最後の方のことは、よく覚えていない。
 の話す内容が、あまりにも過激だったから。



 まるで霞みが掛ったように、耳はちゃんとの言葉を聞いているのに頭には届いていないような、頭が理解することを拒否しているような、まるで、どこか遠いところの話を聞いているような感覚がを襲った。
 正に言葉の爆撃を、通常は『対』であり絶対的な信頼を置かなければならないサクリファイスから食らったような感覚があって、それが更にを混乱させていった。
 しかも、自分と同じ戦闘機ですらあんなに言葉は使わない。
 の豊富な知識と同時に語られる的確な年代を示すデータ提示までを平行して行う言葉の羅列がまるで一つの理論のようで、彼はまるで誰かと論争を行っているかのような言葉をに投げかけ、その彼の矢継ぎ早に語られる『議論』に途中から付いていけなくなったの頭は完全に混乱をきたしていった。
 ただ、『こうも簡単に名乗れない』と言った理由に対して何故と尋ねたに『戦争の歴史だ』と答えた彼の言葉に衝撃を受け、それが去らない間に正に波状攻撃がごとく告げられたの『馬鹿じゃねぇの』という言葉が深くにトドメを刺した。
 そこから先のは、頭を完全に思考を停止させてただの質問に言葉足らずのまま答えていくだけの壊れた人形よろしくの様相を呈してしまっている。
 そんな二人の様子を、がさっき解いた警戒の色を再び漂わせてジッと見ている。
 そんなの手がゆっくりと後ろに回され、後ろに立つ手塚にソッと合図を送った動作はまるでテニスのダブルスで前衛が後衛に対して合図を行うかのような動作で、手塚は改めて彼がダブルスも行えるプレイヤーであり青学のテニス部では越前南次郎の影に隠れてはいるが、それでも有名な元部長だったことを思い出した。
――
 とは言え、彼が部長という地位にいたのは三年生が引退して一ヶ月経っていない期間までで、そこからはずっとマネージャー的な役割をしていたらしいのだが。
 そして、その原因となった『事件』に手塚が絡んでいたということは、未だ公表されてはいない。
 いや、事件そのものが無かったことにされているのだから、公表しようがないのだ。
 そんな彼が突然動いたことに疑問を感じつつも、手塚は表情一つ変えず前に立つ、に向けて小さく頷き返す。
 それを、少しだけ顔を後ろ動かして見たは了承を得たといった顔をして、再びを見定めた。


 手塚は、という人間を信じている。
 盲信していると言ってもいいかもしれない。
 もちろん悪いことは悪いと、時には彼の行動を否定し怒ったりして口を訊かなくなるときだってあるけれども。
 それでも、最後の最後には彼を信じていると、帰ってきたその姿を見て痛感させられる。
 そして、あんな痛々しいまでの姿をこの人がこの日本で晒すことができる唯一の者だという自負もまた、彼を信じると断言できる一つの大きな要因でもあった。
 あの時に、目の前に立つこの人を手に入れた瞬間から。
 あの時、彼を自分の意志で支配した瞬間から。
――いや、あの瞬間がなくても、俺はきっと……
 そう思いかけた自分を、手塚は自ら否定した。
 違うな。
 と。
 あの時感じたのは、純粋な感情(モノ)。
 あの時、飛び出した瞬間の微かに残る記憶の残滓から紡ぎ上げて出来上がったそれから感じた、あの時男と対峙していた彼の前に走った時の感情を読み上げるとするならば、それは純粋な『欲しい』というモノだった。
 あの時、『敵』と対峙していた墨色の闇に浮かぶ白にも似た金色(こんじき)の髪を持ったその人を。
 分厚い雲間から微かに散乱した月明かりに反射し、光っているように見えたその髪を持つその人のことを。
 欲しいと、思った。
 思ったら、無意識に足が動いていた。しかしその代償はその人にとって余りにも大きかった。
 その衝突の間に割り込んだ自分を咄嗟に庇って怪我を負い、残っていた最後の支配枠に自分が割り込んだのだから。
「……ッ?!」
 雨雲を背景にその綺麗な髪を血に染めて顔を苦痛に歪めるその人に、追い討ちをかけるようにして何かを呟いて心までを支配したその時に耳が落ちた。らしいのだが、そこから先は本当に覚えていない。
 次に目覚めたときは、病院だったから。
 そして今、手塚は彼に一切の戦闘を預けた。
 これは丸投げじゃない。
 恐らく彼も気付いてる。
 領域を広げたままに混乱し、サクリファイスという助けがない場合の闘争者、の言葉を借りるなら『戦闘機』が一体どうなるのか。
巡空桜花
 最後の『で、人は殺すんですか』のところで何かが切れた。
「殺さない」
 下を向いて呟くに、が少し真剣な表情で問い質してくる。
「はい?」
「殺さないって、言った」
 は、自分の声が震えてるのが分かったが、混乱する頭を止めることが出来ないでいた。
 しかしその怒りの矛先をに向けるわけにはいかなかった。
――は、自分のサクリファイスだから。それに彼が『こう』なったのは、きっと目の前に立つの所為だ。
 そう思ったら、その逆恨みが一気に噴出した。
 そうだ。コイツの所為だ。コイツが悪いんだと。
 そしてそんなの言葉に、驚いたのと拍子抜けしたような感情が合わさった表情でが言葉を続ける。
「なんですかソレ。戦闘機ってミサイルのプラットフォームなんですけど。あぁそうか。殺人犯せば刑務所行きッ?!」
 更に言葉を続けようとしていたの言葉が不自然に止まる。
 何故ならがそれ以上聞きたくないとばかりにグイと引っ張り、その唇に何かが触れた。
「?!」
 一瞬、何が起きたか理解できなかったが驚愕の表情へと変化するのに時間は掛らなかった。
 驚いた彼がの腕を体を振り解いて突き飛ばす。
「触るな!」
 嫌悪感が、叫びとなって口をついて出た。
 その声と上下に動く肩で彼の息と感情が荒くなっているのが後ろから見ていても分かる。
「いい加減にしろよこの下手クソ!」
――怒ってるところソコデスカ!?
 思わずそんな思いが頭をよぎったが、今の彼に突っ込んではだめだと分かっているは僅かに驚きの表情を見せたもが何も言わないで、黙って二人を見つめていた。
 そして、を突き飛ばしたはそのままジャングルジム近くに設置されていた水道に向かって一目散に走りよって蛇口をひねると勢い良く水が飛び出したのも無視してそのままバシャバシャと乱暴に顔を洗っている。
 その様子を呆然とした表情で見てたと厳しい表情で見ている。そして、こんな事態になっても視界から捉え続けたまま全体を把握してる手塚の三人が、水で顔を洗っているを黙って見ている。
 が水から顔を上げてもしばらくの間沈黙が続いた。
 誰も何も口を開かず、ただの荒い息の音と未だ流れ出る水の音だけが公園内に響く。
 そんな状況に耐えられなかったのかが口を開いた。
、そこ怒るところじゃない」
 それは彼に、混乱しているよと告げる言葉。
 そして、それが分かっているのかが後ろを向いたまま流れ出る水から顔を上げてに反論する。
「先生は黙ってて!」
 自分でも混乱してるのが分かってるのだろ。そう判断したが素直に謝る。
「ごめん。でも、茶化すつもりじゃなくて」
 そこで一度言葉を切ったが、顔を動かし未だ突き飛ばされたまま動けないでいるに目を遣って
「ただ、君の方がショック受けてるっぽいから」
 と、無表情のままそう言った。



 突き飛ばされたは、ギリギリ倒れなかったがそれでも呆然とした表情のまま水道に走りそこで顔を洗うをジッと見ていた。
 そして、その口が何か小さく動いてるのを確認したが少し怪訝そうな表情を作った。
 その時になってが何を言っているのかやっと分かってきた。
「……だ」
 そして、その声は少しずつ大きくなっていく。
「……のせいだ」
 ゆっくりとに視線を向けてその言葉を発していくのが、彼の後ろに立つ手塚も確認できた。
「お前のせいだ」
 手塚が、を黙って見やる。と同時に視線だけで返事を返してきたのその表情を見て再度頷き返しす。
 そのやり取りが気にいらなかったのか、に向けてハッキリと言葉を発した。
「お前がをこうしたんだろう!」
 そのの言葉に水道の蛇口を閉めていたが振り返って見たのは、今度は先生に飛び掛っているの姿だった。
――な?!
 さっきとは別の衝撃に驚いて体が動かないの目の前でに殴りかかるのが見えた。
「……俺に責任転嫁されても困るんだけどなぁ」
 呆れたような表情でそう呟いたが、そのままの暴力を。
 受け入れるわけがなかった。
「おまけにモーション大きいし。君、人を殴り慣れてないだろう」
 そう言って、その迫ってきたの右手を左手一本で受け止めた。
 パシィ!
 拳と掌が当たり大きな音が鳴り響いたと同時にの、滅多に聞けない静かな怒声がそこに響く。
「これ以上の醜態を晒して一体どうするつもりだ?」
 と。
 珍しく怒ったの姿に、はもちろんのこと手塚も驚いた様子で前に立つ彼を見ていた。
「ッ!?」
 まさか静かに怒鳴られるとは思っていなかったのだろうが、一瞬信じられないといった表情を浮かべてものすぐに悔しそうに下を向く。
 それに追い討ちをかけるようにが、『応じていない』状況で言葉を紡ぐ。
「今までの君の言動聞かせてもらったけれど、君の中には『他者』がいないね」
 その声は、既に冷静さを取り戻していたいつもの声で、は下を向いたまま動かない。
「君からは、が自分と同じ考えをしてくれているだろうという願望しか伝わってこないんだよ。分かるかい。君は、が君と違う人間だということを最初から認識していない」
 同様、相手の状況を見ていたのはも同じだ。
 が、彼は自分が感じていた違和感をこうも簡単に口に出来る人。
 それは、彼はすでに身体からもそして心からも耳を取った本当の『大人』だから。
 ただの一度の経験だけではしゃいでいるような自分たちのような『子供』とは訳が違うから、こんな言葉も言えるのだと思った。
 これが、『大人』か。
 そしてあの手塚さんが信じる、人。
 何よりも、自分が最初に話した『アメリカ人』であり、パイロットでもあった人。
 憧れの存在が今、訳のわから無い事態の状況を一気に奪って中心に立った。
 引きずり出したのはだ。
 先生は、最後まで避けようとしてたのに、その男はそれを全て無駄にした。
「惨めだな、お前」
 その言葉を吐いたのは、そんな彼の後ろに立つ手塚だった。
「?!」
 その言葉に今度は手塚に殴りかかろうとしたが、にガッチリと拳を囚われたまま離してもらえない上に無理に捻った身体に走ったその痛みに顔をしかめつつが手塚をにらみつける。
 そんなに対して、手塚が冷静な視線を向けて再度、言った。
「聞こえなかったのか。惨めだなと、言ったんだ」
 途端悔しそうな顔をして手塚に自分の手が掴まれていることも忘れて突っ掛かろうとした。
「お前に、惨めなんて言われたッくない。さっさと応じさせろ。お前はこいつのッ!」
 掴まれたままの手が痛いのか、の言葉が不自然なところで詰る。
 だが問われた手塚はそんなことお構いなしにに問い質した。
「俺は別にあなたがどうなろと関係ありません。が、先生はどうしますか」
「ッ?!」
 その台詞に一番驚いたのが手が痛いのか顔をゆがめているだった。
――戦闘機に、意思を聞いた?!
 信じられない手塚の言動に、それに答えようとするを更に信じられないような目で見る。
 そんな、の視線などまるで感じていないかのように、問われたは少し困った様子で手塚にそして主にに向けて言葉を発した。
「う〜ん。構ってあげたいところなんだけど、俺もちょっと時間無いんだよね。今夜のFCLP、実は強制参加なんだ」
 そして、その言葉に反応したのがだった。
「強制?」
「うん」
「何か、あるんですか」
 違和感を感じたのか、が近くに寄ってきて尋ねる。
 変だ。
 半分退役してるこの人を強制参加させるなんて。
 ここから硫黄島まで飛んで、そして向こうで……硫黄島。
 嫌だな。
 と、そんな連想を呼び起こした自分をは後悔する。
 未だ、遺骨が供養もされずに眠れる島だ。
 沖縄以外の、陸上戦があった島。
 沖縄は有名だけど、こっちはあまり有名じゃない。
 それがまた、悔しいと思う。
 って、そんなことはどうでもよくて。
 強制ということはもしこの命令を拒否すればこの人はこの国に居ることが出来なくなってしまう。
 つまり、その資格をこのと名乗った男に無理矢理呼び出されたことで失うのだ。
 自分は趣味で無理矢理頼み込んだけれど、この人は『仕事』だ。
 つまり、この中で誰よりも時間を気にしているのは他の誰でもない、この人だ。
 しかしそれを最後まで言わなかったところをみると、やはり大人の対応で。
 それが少し悔しくもあり、憧れるところでもあった。
 そして今、この男の所為でこの人がこの国から消える。
 居られなくなってしまう。
 そう思ったら、言葉が口をついて出ていた。
「やっぱお前、最低だ」
「大丈夫だよ。少し遅れるって連絡は入れてるから、これからでも間に合う」
 間髪入れずにフォローに周ったはそう言うとの手を離し「急ごう」と言って公園から出て行こうとするのを手塚が黙って付いて行く。
 そして、一瞬の迷いもなくがその後に続いて歩くその後ろから、呆然としたままのが呟く。
「なんで」
 その声に、の足が止まると同時に手塚との二人の足も自然と止まる。
 そして足を止め振り向いたが立ち竦んだままのに声を掛けた。
「なんででも」
「なんでだ。なんで……あんたは……」
 更に募ろうとしたの言葉を切って、が言う。
君って言ったっけ」
 そこで言葉を切った先生は、トンデモナイことをサラッと言ったんだ。
「なんだよ」
「今から一緒に来るかい?」
「?!」
「どう? お二人さん」
 そう言って前に立つ手塚との二人に意見を求めた。
「構いません」
 即答したのは手塚だった。だが、は迷っていた。しかし時間はない。
 これ以上遅らせたら、今度は自分がこの人の足を引っ張ってしまう。
 それだけは嫌だ!
 だから、迷っていたのは一瞬だった。
「構いません」
「決まり。付いてきて。急げ、ボーっとしてる時間はないよ」
 そう言うと、今度こそ振り返らずにが歩き出した。
「来るなら来いよ。言っとくけど、ここからはお前の世界で使う戦闘機って言葉は一切出てこないからな」
 とそれだけ言うと、は先を歩く二人を追いかけていった。





――な、なんなんだコイツ等
 は、驚愕していた。
 カバンを抱えて助手席に乗ったの後ろの席から話を聞いているのだが、何を言っているのかサッパリ分からないというのが、の素直な気持ちだった。
「横田?」
「うん」
「厚木じゃないんだ」
「あのね。俺の所属は五軍ですよ」
 少し嗜める様子の声に、の表情が少し拗ねたようになって反論した。
「知ってますって。じゃ、なんであの時……」
 と、何かを思い出しているかのような彼の言葉にが観念したような表情を見せながら答えた。
「その予想は多分当たってるかなぁ」
 そしてその言葉を聞いたがゆっくりと運転席の方を見て恐る恐ると言ったかんじでに聞いた。
「もしかして、ただ乗せてもらってただけ?!」
「何のために猫が複座だと思ってるの」
 そう言ってハンドルを切ると同時にクラッチを操作させる。
「うわぁ、ってことは、あの時スティック預かってたの先生じゃないんだ」
「当り。あの時実は前の奴が操縦してた。俺はただの搭乗員で、本当のこと言うとあの時は後ろで寝てた」
 その言葉に、車の中でが驚いたように小さく叫ぶ。
「あぁぁぁぁ先生騙したの!?」
「いやぁ、流石に中学生が一人で来てるなんて思わなかったから驚いたのは確かだけど、まさか後ろの席で寝てたって言えないだろう? これでも気を使ったんだよ。少年」
「うわぁぁぁって、でもあの時ひっくり返ったりしてましたよね」
「してたな。でも、ホラ。そういうところで寝れないと、帰れないときだってあるからさ」
 そう言ってギアを入れ替えたとき、の後ろから手塚が始めて口を挟んだ。
「時速一千キロ近い速度で居眠り運転しないで下さい。死にますよ」
――今何て言った。
 時速……一千キロ?
「死なないよ。俺が寝てるときは操縦をもう一人の奴に任せるもの。ま、たまにゲームして遊んでることは確かだけどねー。実はソフト、意外にドームに入るだぞ。んでもって、給油のときはコントローラーで操縦したりとか? まぁそれは冗談だけど。でも中でしょっちゅう飯は食べてるな」
「吐きませんか、んなことして。っていうか、規定じゃ機内持込禁止なんじゃないんですか」
 と少し責めるように言うのは、だ。
「いやぁ。通常で飛んでる程度なら、一般の航空機と何ら変わらないさ。それにゴミはちゃんと持って帰るし今まで邪魔になったこと無いよ」
 と、違反については何も触れずにに少しずらした反論をした。が、すかさずが否定する。
「いやいやいや、違うでしょ」
 アクロバットとかアクロバットとかアクロバットとか!
 そんな、激しい運動してるのに、その最中に飯食べて吐かないなんて!
 と、先月味わったプロペラ機によるアクロバット飛行を思い出してはげんなりした。
 あんな最中に飯を食べようものなら、自分なら間違いなく吐けるという変な自信があった。
(イヤな自信だなぁ)
 そんな、げんなりしている間にもは淡々と反論していく。
「なんで。常に音速突破状態っていう訳じゃないし。巡航速度は大体一般の旅客機と変わんない亜音速飛行が標準なんだから、簡単な飯くらい食べれるし運が良ければコーラも飲める」
 炭酸なんか持ち込むんじゃねぇぇぇ!
 心の中はそんな気持ちで一杯だが、声はなんとか冷静を保ったようで
「炭酸、溢れません?」
 と聞いていた。
「あぁ。そんなときは、静まるまで待つ」
「……そうですか」
 てか、大空をグルングルン回転してる最中その荷物をあのコックピットの中の一体どこに置いてるんだ?
 という、そんな疑問なんかもう、から一切合切吹き飛んでいた。
 ただ、なんか精神的に疲れたような、そんな気がした。
「うん」
 こんな……こんな……こんな人たちに負けたのか!
 思えば思うほど、そして知れば知るほど、世界最強って何なんだろうとつくづく考えさせられる。
「そんな不真面目でいいんですか? 米軍って」
「え。不真面目かい?」
「えぇ。とっても」
「いいんじゃない? 任務さえこなせれば。っていうか、或る程度不真面目じゃないとやってられないし」
「……」
 そう言われたの表情がかすかに硬くなるのがも分かった。
 少し、不謹慎だったかな。
 そう思ったのか、先に謝りの言葉を入れてから話した。
「ごめん。でも俺等の本質ってそんなもんだよ。というか、特に空は無駄にエリート意識高いけど、不真面目なときはトコトンまで馬鹿になるからさ」
 と最後は冗談めかして言っているものの、その意識がさっきとは違うのが分かった。
『顔』が違う。
 今は先生の顔じゃなくて大尉の顔だとは思ったその時、声が響いた。
「あの、一千キロって、一体」
 その声を車内で拾うにはあまりに聞き取れないほどの小さな声だった。
 自身、答えを期待して放った言葉でもなかったし、スルーされる空気ならばスルーされても構わない。
 そんな思いで放った言葉だったから。
『君の中には他者が居ない』
 運転をするのその言葉は、かなりの心に効いていた。
 は明らかに応じていないはずなのに、何故か彼に心に鎖を掛けられた気がした。
 そうだよ。
 俺には、ずっと誰も居なかった。
 ずっと一人だった。
 学校の訓練でも、繋がる者が居ないのが怖くていつも一人だった。
 だから、他者と他の人とどう付き合っていけばいいか、良く分かってない。
 周りと会話したことなんかない。いつも的にされた。
 だから、付き合い方を、知らない。
 それにしてもさっき、なんか……軍とかって?
 そう思いながら放った言葉で、声としては決して大きな声ではなかった。
 が、は答えた。
「ん、あぁ。飛行機の巡航速度だよ。時速大体八百キロから一千キロはね」
 と、前を見ながらもその答えは確実にに向けられていた。
 だから恐る恐るとった様子で、初めてが敵意ではない言葉を紡ぐ。
「飛行機、乗るんですか?」
「うん、まぁね。で、これからそこに向かうわけ。でも、その飛行機を見て驚くなよ」
 最後のは少し浮ついた声だった。というより、車内でたった一人の敵である彼に気を使っているのかもしれないと、は思った。
 が、今ここで何かを言う事はが作ったタイミングを逃すことになる。
 そう判断して、はタイミングを待った。
「えっと、なんで」
 その質問に答えたのは、助手席からを振り返っだった。
 多分、そういうことなんだろう。
 そう判断して。
「ま、なんつうか。先生は戦闘機の操縦桿握る側だから」
 ……?
「え。っと、今……なんて?」
 と、初めてまともに会話ができた。
 その嬉しさと同時に少しの疑問が湧いてきた。
 今、操縦桿とか言わなかったか?
 そして、それと同時にが急に話を変えた。
「えっと、横田の周波数の変更ってありますか」
「いや、特に変更はなかったと思うよ」
「そうですか。じゃぁCLRとタワーとアプローチのA・B・Cと……あと、グランドとパイロット系でセットしときますね」
 そう言って、カバンの外側のポケットから手帳とライトを取り出すとそれを点けパラパラと手帳をめくって目的のページを探して既に手に持っていた何かの機械をその手帳を見ながら操作し始める。
 は気になって後ろの席から覗いてその手帳をチラリとみたが、何やら文字がぎっしりと書いてあって詳細は分からなかった。
 ただ、クリップ式のライトが照らすページの上の方にYOKと書かれていたのだけは分かったが、それが何を意味するのかは分からなかった。
「あ、俺のTACNAMEとコールサイン分かる?」
 と、どこかの駐車場に入るとき、が思い出したようにに声をかけた。
 あの時は無線を持っていなかったから分からない。
 だからは素直に答えた。
「先生のタックネームとサイン……ごめん分からないです」
 その答えに、はバッグにギアを入れなおしてそのまま駐車スペースに入れながら答えた。
「TACネーム『STICKER』コールサイン『Wing2』で出るから、もし拾ったらその時はよろしく」
「二番機ですか?」
 が不思議そうな顔をした。
「そ。なに、一番機だって思ってた?」
「えぇ。まぁ。ですが、シエラ・タンゴ・インディア・チャーリー・キロ・エコー・ロメオですね。分かりました」
「んじゃよろしく」
 そんな、また訳の分からないまるで暗号めいたものが交わされ、それだけで二人の間で通じる何かがあって、それに割り込めないのを分かっているのか手塚は無表情のまま何も言わずにただ黙っている。だからはそれに倣って、ただ黙っているしかなかった。





 車を降りて、フェンスに沿ってそのポイントだというところまで歩いていく。
 フェンスの向こうにあったのは、だだ広い幾つもの照明に照らされたコンクリートの地面その向こうにはそこから見ても十分に大きいと分かるドーム状の建物がいくつも建って続いていた。
 明るいから、前を歩くの姿も良く見える。
 そして手塚と名乗った高校生は、早々にどこかに消えていった。
 残ったは、そんな手塚に頓着せずに一人歩き始めてしまい慌ててがその後ろに続く。
 やがて足の止まった、と同じようにして足を止めたに、前から声が届いてきた。
「あの先生の手前、平気な振りしましたけど。俺、あなたに怒ってますから」
 と、地面にしゃがんでカバンを膝の上に置きその中からカメラを……もしかして一眼レフかなのか、普通のデジカメじゃないカメラを取り出しレンズを取り付けてそのままフェンスの向こうにカメラを向けてカメラを構えているが、ポツリと話す。
「なんで」
「なんでって。ここまで来れば分かるでしょう」
 そう言った時、轟音が辺りを包み込む。
 この音一体……
 そう思って辺りを見渡すが、遠くで雷のような轟音が鳴っているだけで他は何も見当たらなかった。
 空は星が珍しく見えるほど晴れているのに、どうして雷が?
 そう疑問に思っていると、が肩に付けベルトで固定している機械から声が聞こえた。
『……der……tacname sticker……ing request to tower』
「先生だ」
「?」
 疑問の表情で返したに、
「待機中だよ。でもって、この後タワーから許可が出たらで……?」
 そう言って、が何か機械を持って操作すると別の音がそこに響いた。
『……take-off to foxtrot-sixteen to runway……point seven』
「16?」
 そう一人ごちて、『ん?』という疑問の表情をすると、またボタンを切り換えた。
『……and Go first slowly to……』
「先生、FCLPなんて言ってたけど、完全な夜間格闘訓練じゃないか」
 そう言って地面に置いたカバンを持ってフェンスに沿って歩いていく。
 その後ろをが黙って付いて歩く。
 そして、響いた。
 爆音とも言うべきその音が。
「いいなぁ16」
 そう言って、上を見上げてカメラを構えていたのとても嬉しそうな表情が、忘れられない。
 そして、そんな爆音に驚いているが顔をフェンスの向こうに向けたまま静かに
「まだまだ上がってきますから、耳、塞いでいたほうがいいですよ」
 と言った。
アトガキ
巡空桜花
2023/07/07 書式修正
2009/07/09
管理人 芥屋 芥