「あの、俺何時間くらい寝てました?」
目は良いほうだが、自分の見ている角度からでは時計を確認することができないは間近にいたデンマークに時間を聞いた。
今日は三ヶ月に一度の理髪店に行く日だから。とは言え予定が詰まっている時の方が多くて行けないことの方が多くて。
そしてそんなの、雑な染め上げで痛んだ髪を見てあの美容師が嘆くのもまた何時ものこと、なのだけれど。
そして今日はなんとか行けそうだと思っていた……のだ。
彼らが現れるまでは。
――参ったなぁ。今日の予定、事前にスーさんに言うの忘れてたし……
つい四・五時間前の深夜三時に近い時間帯にこの家に帰ってきたにとって、そもそも一昨日から会っていないスウェーデンに今日の予定を告げる暇などなかった。
携帯を持ってるとか何とか言っていた気がするけれど、は彼の番号を知らない。
下手にスウェーデン大使館につながったりしたらそれこそヤバイし。
ただでさえ出自が「ややこしい」自分だ。コトを大きくしたくない。
そこまで考えては改めて、それにしてもなぁと、今日の美容室に行く予定について考えてみた。
こうも人数が多いのでは身軽に身動きが取れそうにもない。
スーさんだけだったらなら事情を説明してどうにかなっただろうが、今となっては後の祭りだ。
――まぁいいか。どうせ延期に延期重ねてるし。別に今日行かなくても。
と、珍しく行動してから結論を出したは、さっきの自分の言葉を引っ込めた。
「あ、時間はいいです。流してください。それより……」
しかし納得がいかない風な視線を彼に向けるデンマークは、が時間を気にした理由を空気も読まず彼の言葉を遮ってずばりと聞いた。
「なして時間気にしたんけ?」
と、無邪気な笑顔全開で聞くデンマークに、後ろで見ていたノルウェーはこの時ばかりは、無表情ながら珍しく心の中で「GJ!」と親指を立てていたことに気づいた者は、その更に後ろのソファに座ったアイスランドだけだった。
――珍しいね。
台所の片付けが終わり、人数が増えたことでソファに戻れなくなったスウェーデンは、座る場所をソファから対面式の台所の前にある小さなテーブルセットの椅子に居場所を移し、三人のやり取りを何を考えているか分からない表情でじっと見ている。
そしてそんな彼の目の前のもう一つの椅子に座って同じように事態を見ているフィンランドは、少しオロオロとした様子で周囲を伺っていた。
そんな中、一度自らが否定した言葉の真意を聞かれたはどう答えようか迷っていた。
この状況では答えなければならないようなそんな気がするし、違う。答えなければますますどこか気まずくなってしまう訳で。
それに恐らく長い月日を生きているであろう彼ら『国』、少なくともデンマークやスウェーデンは西暦600年頃から存在している。
そんな彼らに小手先の否定など通じるはずもなく、は意を決してデンマークの質問に答えることにした。
「いや、えっと。実は今日時間があったらその、何といいますか。髪を切りに行きたいなと思ってまして、それで時間を伺ったんです」
この様子ではその予定は恐らくキャンセルになるだろう。そんな予想を含ませた声のの言葉にデンマークが笑顔で言った。
「なら。俺が切ってやっぺ」
と。
Nordic balance?-04
「……」
予想外の申し出に驚いた顔のまま固まったに対して、デンマークが更に言葉を続ける。
「任せろ任せろ。おめぇに似合うようにすっから!」
と、やる気満々笑顔全開で言うデンマークの後ろから、ものすごく剣呑な雰囲気があふれ出てきては顔を引きつらせる。
その彼は、スウェーデンとは全く違う雰囲気をまとって、恐らく誰よりも一番怖いんじゃないかという威圧感を隠しもせずにデンマークの後ろに立っていた。
だが当のデンマークは軽く視線を上げての頭をジッと見ながら
「髪型どういう感じにすっぺなぁ」
と真剣に悩んでいる。そんな周囲の特に後ろの様子に気づかないデンマークに、どんよりと重い何かに(恐らくデンマークに)対してかなり苛立っているような空気を隠さないノルウェーが静かな声で彼を呼ぶ。
「あんこ」
そんなノルウェーの声に、デンマークは気づかないのかそれともワザと気づいていない振りなのか分からないが、笑顔で彼を振り返って聞いた。
「ん? ノルはどんな髪型が似合う思う?」
そんなデンマークの言葉に重なるようにして響き渡ったノルウェーの
「どけい」
という言葉は、言われていないの方が思わず体を引かせ、自分がそこから何処か別の場所に行かなければならないような気にさせられるほど強い意思のこもった声音で、さすがのデンマークも怪訝な顔をした。
が
「もしかしてノルが切りたいのけ?」
と、天然さ丸出しで聞き返しあからさまに呆れ返った表情を一瞬見せたノルウェーは、元々無表情な顔から更に表情を消して答えた。
「いいから、あんこ。どけ」
と。
なして気づかね。あんこ。
と、イライラを隠すことなくノルウェーはデンマークからその場所を奪っての顔をジッと見つめる。
見つめられたは、ノルウェーの無表情な顔に自然と心が引くのを感じた。
何故か、油断してはならない。
そんな警告が頭をよぎったからだが、それが何を意味するのかは分からなかった。
有無を言わせない、不思議な威圧感をまとうノルウェーを前にして言葉が発せられるはずもなく、は目の前に座る彼の言葉を待った。
ノルウェーがあぁいう反応するときって、大体デンマークに対して対抗しようとしてるときなんだよね。
と、不機嫌なノルウェーの後ろ姿を見ながらアイスランドは考える。
自分がノルウェーを『お兄ちゃん』と呼んでいたときから、ノルウェーのデンマークに対するスタンスは何も変わっていない。
デンマークを認めていながらも、地味にいじめる。
時には、本当に嫌ってるの? と思えるほどの『いやがらせ』だって日常茶飯事だ。
だけどそんなにもイヤな存在である彼に従うときは、内心イライラしながらなんだろうけど、従うとこともある。
でもやっぱりどこか反発している。
――変なの。
しかしデンマークはノルウェーのことを友人だと思っているらしく、ノルウェーのやることや言うことにデンマークがアカラサマな反発をしたことはあまりない。
そんな二人の微妙な関係は、一緒に暮らし始めてしばらくする間に分かってきた。
スヴィーことスウェーデンに対するのとは全然違う態度を、デンマークはノルウェーに取る。
だから今回も重大なことには発展しないと思う。
そんなのは分かってるけど、それでもこの二人が剣呑な雰囲気になると止められるのは一人しかいない。
僕そんな体力ないし。
――スヴィー。止めないの?
そんな思いを込めて、少し離れたところからこの二人のやり取りを見ているであろうスウェーデンに視線を向けると、すぐに気づいたらしくこっちを見て視線だけで返事を返してきた。
それは予想通りの返事。
基本スヴィーはこの二人の間には入らない。
酷くなりそうなら止めるけれど、これくらいのことは日常茶飯事だし。
――止めね。こごはノルに任せる。
やっぱり。
そしてスヴィーは今、きっと面白いこと考えてる。
冷たい印象と威圧的な雰囲気があるスヴィーことスウェーデンだけど、その実とても諦めが早くて内心では色々お茶目なことを考えてるの、僕知ってる。
今このときだって、その強面からは想像つかない絶対面白いこと考えてると思う。
例えば、そう……あの人、さんの髪型をどうしようか? とか。そんなこと。
だけど、なんでデンマークは彼のことを気に入ってるんだろう。
……まぁ、そんなことはどうでもいいか。
「ノルぅ。切りたいなら切りたいってハッキリ言った方がえがっぺ」
と能天気丸出しで言うデンマークとそれとは対照的な不機嫌な顔のノルウェーを前に、は思う。
この二人の仲って、もしかしてデンマークさんの一人相撲なのでは? と。
だがデンマーク自身からくる鈍感さ、そして恐らく誰からも言われなかったのだろう、その事に全く気づいていない節が見られることから、ここは空気を読んでも黙る。
そしてそんな彼に、ノルウェーがゆっくりと口を開いた。
「おめ。目が緑だども、もしかして髪の色も本当は金髪なんでねぇか?」
その言葉は、妙な確信が含まれていた。
そして、そんな珍しく『人』に興味を持ったらしい自分を信じられないといった様子で見ているデンマークの視線を鬱陶しく思いながら、ノルウェーはそれに無視を決めこんで話の対象をに絞った言い方をする。
「おめの母親はスウェーデン人だって聞いてな。なら……」
顔のつくりや雰囲気はやや東洋人のそれだが、その目と髪はさっきチラリと見た感じは西洋の、いや、あれは明らかに北欧のものだった。
ましてや日本人とのハーフで残った劣性遺伝子ならば、恐らくそのままを継いでいる可能性もある。
一瞬だけ見えたあの目は、北の海に浮かぶ氷山の氷が海の色に反射したような、そんなアイスグリーンの色だと思うから。
光があたればその光の色に染まる。きっとそんな虹彩をしている。
少なくともノルウェーはそう踏んでいた。
そしてそんな彼の質問を受けて、ソファに座ったままのが天井をちらりと見て質問者の方に顔を向けて少しはにかむように答えた。
「……確かに俺はその、皆さんと同じ髪の色してますけど。でもここじゃあまりにも「アカラサマ」なので、その、色々事情があって染めてるんです。黒に」
そういったとき、デンマークが不思議そう顔で聞いてきた。
「なぁしてぇ?」
そう聞かれて、は困った。
どう説明すればいいんだろうか。
と、北欧五カ国五人に囲まれて珍しく彼は焦る。
とりあえず、ここは日本で黒に染めると目立たないことと、あとは……顔立ちはちょっと彫りの深い日本人顔なので、金髪のままではとにかく目立つこと。
中学高校と髪と目のことを言われまくったのでこれ以上言われないようにしようとして出した結論が『染める』と『カラーコンタクト』という手段だったこと。
と言う、かなり手前勝手な理由を告げるとデンマークが納得できないといった様子で
「なしてぇな。ぜってぇそのままの方がえがっぺ!」
と抗議するその横で
「おめぇはまず、その髪の色落とせ」
ノルウェーが静かに呟いては思わず体を引かせる。
「……はぁ。ですが、これで一応通ってますので今更やめるわけにもいきませんし」
と軽く抵抗してみると、リビングのテーブルセットに座っていたスウェーデンがの側へとつく。
「ん。無理さ変える必要はねし」
そしてそれに同意する形で、デンマークが反応する前にフィンランドが言う。
「そ、そうですよ。それに似合ってますし、ね。さん」
「あ、ありがとうございます」
と、同意してくれた二人の方を向いてが軽く頭を下げる。
が、それを許すほどノルウェーは甘くない。
そこはあえて空気を読まずにズバリと言ってきた。
「なら切る間だけでも、その色落とせ」
と、その言葉を聞いたの顔が驚きに変わるのを彼の前に居る三人は見ることになる。
「えっと。どうしてですか?」
珍しく狼狽の色を見せたに、少し離れたところにいるスウェーデンが不思議に思う。
――?
だが、目の前に座るフィンランドはソファでのやり取りを少しはらはらしながら見ており、声にも雰囲気にも出さないスウェーデンの疑問に答えるものは誰もいなかったが。
「どうしてもだ。それにおめはそっちが本当の髪の色だべ。ならそっちの方にして切るのが道理だ」
デンマークが、珍しく口数が多いノルウェーを関心しながら見ているが、意地になった彼に適う人間はそうそういない。
それにノルは、その見た目とは裏腹に案外拘りが強いことは、自分が一番よく知っている。
と、いつぞやのアイスに迫った『自分を兄と呼ぶこと』をしつこく言っていたことを思い出して、デンマークはノルウェーを改めて見直した。
こりゃぁ、が本当の髪色にするって言うまで迫りまくっべ。
そんなデンマークの予想通りに、ノルウェーはその威圧感を隠しもせずにに迫る。
「切るから、その色落とせ」
「……イヤです」
「落とせ」
「何でですか」
「何ででも」
「答えになってませんよ、ノルウェーさん」
「いいから」
有無を言わせずここまで拘るのはどうして?
そんな疑問が浮かぶが、どうしても落とすのはイヤなので
「イヤです」
と半ば意地になって答える。
が、やはり一枚も二枚も彼の方が上手だった。
「い い か ら 落 と せ」
と、ズイッという風にその無表情で迫力ある顔を近づけて一つ一つの言葉をゆっくりと迫力ある顔で言ってきたのだ。
そんな予想外な彼の行動に、思わず
「……ハ、イ」
そんなやり取りの間、迫るノルウェーから逃げようと体を引かせてまくって、これ以上逃げ場のないソファの背もたれにいつの間にか預けていた背中をズルリと滑らせながら答えたのが運の尽き。
そんなの答えを聞いて、隣にいたデンマークがニヤニヤした笑顔で彼を見ていたがノルウェーは何も言わなかった。
それにしても、なんだってノルウェーさんはあそこまで髪の色に拘るんだ?
と、洗面台を前にし、髪につけた黒のヘアカラーを落としながらは考える。
あそこまで強固に迫られたらさすがに折れるしかないじゃないか。
と、根負けしてしまった自分を少し後悔しながら彼は髪につけたヘアカラーを落としていると、自分を呼ぶデンマークのを呼ぶ声が聞こえた。
「、それ終わったらベランダな」
それに「分かりました」と答えて適当なところで切り上げると、彼は初夏の匂い漂い日の光が強くなったベランダに顔を出してそのまま固まった。
そこには美容室で使っていそうな、いかにも可愛い系のヘアサロンなんかに置いてあるような椅子が鎮座してあったからだ。
――な、なんだあれ……
よく見ると北欧系のデザインっぽいそれは、その周りに立つ五人の雰囲気からは考え付かないような可愛い椅子で、はポカンと口を開けたまま呆然とした。
と同時に、自分を見た五人もまたポカンと口を開けていることに先に気づいたのはどちらなのか。
そんなこともあってか、しばらくベランダの空気は動かなかった。
椅子の隣にあるの、もしかして鋏を置く台か?
しっかし、ここまで本格的にしなくても。
と、はそんなことを考えいたわけだが、自分を見ている彼らの感想はまた、違っていた。
そして真っ先に動いたのは意外にもフィンランドだった。
「ささ、さん。どうぞ」
どうせ逆らえないのだ。
ここは黙ってまな板の鯉になるしかない。
そう決意しては、ノルウェーの握る鋏が髪に入るのを、目を瞑って静かに待った。
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2011/02/21 初稿
管理人 芥屋 芥