行きよりも更に気まずい空気が車の中に流れている。
空気が重い。
そう思ったが、あえて空気を読まないのも何だか可笑しな感じではあったので、はそのまま運転に集中した。
空の世界から地上の世界へと、操縦桿からハンドルに変えて運転している彼からすれば、こんな時速60キロ程度の速さなどさほど速いとは思えなくて少し退屈気味ではあったのだが、それでも黙って彼は運転を続けている。
それに、退屈な感覚になるのはいつものことだし。
そう思いつつ、一つ忘れていたことを思い出した。
「あ、ちょっと買い物したいんだけどいいかな」
そんな重い空気の中遠慮のない明るめの声で言ったのは運転手のだった。
「……いいですよ」
一拍遅れて返事をしたのが、重い空気を醸し出している張本人の一人であるその人で。
他の同乗者の答えを聞く前に、が結論を出した。
「ありがと。んじゃちょっと店に寄るね」
はの答えに逆らわないだろうし、手塚はすでに結論を出している。
だからこの車内で反論する可能性があるとするなら、一人だから。ね。
そう思ったのか、思わなかったのかがそう言って、ハンドルを切って駐車場の中へと入っていく。
車のドアを開けて降りる際、
「ここで、待ってますから」
と言って車内に残った、と、そんな彼に遠慮がちに付いて残ろうとしたを見てはあえて彼に向けて声を掛けた。
「、すまないけど手伝って」
と。
巡空桜花
「で、何があったのかな。車内の空気が重い理由、出来れば話して欲しいんだけどね」
そう言いながら店内用のカゴとカートをカート置き場から一つ取り出しながら後ろを歩くに、が自分がいないときの状況を聞いた。
「あんたに話すことじゃない」
が、素直に返事が返ってくるとも思わなかったがそれでも当事者たる彼に聞いたのは、自身読めない部分があるからか。それとも何か別な理由があるのか。
ここに手塚が居れば、きっと彼のそんな様子に疑問を持っていることだろう。
だがここに今手塚は居ない。
だから誰もの珍しい態度に疑問を持つ人間は皆無だった。
「ふーん。まぁいいけど」
とカートを押しながら最初は野菜置き場の大根売り場の前に止まったは、半分に切ったのにしようかそれとも丸々一本のものにしようかと迷いながら、に声を向ける。
「大体想像付くんだけどね。に論破されたとか」
夜遅くまで営業しているこのスーパーは、千秋が帰りに良く利用するもので、この時間ほとんど店内に人は居ないのも分かっている。
そんな中、きっと彼と二人きりになれる時間はこの時しかないと踏んではを呼び出したのだが、それに気付いていない彼はただ黙ってそんなの後ろを付いて歩いてる。
「想像付くなら、話すこともないだろう」
と、やはり重い空気を漂わせながら投げやり気味に話すに対して、はそれでは納得しなかったようで、彼にしては珍しく更に突っ込んだ。
「だけれども、俺が知りたいのは『事実』ただ一つ。想像じゃない」
と言って、肉を見た後話をいきなりグルリと顔の向きを変えに尋ねた。
「ねぇ、豚と牛。どっちが好き?」
「え」
尋ねられたは、一瞬目の前に立つ男が何を言っているのか分からなかった。
何か、選べって言われたような気がしたけれど、一体何を?
そんな話に付いていけないは再度同じ言葉を彼に向ける。
「だから、豚肉と牛肉。どっちが好きかなぁって思って。選んでよ」
「はぁ?!」
選べって、肉を?!
そんな信じられないことを聞いてきたに対して、は驚いて思わず素っ頓狂な声を立ててしまった。
そしてその声が店内に広がったことを少し恥ずかしく思った。
でも、なんで自分に?
そう思ったのも確かで。だがは三度同じことを告げてきた。
「だから、選んでって言った」
「な、なんでそんなこと俺が決めるんだよ。あんたの買い物だろう」
今度はまともに反論できたとは思う。っていうか、なんだってそんな選べなんて簡単に言えるんだ。この男は!
そう思ったから。
っていうか、敵なハズなのにどうして?
そうも思う。
そりゃ確かに行きの車でも配慮してくれていたっぽいけれど、それにしては今の頼みって何かが、変。
そう思ったのだが、が更に反論する前にが言葉を続けた。
「俺の買い物でも、付き合ってるのは君でしょ。だから、選んでって言ってるの。君がどっちを選ぼうとも俺としては構わないから」
な、なんだよその屁理屈は!
そう思ったが、口から出た言葉はコレだけだった。
「……なんで俺が」
「そういうことだろ。手塚が俺に戦闘を預けたってのは」
「なんで肉の話から戦闘の話になるんだよ」
いきなり話が飛んでは驚いた。
コイツももしかしてみたいな感じなのか?
はそう思ったが、どうやら違ったようで。
「俺はみたいにここから理論を組み立てるほどぶっ飛んでないよ。悪いけど。要は例え話さ」
「例え話?」
肉を俺に選ばせることと、戦闘とどこをどうしたら繋がるわけ?
っていうか、そもそも例え話って。一体何の? あと、こいつ何気にサラッひどいこと言った。
のことぶっ飛んでるって。
ぶっ飛んでる? そんなことある訳ない。
そう反論しようとして、は辞めた。
『人のために死ねるのか』
自分をフェンスに押し付けながら叫んだの口から、理論の最後に出てきたのがその言葉だった。
そしてそれに答えることが出来なかった情けない自分の姿を思い出して。
それにあんたは責任転嫁ばかりして、自分には何も責任はないと言い張るんだなとハッキリと指摘されたから。
――何なんだよ、クソ。死ぬって、そんなことできる訳ないじゃんか。
そう心の中で悪態をついてみるがどこか後ろめたい気分になるのはどうしてだろう。
空を飛ぶあの飛行機が、戦闘機だって事を今まで知らなかったからか。
爆弾を落とすモノ、それを運ぶものが戦闘機だと知らなかったからか。
分からない。
そして、もしその質問がこの男に向けられていたら、この男は一体どう答えるのか。
……の言葉では、コイツは本当に軍人らしいが、それも怪しいモノだ。
と、まだ反抗できる余地を探しては思った。
そして、冷静に考えたら確かにの理論はぶっ飛んで……る。
う……ん。
確かにアレはぶっ飛んでる……かもしれない。
と、公園でのあの西側がロシアに対し〜の言葉から始まった戦闘機と呼ばれるのは誤訳じゃないのかの話も、確かに急に飛んで来た印象がある。そして基地の外で、フェンスを背にして聞かされた爆弾の規制の話から入った反論を許さない理詰めの圧倒的な理論も。
確かにこの男の言う通り『ぶっ飛んで』いたことは確かだと、は思った。
そして、もしかしたら彼の方が戦闘機に相応しいのかもしれない。とも思った。
あれ程の深い知識、言葉に対する理解、理論を短い時間でまるで魔法のように組み立てることができる造形の素早さ、そして同時に行われるデータ提示とそれに基づく根拠が示された数学的な理論。
どれを取ってもの方が、もしかしたら言葉を操る戦闘機としては優秀なのかもしれない。
でも、それはきっと……
肉を見たまま動かないの様子に何かを感じたのか、が置かれてある肉をジッと見ながらに告げた。
「そ。肉の選択は公園と状況が良く似ている。で、あの時手塚としてはどっちでも良かったのさ。関係なかったからね。だから俺に預けた。戦闘するかしないかを。つまり、俺が今君に豚肉か牛肉かを選んでもらってるのとほとんど同じ。俺としては、君がどっちを選ぼうとも関係無いってことさ」
自分のことで手一杯だったが、の言葉で現実に戻ってきたがすんなり話を理解することができたのは、が分かりやすいように話を砕いているからか。
つまりあの時の手塚(今は)にとって戦闘するかしないか(牛肉か豚肉か)なんてどっちでもいいってこと、だよな。
そして、どっちを選ぼうとも手塚には(には)あまり関係がない。つまり、どうにでも出来るからこそ……俺がどっちを選ぼうとも、どうとでも料理できるから、か。
って、やっぱり何か変だよ。肉を選ぶことを戦闘の選択に例えるって一体どんな神経してんだコイツ。
「……あんた、変わってんな」
ポツリと呟いたハズなのに、答えはしっかりと返ってきた。
「良く言われる」
「変な人」
だが、この二度目の言葉の後に返ってきたのはに選択を迫り現実に引き戻す言葉だった。
「で、どっち?」
だから渋々とは答えた。
「……豚肉で」
と。
そして、その答えを聞いたが言ったのは、にとっては少し信じられない言葉だった。
「もしここに">が居たら、きっと鶏肉を選んでると思うよ」
と。
「!!」
「驚いた?」
イタズラが成功した子供のような表情を自分に向けるを思い切り睨む。
っていうか、
「なんであんたがのことそんなに知ってるんだよ。っていうか、なんで鶏肉」
と思わず責める形になってしまったがそんなの睨みなど、これまた気にしていない様子でが答えた。
「古い知り合いでね。彼が中学に入った頃から知ってる。そして彼はそういう子なのです。選択肢以外をスッと見るっていう、そんなことが出来る子なのですよ」
目の前に提示された条件以外を考慮することは、相手を怒らせると同時に意外性を持たせることもできるということ。
つまり、条件提示に第三の可能性を常に探すことができるということは、相手を交渉で落す場合有利に立てるのと同時にご破算率も高くなるのだが、条件提示が上手くいけば、有利にことを運ぶことができる。
おまけに理詰めの反論を許さない理論の組み立て及び、その他に対する深い理解と正確なデータを持って相手に挑むしなぁ。
さすが、『0』を生み出した国の血筋だよね。
と、彼が知らない彼の家系を思い出しては思った。
そしてあの時声を掛けたのは偶然じゃない。
あの人にソックリだったから驚いたんだ。
とは言えなかったが。
というよりも、今その話は関係ないとして浮かんできた考えをは無理矢理消した。
この話は、には関係がない。
そしてもまた、自分があの基地の中で会う前から彼女に写真を見せられて知っていたことを知らないのだから。
話す必要は無い。そう判断して。
「……なんでだ」
「なんでもいいじゃない。でさ、その手に持った豚肉をカゴに入れてくれると嬉しいんだけど」
そう言われ、少し大きめのパッケージに入った豚肉を少し乱暴にがカゴに入れる。
嫌がらせのつもりだった。
そんな量、一人じゃ食べられないだろう。そう思っての。
だが「ありがと」と言われ、思わず反論した。
「なんで礼なんか言うんだ」
「ん? 食べ盛りの高校生は、結構な量食べますから」
と乾麺のところに足を向けながら訳の分からない答えが返ってきては少し混乱した。
「この後、家に帰ったら大根卸し蕎麦と君が選んだ豚肉で冷しゃぶでもしようかなって。さっき君たちを迎えに行くときに手塚に聞いたら何か食べるって言うからさ。君もどう?」
確かに、自分たちのところに車で迎えに来た時先に手塚が車に乗っていたけれど。
そして、まさかここにきて自分を家に呼ぼうとするとは思わなかった。
それにしても、こいつさっきまで空の上に居たんだろうに。
一体何なんだ。と驚いていると答えが返ってきた。
「食わないと体が持たないだろう。それに、一度上がるとかなり消耗するし腹減ってるんだからこれ以上無駄な時間を費やしたくないの。急ぐよ」
清涼飲料水コーナーで二リットルのペットボトルを三本と缶珈琲を数本カゴに入れてレジへと足を向けた。かと思ったら、思いついたように
「あ、わさび忘れた」
と言ってに取ってくるように頼んだ。
そして、わさびの棚の前にきた、はそれを手に取りながらこんなことを考えていた。
――人使いの荒い奴
と。
荷物を持って駐車場に戻ると、が車内から出て空にカメラを向けているのが見えた。
何を撮っているのかと気になって、向けられたレンズを追っていくとそこにあったのは傾いた半月だった。
集中しているのか、戻ってきた自分たちを手伝うために手塚が車内から出てきても彼はそこから動くことはなく、またも手塚もそんなに声をかけることはせず、ただ黙って手塚がの持っていた荷物を受け取った。
端から見たら、大人であるを子供である手塚が手伝っている。そう見えるだろう。
だが、そんな当たり前の光景もにとっては新鮮に見えた。
何故ならずっと使う側と使われる側だと思ってきたから。俺たちは使われて当たり前で。支配されて当たり前だから。
だから、そんな手塚(支配する側)の行動が少し新鮮に写っただけだ。
と自分を納得させる言い訳にたどり着く。
でも、本当は少し羨ましかったのかもしれないと、思った。
必要とされていると思えることは、戦闘機にとってソレはとても嬉しいことだと思うから。
たった一人の相手に必要とされる存在。
それが……
でもあの男、目下最大の敵であるは違う。
あの男から伸びている糸は二本あって。一本は手塚にそして残りのもう一本は別のここ以外のどこかへと伸びている。
なんで二本あるのか、そう言えばその理由を聞いていなかったと、は思った。
そして、頭が混乱している中で届いた公園でのあの言葉。
『俺、三人分のキャパ持ってるし』
その時、バダンッとトランクが閉まる音と共に月に向けていたカメラをこっちに向けてが振り返った体勢のまま一枚シャッターを切ったのが分かった。
そしてソレにいち早く反応したのがだった。
「何してんの」
と呆れた様子でカメラレンズから顔を外した言い、カメラの構えを解いてが肩をすくめて答えた。
「あんまり人を撮ったことないですから。練習、ですかね」
言葉を言い終えると、彼はバッグの中にカメラを仕舞ってそのまま助手席のドアへと手を伸ばして車に乗り込んだ。
そんな彼の態度を見た手塚の表情が僅かに動くが結局何も言わず、または最初から気付かない中にあって、全体を察していたが最後に車に乗り込んだ。
バタンという音を立ててドアを閉めシートベルトを締め車を出した。
「じゃ、は家でいいのかな」
駐車場を出てしばらくするとが隣を見てそう聞いた。
そして、
「はい。今日は、ありがとうございました」
車内の空気は幾分か軽くなったようで、の様子も本来の明るさを取り戻したようだった。
が、はそれで安心してはいなかった。
二年前、彼のお母さんに相談されたときと状況は良く似ているから。
こりゃ反動が何時きてもおかしくないな。
そう思って、油断しないようにしようと決めたと同時に視界に入ったのは誰かの手に握られた一本の缶珈琲だった。
「?」
気になって少し後ろを振り向くと、どうやら渡しているのは手塚らしい。
それは、後ろのボードの上に置いたビニール袋の中から取り出したものだった。
そう言えばワサビとかの細々としたものをまとめたビニールはボードの上に置いたっけ。と思いながら
「ありがと」
と言って受け取ると、缶ホルダーに入れて蓋を開けた。
そしてその缶は手塚によって車内全員に手渡されたようで、が助手席から運転するを見て
「ありがとうございます」
と礼を述べるのと同時に手塚の声が聞こえ、が再度運転に集中しているその後ろからの声が車内に響いた。
「あ、ありがとう……ございます」
その言葉を聞いての表情が少しだけ柔らかくなったのだが、それを感じ取れる者は車内には誰も居なかった。
もう直ぐ彼の家に着く。着いてしまう。
だけど、多分自分は彼についてこの車を降りることはできないんだろうなとも思う。
は自分に対して怒ってるから。
基地から店の間までの車内の空気の重さくらい、いくら俺が鈍感だとしても分かるよ。
「じゃ、お休みなさい」
車を降りて階段を上がっていくを見送った後、三人になった車内でが車を発進させながらに質問した。
「で、君は今からどうするの」
と。
一瞬何を言われたのか分からないは、そんなの質問に始めは答えられずに黙っていると、再度彼が質問してきた。
「スーパーで、家に来るかっていう質問は見事に流されたからさ、どうするのかなって思って」
どうして質問を俺にするんだ。
っていうか、俺が決めていいのか?
「なんで俺に決めさせるの」
さっきから疑問だったことをはに尋ねた。
スーパーでも肉を選ばせたり、ワサビを取ってこさせたり。
人使いが荒いんじゃない。コイツ、俺に!?
どうやら、その考えは正しかったようでが前を見ながらに答える。
「ん? 君さ。自分のことくらい自分で決めろよ。19だろ」
やがて大通りに出るための信号のところが赤だったために車が止まる。
その間、がに話を向けた。
「あんた敵なのに、どうしてそんなこと言えるんだよ」
まるで試すかのような選択させるような言葉をどうして敵に吐けるんだ。
と、この時初めて敵という言葉がの口から出てきたが、それに反論したのは同じ後部座席に座る手塚だった。
「さん。もしかして先生が敵だと、本気で思っているんですか」
と。
「違うのかよ」
コイツが邪魔をしたんだ。
そう思わずにはいられなかった。
だって……
「違うと思うよ。君の相手は俺らじゃなくて……」
言葉を濁した先に誰がいるのか、すぐに分かった。
もしかして。
「あなたが真に向き合うべきは先生でも俺でもなく、本人だと、思います」
本日三度目のトドメは、今までほとんど何も言わなかった手塚という高校生から来た。
「ハッキリ言ったねぇ。折角言葉濁したのに」
と車を発進させながら恐れ多く遠慮がちにが手塚に言うが、既にの頭は真っ白になりかけていて、入ってきてはいない。
「えぇ。言います」
「……まぁ、手塚が言うなら俺は止めないけどね」
諦めた様子のに対し、手塚が礼を述べた。
「ありがとうございます」
と。
だけれども、言われたとしては納得していない。
というより納得できない。
どうして!?
「なんで守るべき存在が敵になるんだ。そんなの可笑しいだろ。なんでだ!」
と直ぐにに対して反論した。
「おかしくないさ。それに、が何故君に対して怒ってるのかまだ分からない?」
その言葉で、コイツは最初から分かっていたことをは悟った。
「最初からあんたが仕組んだ事だったんだな!」
だが、返ってきたのは呆れを含んだ言葉だった。
「あのねぇ。なんで俺が仕組むのよ。っていうか、いくら俺が二十歳越えてる大人とは言え、俺に責任なすりつけるのやめない?」
「?!」
――責任転嫁、しまくりですから。
の言葉がの頭に流れ出る。どうしてもコイツも同じこと言うんだ。
そうだよ。コイツが居なかったら、]は呼び出されずに済んだんだ。
「……でもはあんたが居なかったら呼び出されることも」
「じゃぁ、地球が無かったら良かったんだね」
の言葉が固くなったのが直ぐに分かった。
っていうか、地球が無くなるってどういうことだよ。そんなことある訳ないじゃん! やっぱコイツもぶっ飛んでる!
]以上じゃないか!
「はぁ? なんで地球なんだよ。俺が言ってるのはあんただよあんた。あんたが居なかったらだって」
しかし、その言葉は途中で遮られた。
「君の理論は、後ろ向きかつ破綻してるよ。悪いけど」
「何で」
「後ろを向いて『イフ』を持ち出した時点でタイムスリップ理論もしくはパラレルワールド理論になるからさ。それとも、そっちの分野で俺に挑むつもり? 俺としては別に構わないんだけど。そっちで挑むつもりなら、ラグランジュ方程式くらいは当然知ってるよね。アレ、基本だし」
また理解できない言葉が出てきた。知らない。そんな言葉なんて知らない。
の時と同じで、まともに反論できない自分が惨めだ。
彼の時と同じように、何も知らないと思い知らされるだけ。
そしてコイツは、相手が理解できるようにもう少し噛み砕いて言えるはず、とスーパーでの例え話のことを思い出してが言った。
「理論はもういいから、地球がの話もう少し分かるように言えよ」
「えっとねぇ。君が言ったのは存在の否定。俺が居なかったらが君に振り向いてくれるだろうという希望的観測でも何でも無い、ただの願望でしかないわけ。君は俺の存在を君の願望のために否定した。君の言ってるのは幼稚な二段論法で、風が吹けば桶屋が儲かるって言ってるのと全く同じなわけだ。もちろん、過去かつ否定的な意味でのね」
その時、長かった信号が青になった。と同時に車が大通りに出た。
と同時に、途切れた言葉の続きをが車のギアを変えながら続ける。
「過去の否定って、どこまで行くつもり? どこまで考えた? 俺が居なかったらって言ったけど、そうすると君は俺の親の出会いまでを否定するわけだ。そうすると、君はどこまで否定するの? 際限がないだろう? だから地球が無くなればそして宇宙が存在しなければ当然君も俺もこの世界が無いわけだから出会う必要もないよね。そもそも居ないんだから」
そこで言葉を切ると、缶珈琲に手を伸ばして一口飲んだ。
その間、はとても悔しそうに下を向いているだけで、何の反論もしなかった。
「で、風が吹けば桶屋が儲かることもあるだろう。これは未来の『イフ』だから確率は低いかもしれないが成立することもあるかもね。だが、君が言ったのは変えられない過去のイフでしかない。時間がマイナスの状態というのは、状況的には難しいよね。だから破綻してる訳。それともの真似でもしたかったのかな。もしくはそれが君のスタンダードなのかな君。言っとくけど、俺にそういう過去を『イフ』とした言い訳は言うだけ無駄だよ。悪いけど」
バッサリ切り捨てられて、が悔しそうに下を向き、切り捨てたは手塚が渡した缶珈琲に手を伸ばしてそれを飲んでいた。
しばらく車内に無言の帳が下りる。
下ろしたのは。
そしてバッサリ切られてショックを受けているのはで。
そんな中にあって手塚はの今回の一連の行動について考えていた。
変だと感じたのは公園でのとき。
一緒に来るかと問い掛けたとき、拒絶できるようにしながらも拒絶できる道をソッと閉ざしたこと。
そして、買い物の時にを連れ出したこと。
買った量からして、一人でも十分に持てる量だったにも関わらずはあえてに頼んだ。
手塚ではなく。と言うより手伝うつもりだった手塚の意思をワザと無視したように思えて仕方が無い。
確かにあの時ドアノブに手を掛けていたのだから、暗がりとは言えそれが分からない彼ではないだろう。
珍しく理論を述べ、理詰めで相手をねじ伏せるやり方を選択したに手塚はますます疑問に思った。
一体、何を考えている。
霞みが掛ったように読めなくなったの心を、手塚は少し不満に思った。
「……駅で、降ろしてください」
もう、既にどこかが混乱しているが、壊れた人形のように小さく言うのをの耳が拾ったと同時に速攻で却下した。
「ダメ。なんか危ない」
「危なくなんかしない!」
暗い表情のまま、それでも何とか反論した。
というか、ショックだった。
彼の敵が自分だと言われて。
ならば自分なんて居ない方がいい。
そんな思いが心の中に木霊している。
敵になるくらいなら、いっそ……と。
だが
「そう? なんかちょっと不安なんだけどね。ちなみに、電車への投身は確かに高い確率で死ねるけど後で億単位の賠償請求が親に行くから、そのことも良く考えて」
その言葉に、が思い切り顔を上げて運転しているを見た。
「!?」
「もしかして知らなかった?」
の言葉にがゆっくりと頷いた。
そして、親だけはイヤだと強烈に思った。
ただでさえ親子仲が悪いのに、死んでまで迷惑かけたら何て言われつづけるか分からないじゃないか。
それだけはイヤだ!
……それにしても、味方だと思ってた彼が敵というか、向き合わなければ為らない相手だって?
「何でだよ。なんでが俺の敵なんだ」
コイツらじゃなく、どうしてなんだ。いっそコイツ等だったら気も楽なのに。
「敵とか味方とか、そんな単純なモノじゃない気がするけどね。まぁとりあえず今日のことをまとめると、一番">の行動や予定を妨害をしたのは君なんだよ。だから彼は怒ってる。分かるかな。理解できる?」
「お、俺が?」
「そ。君が」
は何の遠慮もせずにそう言いきった。
「そして次に、君が自分自身のことを『戦闘機』だと言ったこと」
既に、からの返事はなかった。
そして車は駅前のロータリーのところで止まった。
が車を降りようとしたその時、に対して、身体を後ろに伸ばしてが聞いた。
「最後に答えて欲しいんだけど、コレは、ただの興味で聞くんだけど、君は">から『特攻』っていう言葉を聞かなかったかい?」
その質問には、は首を動かすだけで返事をしたと同時に、ドアを、閉めた。
アトガキ
2023/07/07 書式修正
2009/07/20
管理人 芥屋 芥