色々とヒドイことも言ったりしてすみませんでした」
 そう言って、頭を下げるを一番ポカンとした表情で見ていたのが、った。
 彼は現状を把握しきれていない様子で、頭を下げるにしばらく声をかけることが出来ないでいた。
 それに、別に自信満々だった訳じゃない。
 街全体が醸し出していた厳かな空気に、少しばかり圧倒されて驚いていただけだから。
、テメェ矛盾してないか」
 不機嫌な様子を隠しもせずに意見を述べたのは跡部だったが、それに相変わらずの調子でが返す。
「うるせぇなぁ。俺が誰とダチになろうが、あんたには関係ねぇだろうが。大体あんたは呼んでないんだから口出すな」



 この二人、もしかしてもお互い、言い合いをすることが趣味なんじゃないだろうかと、はそんな二人のやり取りを見てて思っていると、何時の間に隣に来ていたのか、金髪のが(さっきから違和感を感じてたのは、どうやら髪の色だったらしい)おもむろに口を開いた。
「君が誇りに思うなら、名乗ってもいいんじゃないのかな」
「ッ?!」
 まさかそんなことを言ってくるとは思わなかったは、驚いた様子でを見る。
「言っておくけど、俺は君たちの呼び名に対して否定も肯定もできる立場にはないから、判断は君がしたらいいとは思うけどね」
「俺の、判断?」
 ようやく口に出来た言葉は、彼の言葉のオウム返しだった。
「そう。これは、俺なりの解釈だけど、君に言ったよね。命令するものが責任を負う。だからこそ納得したと。で、君たちの関係は戦争の構図を二人の関係に単純化したように思えてさ」
 そこで、跡部と言い争っていたが疑問を投げかけた。
「どういう、意味ですか?」
 そしては、誰とも無しに話し始める。
「戦闘機と呼ばれる、君たちがサクリファイスを守るために戦って、サクリファイスがダメージを負うという構図は、正に指揮官を守るために戦う兵士そのものだし、兵士の作戦が失敗すれば真っ先に囚われ、責任を負わされるのは指揮官という見方ができるってこと。ここまで言えば、サバゲーやってるには分かるよね」
 と、が言った途端、
「……なるほど……うわぁ。それにしても、そんなヤヤコシイ名前つけなくても……」
 と言いながら頭を抱えだしたかと思うと、直ぐに顔を上げた。
「じゃ、さんは俺の私兵ってことですかねぇ。う〜ん。そんなのいらないから、まずは友達から。これでいいよな、跡部!」
「あぁん? 誰が納得するか」
 また始まった口論だったが、今度は>は何も言わずに見ているだけで何もしない宣言をした。それどころか、なんとにその役を押し付けたのだ。
君、二人のことよろしく」
「ぅええ?! 俺?」
 驚いたは、言い争う二人を前にオロオロするばかりで割り込めない。
「だってこのまま行くと日が暮れるまでやってるよ? あの二人は」
 顔は笑って声は呆れて言うから、やはり面白がっている雰囲気がアリアリと出ていては胃が痛くなるのを感じた。
 それでも、延々やってそうな二人を止めようと懸命に声をかけた。
「あの、さ。。私兵って何?」
 だが……
「アァン? んなもん自分で調べろ」
「んだとコラ。てめぇ俺のダチに命令すんのかゴラァ!」
 とますますヒートアップを促すばかりなり。
 そんな三人の様子を見て、が空を見上げて呟く。そして、その声を手塚はただ静かに聞いている。
「今日もまた、貴方達が望んだとおりに、この国は平和です。これから先、幾度空が巡ろうと、紅葉は赤く、山は白くそしてまた桜が咲いて、春が来る。過去は昔に、未来もまた、いずれ巡りまた過去へ。どうか安らかに。献杯」




 夏、色々なことを知った。
 出会ったことは、無駄ではなかった。
 反発もあり、怒声に気圧されながらもそれでも、後悔していない。
 多大な犠牲の上に今があることを、知ったから。
 そのことを噛みしめて、日々、生きると、決めた。
 国を守ることと、たった一人を守ることは、確かに違うかもしれない。
 だけれども、守りたいという思いなら、誰にも負けないから。
 だから、今度来た時は、子犬を抱いて、明日、もう帰って来れないことを知りながらも笑顔で写真に納まる自分よりも年下の兵士に、胸を張って前に立てるその日まで、自分を『戦闘機』と呼ぶのは止めようと、誓う。

 献杯。
アトガキ
最後までのご拝読、ありがとうございました。
以下、言い訳めいたもの。




最後に、いいわけめいたもの。@紙片ブログ
2023/07/07 書式修正
2009/12/01
管理人 芥屋 芥