小さい頃は、アレだったように思う。
なんつうか、居場所はあった。
ありすぎるほどに。
例えば近所のおばさん家だったり友達と公園で遊んだり、通りすがりの散歩のおっちゃんつかまえて世間話に付き合ったり。付き合わされたり。
貧乏だったけど幸せだったと思う。
そして、そんないわゆる母子家庭の子供時代の日常の中に、場違いな人が紛れ込んだのはいつ頃からだっただろう。
その『おじちゃん』は毎月最後の土曜日に来てくれた。
そしてその夜には一緒に寝て(母さんは、なんだか嬉しく無さそうだったけれど)日曜の夜に帰っていくおじちゃんという不思議な人。
名前は聞かなかったから知らなかったし、おじちゃんも言わなかった。
ただ『おじちゃん』と呼んでねとだけ言われたから。
でも、そのおじちゃんが自分の父親だと知るのにそう時間は掛らなかった。
つーかその中心に自分が居たんだから無理矢理にでも理解させられたっつうかな。
『あぁ、あの親子。……奥さんも可哀想にねぇ』
『本当に、どうしてお葬式に顔なんて出せるのかしら』
でも、その騒動の一番の原因となった『おじちゃん』のことを恨んでいるかっていうと、実はそうでもない。
俺にカメラをくれたり、色々教えてくれた人だから。
どちらかと言うと、尊敬している。
だからこそ、あの人がやってくれたように大体二ヵ月に一度の最初か最後の土曜日は欠かさず墓の前に立って飛行機談義に花が咲く。
「この間さぁ、16が上空飛んでたんだけど学校にアンテナ引いてて助かった。じゃなかったら分からなかったところだった」
なんて、夏の入り真っ盛りの七月最初の土曜の日の午前中。
こんなに暑いとそろそろ蝉が鳴く頃か。
そして、一年のうちで最も気分的に苦手な季節がやってくる。
この次の月は、いつもずらす。
その月に、笑ってなんて話せないから。
「で、俺さ。この後……」
続きの言葉は、遮られた。
「おい、お前花も持たずに何やってんだ」
石で出来たお墓の通り道を気配を隠さずに尊大な空気を目一杯漂わせて歩いて来たのは、一人の少年と青年の間の年齢だろうしかしその頭には既に耳がない制服を着た大人の少年だった。
「あんたに呼び捨てにされる謂れはねぇよ跡部先輩」
そう言って振り返ったの顔は、不機嫌さの中にどこか諦めた様子が混じったような複雑な顔をしていた。
がこうして定期的に墓参りしていることを知ってからというもの、それに同行してくるようになった一人の男。
生前あまり仲が良くなかったと聞いたが、それでも『身内』ではない、に対抗するかのようにここに来るようになった。
「アァン? んだとこら」
そして、もまたそんな跡部とは合わないところがある。
二人きりで顔を合わせると、いつも口論から入るから。
そしてお互いその頭に耳はない。
跡部の耳が取れたのは、すごく早かった。
中学も終わりの冬休みか春休みのとき。
当時中一だった俺は、そんな奴を見て『うわ、最低』と思ったのと同時に『やっぱり』とどこか納得したような気分にさせられたのを今でもよく覚えてる。
そしてそんな俺もまた、高校入って直ぐに耳を取った。
対抗したかったわけじゃないけれど、でも……なんつうか。誘惑があったんだ。
その彼女とは、一ヶ月前に別れたけれど。
でも、取ったことを後悔してないって言われたから、多分大丈夫だろう。
そして俺もまた後悔していないから、お互い様なんだけどな。
「言っとくけど、大学出るまでは俺の苗字は『』であんたとは他人」
籍を入れていない以上、コイツとはまだ他人のはず。
その現実を一々突付かないと、跡部はすぐにを身内扱いをしてくる。
それがとてもウザくて仕方ない。いい加減戸籍を理解しろってんの。
おまけに学校が違う上に友達でも何でも無いんだから気安く呼ぶなってんだ。
「下の名前ならいいだろうが。って、お前またそんなもの」
近づいてきた跡部が、墓の台のところに置かれたモノを見て声を信じられないといった声音で言葉を荒げる。
っクソ。テメェの価値基準でモノを考えるんじゃんねぇよ。大体小父さんの趣味を最後まで理解しなかったのは何処の誰だ。
だが意地になってまで置き続けるものでもないので、は手を伸ばして跡部が言った『そんなもの』を手の中に納めて反論する。
「うるせぇなぁ。小父さんは花なんかより絶対こっちの方が喜ぶよ」
言いながら、花を交換しようとしている跡部に墓の前を譲って後は任せることにした。
ゴトリと、水の入った木でできたバケツを地面に置き、その中に挿されていた花を取り出して前に交換した花とは違う、きっと社員の誰かが交換しているのだろう花を再度交換しながら跡部が悪態を付いてくる。
「だからって、墓の前にそんな鉄くず置く奴があるか」
「鉄くずとは失礼な。これは先週、部品の引き払いから貰ってきた高速タービンブレードの一部。おまけにこれに鉄なんてホトンド入ってねぇよ」
などと反論しながら、先ほど跡部が言った鉄くずをシャツの胸ポケットに入れると彼が置いた花のないバケツを持ってその中の柄杓を握ってが墓に水をかける。
サラサラサラと水の流れる静かな音と共に、跡部が線香に火を灯しながら再度反論に出た。
「ッチ。訳のワカランことを言いやがって」
「訳わかんないのはお前が理解しないから。ていうか、興味ないからだろう」
などと口論しつつ、そのままカランと水を掛けるのを適当なところで終らせたがバケツを地面に置いて、墓前に手を合わせたのを見て跡部もまた立ち上がり同じように手を合わせる。
しばらくの間落ちたのは、周辺の音だけの静寂の空間。
この時だけは、二人共無駄なじゃれ合いはせず、ただ黙って墓の前に立つ。
そしてそれが終ると、また口論が再開する。
「で、あんた学校は?」
墓地の道をゆっくりと歩きながら、が先に跡部に聞いた。
制服なことからして、公立の自分とは違い学校があったハズじゃないのかと。
「抜けてきた」
その言葉に、は呆れ顔を作った。
氷帝は、小中高大の一貫校だ。とは言え、中には氷帝の大学には進まず公立の大学を目指す奴も居ると聞く。
そして跡部は、そんな公立の大学を目指す一人と言うわけだ。
そんな奴が授業を抜けて墓参りか。
「なんだそれ。嫌味か」
「アァン。誰が嫌味だって」
ギロリと睨むが、には効果がない。それは分かっているが、その上で挑発してくるが跡部は気に入らない。
「必死で勉強してる奴にさ。俺にじゃなくて、そういう人たちに対して嫌味じゃないのかって聞いたんだ」
「……ッチ」
反論できずに跡部が舌打ちをして黙る。
常に自分じゃない誰かを見てる。
この考えは、死んだ父親にそっくりだ。
『俺が何て言われようと構わない。だが、他の人間を悪く言うのは許さん』
そしてその精神は俺じゃなくコイツに受け継がれたわけだ。
ま、そりゃそうだよな。ほとんど家に居なかった分、コイツの家にだけは頻繁に通っていたようだったから。
それが分かったのは、父親が亡くなる少し前のこと。
『景吾にも、話しておいた方がいいか』
病院で、呟くようにそう言われて教えられた。
しばらく、親父が何を言ってるのか分からなかった。で、話を全て聞いてもそれでも病院では平然としていたはずだったが、それでも人並みにはショックがあったわけだ。
その場では取り繕ったが後日学校で『どないしたんや』と、目ざとい忍足にバレる位には。
「分かったら戻れよ」
「墓参りの方が大事だ」
で、結局コレ位の反論で終るのは、が親父みたいなこと言いやがるからか。
手に持ったバケツと柄杓をお寺に返して、それぞれ帰路につく。
「じゃ、俺こっちだから」
墓地の入り口で分かれてはさっさと駅の方へと歩いていく。
跡部がこの後どうするかとか、予定を聞く前にあっさり分かれた後姿をしばらく眺めると、携帯に着信が入って跡部はそれに出た。
「あぁ。待ってるから迎えに来い」
命令が、自分には許される。
が、それが出来ない唯一の相手がという二歳年下の腹違いの弟だ。
巡空桜花
いつも遊び相手をしてくれたことが一番大きいのかもしれない。
「おじちゃん、この飛行機すごいね」
なんてその人が持ってきたおもちゃに興味津々で尋ねようものならすごい勢いで返事が返ってきて驚いた記憶がある。
この人スゲェって、子供心にそう思った。
そしたら、次に来た時に渡されたのは小さな使い古されたカメラだった。
凄いと思った。
夢中になってそのカメラのシャッターを切った。
でもフィルムだったから、母さんに
「程ほどにしなさい」
と怒られてからは、フィルムのカメラは滅多に使わなくなった。
代わりによく使ったのは、使い捨てカメラだったけど。
それなら、枚数とか決まってるし良いでしょって。
そして、中学を入った頃には一人で航空祭に行くようなったわけで。
そして今は、その小父さんの影響で俺はここで絶叫してるわけだ。
話聞いたら、絶対羨ましがるだろうなーってそんな事考えている余裕なんてない!
「だからって! ロールし過ぎだぁぁぁ!! うわぁぁぁ落ちる落ちる落ちる!!!!」
操縦席の中で、俺は只今絶叫中。
目の前の視界がグルグル三百六十度回って気持ち悪い。
ったく、上がって30分程遊覧して直ぐ下りるっていうフライトプランだったハズなのに、何時の間に変更になっていたのか、その後一気にロールへと機体は移行した後は耐久テストかって思うほどのアップダウンの繰り返し。マイナスのGが気持ち悪ぃのなんの。
ってこれN類飛行機じゃなくてもしかしてA類?!
人(俺)乗せながら背面飛行してんじゃねぇぇ!!
地面が認識上、『上』に見えるって一体どんなんだよ!!
フォー・ポイントロールなんかすんじゃねぇぇ! 体が地面と平行なんてイヤァァァ!!
叫ぶ気力もなくなった俺は、心の中で必死に願った。
落ちないでくれ!
と。
そしてそんなアクロバティックな飛行を操る隣のパイロットは、余裕綽々な笑顔で操縦をしている。
信じられない!
「管制からも飛行機の持ち主からも好きにして下さいって言われてるし。それに大丈夫だって。戦闘機ほど激しく動いてないんだから。最後にデカク一回転して空港に戻ろう」
そう言って嬉しそうな表情で操縦桿を思い切り動かすと太陽が見えた。
って、そんなことはどうでもいいんです。
そのままひっくり返らなあぁぁぁ今度は地面がぁぁぁ!!!
近い近い近い。失速する失速する。落ちる落ちる落ちる。ヤバイヤバイヤバイ!
俺、飛行機に突っ込まれて死ぬのは本望だと思ってるけど、突っ込むのはヤダぁぁぁ! しかも小型機ぃぃ!!
「なぁ">。撮られる側って、大変だろ?」
そんな言葉を隣に座って嬉々とした表情で言うなこのクソ大尉!!
「オエッ」
「はい。大丈夫?」
吐きそうになってしゃがみ込んでいるを心配そうに顔を覗き込んで、ペットボトルのお茶を差し出しているのはさっき嬉々とした表情で操縦桿を握っていた人物だった。
「あー……あーはい。なんとか……」
そうは言ったものの、体が変に揺れているから喋ると同時に吐きそう。
滑走路に下りてエプロンに戻ってきた飛行機から下りた小型機(A類!)から降りて直ぐ、はしゃがみ込んだまま動けなくなった。
マイナスのG、車なんかが道路で不意にジャンプするときの落ちる時の内蔵が持ち上げられるようなあの気持ち悪い、人によっては面白いと感じるかもしれないあの感覚を地面も何もない空という空間で数十回食らえば流石に気持ち悪くなるというもので。
おまけに、普段滅多に感じない上下や斜めの揺れを感じて、三半規管以下体が脳が変な方向に揺れに揺れて仕方がない。
だが、が意地で発した『何とか(大丈夫)』と聞いた人物は容赦が無かった。
「ほら、いつまでそうやってる。飛行機動かせないだろう。大丈夫だったら手伝え」
そう言って、平気な顔して飛行機を押してそこから移動させ始めるその人物に、がフラフラと立ち上がりつつも青い顔のまま返事をした。
「へぇい」
あの小父さんがこの状況を見たら、さぞや喜ぶだろうなぁ。
っていうか、面白がるかも。
そう思いつつ、は手を伸ばして頭が痛いながらもその人物と一緒にさっきまで乗っていた飛行機を押すのを手伝う。
こんな、二人でも押せるほどに軽い機体が、あぁも簡単に飛ぶなんてな。なんて。
好きなくせにいつも疑問に思う。
そう考えたら、旅客機なんてもっと不思議だよな。なんて……な。
飛行機をハンガーに戻すと、そのままは後のことは先生に任せて(というより、専門的なことは出来ないからな)壁にもたれてその内部を見渡してみた。
デカイ建物だ。
家で例えるなら、二階か三階分くらいはあるだろうか。
元々旅客機を格納するところなのだから、これくらい大きくて当たり前なのだが、そして航空祭で見る軍用のハンガーはもっと大きいのだけれど、それでも、人が沢山居るのと居ないのとでは全然違う印象があって、改めてみるとその大きさに圧倒される。
そしてそんな大きな格納庫の中には梯子があって、タラップがあって、見たことも無いようなデカイホースらしきものが天井からぶら下がってて、その高い天井から壁から壁一杯に広がっている天井に取り付けられたレールで吊り下げられた地上にまで垂れている長く巨大な緑色のネットには、そのど真ん中に安全第一の文字がそれぞれ一文字ずつに白地に黒の文字で区切って縦にデカデカと貼り付けられている。
アレ、一辺の長さってどれ位あるんだろう。一メートルくらいか?
なんて、未だ気持ち悪く揺れている頭でボーっとしながら取り留めのないことを考え始める。
それほどに、地上に居たのではその長さがどれ位か大体しか予測できないほど、その一文字ずつの安全第一のプレートは一枚一枚が大きかった。
そしてその向こうには、工具やヘルメットとかが置かれてあったり何かよく分からない大きな台車とかが置いてあったりして、そこから微かにオイルの臭いが漂っていたりする。
きっとあのネットから向こうは、整備員たちの工具置き場か何かという区切りなのだろう。
とは勝手に判断して、次に気なった格納庫の扉の方へと視線を向けた。
航空祭で見慣れてはいるが、それでも人が多いあの状態でゆっくり測れるものではないからと、は少し回復した体をその扉の方へと移動させるとそのまましゃがみ込んで扉の溝に手を当ててその厚さを測り始めた。
――人差し指第一節届かないってことは、大体一・五センチか。分厚いな。やっぱ。
一・五センチの鉄板。
それがどれほど巨大なものか、鉄というものを考えたとき、そしてそれが縦に立つということを考えたとき、その厚さ一・五センチというものがどれほど巨大なものかがよく分かる。
それが6レーンあって、合計約9センチ。厚さ合計9センチの分厚い扉。
事故防止のための、分厚い鉄の巨大な扉。
確かに、オイルや航空燃料に引火すると大惨事だもんな。
そう思って外を背にして立ち上がると、その中から全体を見渡してみる。
ハンガーの中には、さっき運び込んだ飛行機以外にも数機の飛行機が止まっていた。
全部小型機で、全て個人や会社が所有するものだ。
ここは個人所有機や少人数のチャ―ター機が在住するハンガーで、大型機はこの中にはない。
四人乗りや二人乗りのプロペラ機、その他数人乗りの少し大きなチャータージェット機が置いてある。
それだけでも、旅客を扱う飛行機というものがどれほどに大きいか、そして例えさっき乗ったような二人でも運べるほどの小さな飛行機一つでも色んな人がその下で支えてるかがよく分かって、はやっぱり飛行機が好きだなぁと実感しているとハンガー内に響いた声に、現実に引き戻された。
「久しぶりのアクロバット飛行楽しませてもらいました。ありがとうございます」
「なーに。構わないよ。お陰で良い写真が撮れた。ありがとう、"先生」
「いえいえ、こちらこそ。楽しませて頂きまして、ありがとうございます」
声のする方に顔を向けると、そうお礼を言って頭を下げている先生を呼ばれた人の頭が小型飛行機の翼の向こうから僅かに見えた。
恐らく奥の扉から出てきたのだろうが、滑走路近くの方に居るから見ると、飛行機を二個隔てたところに居るから随分遠くに感じるがそれでも平気な顔をしながら、缶珈琲を飲んでいる飛ぶのを依頼したという飛行機の持ち主と(世の中にはそういう道楽金持ちが居るものだということをつくづく実感させられる)談笑しているのは、青学高等部で物理を教えている先生だ。
ちょっと依頼で飛ぶんだけど来るかい、と声を掛けてくれたのが一週間前。
なんでも、なんかのテスト飛行とか何とか言って誘ってくれた……んだけれど。てっきり下から見上げて写真取らせてくれるものだとばかり思ってたから、カメラ機材用意して向かったのに予想は大外れだった。
『手ぶらで来いって言わなかった……あ、ごめん。言ってなかったね。今日は、これに乗るんだよ』
ってそう言われて乗ったのは良いけれど、正直、空間失調症になるかと思った。
そして、あんなアクロバット飛行をやってのけてケロッと平気な顔をしているあの先生は、ただの先生なんかじゃない。
出会ったのは三年前か。
それの前に張り巡らせたロープの向こうに居て、会場に来ている人たちに英語で説明をしていたいわゆる軍の人だった。
「すげぇ。14だ」
人ごみの中、その前に行くのすら大変なことだったのはよく覚えてる。
っていうか、高校に入ってからもその大変さは変わらないけど。
でも、人人人で埋まるその前に必死でたどり着いて初めて生で見た映画の中でしか存在しなかった『F−14』戦闘機。愛称はトム・キャット。
それが今、目の前で展示されてる。
映画の中でも凄いって思ったけど、本物はもっと凄かった。
圧倒的存在感。隣の18も凄かったけど、でもやっぱり14は、その翼が動くとあって、構造からして何もかもが違った。
正面から見ると、いかつく盛り上がったように見える翼の形。それが左右にあって、いかにも『戦闘機です』っていう感じで。
盛り上がっているのは、翼が動くから。
ソ連に対抗して出来た西側の可変翼戦闘機。それがF−14トムキャット。
だけど、そんなニワカ知識なんて現物を前にしては米粒同然だった。
ただ純粋に、格好イイという気持ちだけがそこにあったんだ。
そして、そんな中学生が一人で来ていることを迷子だと思ったのか、ロープの向こうから話し掛けてきたのが先生だった。
「You are lost child?」
君、迷子かい?
それが、最初だった。
突然英語で話し掛けられてしどろもどろになっていると、その人は無線を取り出して何かを告げた。
恐らく迷子センターにでも無線を飛ばしたんだろう。そう思って慌てて反論した人生初のアメリカ人相手の生の英語は、
「NO I am not lost child!」
俺は迷子じゃない。だ。
そして次に出てきた日本語に、とても驚いたんだっけ。
「そか。でも親御さんは?」
へぇ、基地の人でも日本語使える人居るんだ。てっきり英語ばかりだって思ってたから驚いたのはよく覚えてる。
「居ない。一人で来た」
「なるほど。楽しんでる?」
「はい」
そんなやり取りをした後、無線で呼ばれたその人は奥の14の主輪足元に立つ軍人に何か話し掛けて、肩をすくめたり談笑してたっけ。
日本語の堪能な米軍の人……か。広報の人だろうか。なんて、勝手にそう思ってたんだけど……な。
まさかパイロットだったなんて思いもしなかった。
「どうだった、少年」
――驚いて声も出ないとは、このことなんだな。
正直、そう思った。心底。
その人のことが、憧れどころじゃない存在になった。
パイロットだ。すげぇ。パイロットに話し掛けられた。
その日は眠れなかった。興奮が続いて、そして浮かれた俺は、翌週家に来た小父さんにそこにペイントされていたマークの意味を、聞いてしまったんだ。
『それは、ミサイルスコアといってな、実戦で使われた機体でミサイルを何本撃ったかという意味だ。14だったら、湾岸だな』
悲しそうに告げる小父さんの表情が暗いのはどうして。
純粋に思えたのは、それまでだった。
『そろそろも、飛行機の裏を知るときか……』
そう言った小父さんの顔は、とても悲しそうだった。
「大丈夫?」
ボーっとしていたのか、目の前に先生の顔があって思わず体が引いた。
「……あ、はい」
まさか昔のこの人のことを考えていたなんて言えないから、なんとか誤魔化しては答える。
「そ。ならいいけど。もしかして体まだ揺れてるんじゃないかって思ってさ」
そう言いながらバッグを担ぐその人を見て、本当にあの時の面影がほとんど残っていないことを再度確認して思わず心の中で苦笑いをする。
半分辞める形になったのは何故なのか。
どうして予備役になったのか。
聞いちゃいけないことだと分かっているけど、それでも知りたいなぁなんて思っているけれど、でもやっぱ聞けないや。
だから、口から出たのは返事だった。
「少し揺れてますけど、でももう大丈夫です」
自分を隣に乗せながらも無茶をやったことを、それでも後悔してないんだろう先生の声には肯定と否定の返答を同時に返す。
「ならいいけど。どうだった、感想は」
あまり踏み込んでこないのは、他人だからか。
でもこの距離感って普通だよなと、今更に気付く。
あぁ、だから跡部はすぐに俺を身内扱いするんだなと、そして過干渉してくるんだと思い至る。
その過干渉って、小さいときから一緒にいたなら別だが、全く違う環境でしかも親も違う人間に急にすればどうなるかくらい分かりそうなもんだけどな。
だから、あの衝突しっぱなしの口論の原因は跡部にある。うん。
でも俺にも原因はある。
分かってるけど。
分かってるけど、それでも抵抗するのは、これは意地だ。
俺にだって意地がある。
妥協できるところはいくらでもする。でもやっぱり私生活にまで干渉するのは、せめて今の間だけでもできるならば辞退したい。
「感想って。ただグルグル回って太陽と地面が見えて。そんな周りを見る余裕なんて無かったです」
率直な感想をが述べる。
実際そうだったから。
そして、地上から見るのと乗って操縦するのとでは全く違うのだということを身をもって体感したわけだ。
「でもコックピットから見ると、あんな感じなんですね」
これはパイロット視点の感想。
あんなグルグルに天地がひっくり返る状況なんて、そうそうあるもんじゃないから。
しかも猛スピードでの、回転、横転、縦回転。
プロペラ機だからと言って甘く考えていると泣きを見る。
それだけ、車と速度が全く違うと言う事。
そして何より地面がない。
地面がないということは、斜めにも上がれるし横にも縦回転しながら移動できるっていうわけだ。それにひっくり返れる。
それが車とか、船とかとは全然違う飛行機の世界だ。
ゲームじゃそんな体感はまず得られない。
「そうだね。だから、見せる側は大変なのですよ」
そう言って、ずり落ちかけていたカバンを肩に掛け直すと肩をすくめて見せた。
「パイロット……ですか」
と呟いたの言葉をサラリと流して
「まーね。さてと、長居は無用だ。そろそろ帰ろうか」
とだけ言って、右手に持っていたの荷物を渡して先生が歩き出すその後ろを、彼が渡されたカバンを肩にかけながら付いて歩く。
パイロット、か。
すげぇよなぁと思うと同時に、或る意味で複雑だよなと思いながら。
「……ここか」
地図を見て、家の前にたどり着いた。
しかし、どうやらまだ帰ってきていないようで部屋の明かりはついていなかった。
もう八時になろとしてるのに、まだ帰ってきてないのか。
ならば今日はもう帰って来ないのかもしれない。
そう思って、明日出直すか。と帰路に付きかけたときだった。
車の止まる音がしてかと思うと、バタンと扉が閉まる音がしてそちらを向くと、資料の写真にあった少年が何やら荷物を抱えてその車から降りてきて運転席側に回りこんでいるところだった。
「あの」
「……?」
「なんで先……は、その……」
少し離れているためか、上手く聞き取れない。
でも、写真の少年は車の中に居る人物に対して、何か親しげに声を掛けているのは分かった。
「なに」
「いや、なんでも……今日とても楽し……です。また、……ください。あ、でも今度は見て……お願い……俺、トリセンなんですから」
「りょーかい。んじゃ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
最後のやり取りだけは、確認できた。
って、今の車に乗ってた奴ってまさか!
警戒して領域を開放してみるが、目的の少年は鼻歌を歌いながらアパートの階段を上がっているところだった。
気付かない……のか。
そして、廊下を照らす蛍光灯の明かりが照らし出したのは、その頭に耳が無いということだった。
!?
写真にはあるその耳が、ない!?
落としたのか!
一体、どうして?
うろたえるほどに、それは衝撃的なことだった。
ま、さか、自覚がないとはあったが、耳を落すのはコイツだけだって、そしてコイツもきっとそうだって、 ずっと思ってたのに!
それよりも、『とりせん』って何だ。
一体何を『とる』んだ?
――どうやら、あの『』とか言う奴が一枚噛んでるのか。それとも?
疑問が心の中を支配しながら、彼はソッとそこから帰路についた。
とりあえず、『』という人物を探らなきゃ。
そう思って。
そしてそれが虎の尻尾を踏む、いや、龍の逆鱗に触れることになろうとは、この時まだ、少年は気付いてはいなかった。
アトガキ
202/07/07 書式修正
2009/06/27
管理人 芥屋 芥