「ん……」
 熱い。
 依頼があるからと、この部屋に来たまでは良かったんだがな。と、熱に浮かされながら男は思う。
 ったく、なんだって『こんなこと』になってんだかと、心ココにあらずな様子でいるとそれが伝わったのか、上にいる男がその手で顎を掴んできて、聞いた。
「何を考えている」
「……何も。ただ、俺は話しを聞きに、この家に来たんですけどね。旦那」
 サングラスを取ったこの人の素顔は意外にも童顔で、最初見たときは少しだけ驚いた。
 だが、それもまた東洋人特有の童顔さだと早々にそのことには触れず、ただ、思った。
――やっぱり、この男か。
 と。

 初めてマトモに会話したその日、血の臭いが充満した部屋でお互いのことを知った。
 それ以来の仲だが、ハッキリ言ってこの男は最低だと、今更ながらに思う。
「話か。さて、そんなものもあったかな。それにしても、アレから一年経つのにな。まだ痕が残ってやがる」
 そう言った男の声は、大層不満気だった。
rec -017...
Waying@FrontNoizy
 サンサンと照りつける太陽の日差しが痛い。
 そんな昼下がりの時刻に、少年とも青年とも取れる一人の男がビルの中へと入っていくその表情は呆れ顔だった。
 そんな明らかに呆れ顔の男が体を屈め、そこにあるコンクリの廊下や階段をジッと見つめている姿っていうのもまた、一種変わった光景に違いないだろうが、その張り巡らせた相手はいたって真剣だった。
 が、トラップを掛けられた方はたまらない。
「トー、居るかトー・チー。って、居るのは分かってんだ、出てこい。だ。覚えてるんだろう?!」
 その部屋のドアへと続く階段や廊下、その他に張り巡らされたワイヤーを無事突き破ってその部屋の前に立つと、その立ちふさがるドアを少し苛立たしげに叩いて数十秒が立つ。
 トラップだけでもそろそろ『切れそう』なのに、その上居留守ときている。
「さっきから呼んでるだろうが、返事しやがれ!!」
 その言葉と同時に、そのドアを、男が蹴った。
 ドガンッ!!
「出てねぇとこのドアブチ破るぞ、ゴラァ!!」
 そんな警告はドアを蹴る前にして欲しい……そう思ったがあとの祭り。
 ドハデな音を立てた玄関に既にドアは無く、部屋と廊下にデカイ隙間風が通っている。
「い、いきなり、け……蹴破るなよ。……ほ、本当にか?」
 おずおずと、警戒心も顕わな様子で奥の部屋から男の声がの耳に届く。
「この姿に見覚えないってんなら、もう一回……」
「わ……分かったよ。冗談だよ。
 ゴキゴキっと手を体の前に持っていき音を鳴らすと、それだけで部屋から出てきたバンダナを頭に巻きチノパンに半袖シャツの下にティーシャツを着た少し小太りな男は怯えたように体を後退させてソファの裏に慌てて逃げる。
 そんな彼の様子に青年は少し顔を歪ませると
「それにしても悪化してんなぁーお前」
 と、呆れたように言った。
 確か前に来た時は廊下にワイヤーなんて無かったはず。まぁ強迫観念はもうすでに症状にはあったが。
 そこまで考えて、依頼のことを思い出すとと呼ばれた青年は男に告げる。
「ま、そんなことはどうでもいい。ちょっと仕入れて欲しいもんがある」
 しかし、の話をソファの前に戻ってきてその上にダラリと体を預けながら聞いているその表情は、少し心許ない。っていうより、ラリッてる男の顔だ。
 どうやらソファの後ろで吸ったようだな、とは見て「人と会話してる時にヤルなっつってんだろ」と言ってみるが相手はそんなことは全く聞き流して聞いてくる。
「し……仕事か?」
「そうだ。仕事だ」
「そ、それは宇宙を守る仕事か」
 と、この部屋の主たるトー・チーの不可解な言葉に一瞬眉をひそめながらも、青年はその問いに合わせて答えた。
「……そうだ。宇宙のためだ。そのためにはお前の仕入れがいる」
「わ、わかった」
 話がかみ合っているのか合っていないのか、端からみたらよく分からない会話をしつつも商談は成立していくから不思議だ。
 やがて、その部屋を出るとき部屋の主がに言った。
、お前アレ使えんだろ。直していけよ、ドア……」
と。
 
 
 
 
 ビルから出ると青年は目的を持って歩き出し、やがてその姿は路地裏へと消えていく。
 路地裏はビルの谷間にあって、光りが当たるところと影とで見事なコントラストを描いていた。
 しかしそれは建物の上だけで、その様子は下に降りるにしたがって猥雑になっていく。
 今は昼であるから、そこまで露骨な者達は出てきていないが、これが夜ともなればここがどういう路地裏になるかは想像に難くなかった。
 そして、真昼だというにも関わらず、ここではないどこか遠くで銃声が聞こえる。
 こんな街だ。
 あんなガキ一人、消えても何ら問題にはならない。
 そう思ったのが運の付きか。
 チャキ……
「はーい、どーも」
 その鋼が奏でる静かな金属の音とは相反する暢気すぎるだがその中に剣呑な様子を含ませた声が、その男のすぐ後ろから響く。
「……ッ!?」
 焦るように言う男の格好は、黒のテンガロンハットにベージュの夏用ジャケットの下に赤のハデなアロハシャツの下は上のジャケットとおそろいなのだろうか、ジャケットと同じ色のチノパンに革靴、指にはジャラジャラと金属の指輪をはめた出で立ちの、正にチンピラ風な中華系の男だった。
「さっきからずっと。俺がトーの家に入る前からずっとケツにへばり付いてたみたいだけど、君、一体俺に何の用?」
 明らかに年下の青年に『君』呼ばわりされて、男の頭に血が上る。
 その言葉は確かに挑発だと分かるのだが、既にそんな冷静な認識はこのチンピラの頭の中にはなく、とっくに宇宙の彼方に吹っ飛んでいる。
「テメェ」
 ギリッと男が歯を軋ませるが、青年はあくまで冷静だった。
「おっと。そのまま動かないでね。俺、一応引き金には手、掛ってるから」
男が振り向く間もなく、青年が聞く。
 「誰の使いだ」
 その声は先ほどの暢気な声とは百八十度変わって、声音は変わらないのにとても冷たくそして容赦が無かった。
「ま、答えなくても分かるわけだけど。でも、俺のケツにへばり付いて生きて帰ろうなんて、思ってないよなぁ」
 その言葉と同時に三度目はないとばかりに、その手に持っている銃のハンマーが下ろされる。
 間近に迫った死の恐怖に男の息が上がるのが分かると同時に……
「お前さ。ヤニ臭い」
 そう言うと青年はそのまま、何の感慨もなくその手に力を込めた。
 ズダン!!
 音は、何故か周囲に響かなかったが、確かに弾はそこから発射された。
 そして後ろから、サングラスにコートの下に黒のスーツをしっかり着込んだオールバックの男が煙草の煙と共に現れる。
「これで抗争は避けられなくなった……っていう訳か」
「何言ってんですか。自ら進んでしようとしているくせに」
 と、道に血の染みを作りながらも、既に倒れた男に興味はないと言いたげに、青年が男を振り返る。
「今までのことがある以上、どう転んでも決裂は避けられん。かと言ってヤラレッパナシっていうのもまた、好かん。まぁ、人死にに関しちゃ、これで『おあいこ』ってところだが。しかし俺は構わんがお前はやりにくいだろうがな、
 と、と呼ばれた青年に向かって歩を進めつつ、そう言いながら倒れている男をチラリと見てコート姿の男が青年の後ろに横に立つ。
「……まさか」
 そう否定しつつも、苦い思いでもあるのだろうか。少し辛そうにと呼ばれた青年がポツリと呟くのを横目に見て、サングラスの男が確信を持ってに告げる。
「昔の知り合いか」
「……コイツは違うけどね。しっかし旦那も人が悪いな。知ってたんでしょう?」
 隣に立つ男に顔を向けてさっきの言葉を確かめるようにが聞くと、ニヤリと笑って男が答えた。
「まぁな」
「やっぱり……大体オカシイとは思ってましたよ。体が鈍ってる俺をわざわざ呼び寄せる時点でね」
 不遜な笑みを浮かべながら、まるで当然の事のように肯定した男にがガックリと肩を落す。
 そして、話題を変えるようにが、聞いた。
「で、お次は何をすればいい、我的主人」
 と。
「よう、ダッチ。なんだレヴィは居ないのか」
「うおぅ?!」
 夜、辺りが薄暗くなってきた頃、事務所のドアを開けていきなり部屋の中を見渡しつつそう言いながら入ってきたソイツに、ダッチと呼ばれた黒人の大男の驚いた声が響く。
「なんだよ。俺がここに居るのがそんなに驚くことなのか?」
 と、ソイツは言うのだが、ハッキリ言ってこれは驚くべき事だ。
 何故なら
「今日は仕事がないからな。って、お前。日本に居たんじゃなかったのかよ」
 ソファから体を起こして、ドアに背中を預けて不審がるダッチを少し不満そうに見ているソイツにダッチが言う。
「日本に居たことは居たよー。だって大学は日本の大学だし。まぁ、なんて言うか顔見せだ、顔見せ」
 入ってきた男は、勝手知ったる何とやらで珈琲メーカーに粉を入れると、言葉の最後に主に了承を取って珈琲を作り出す。
 この時期の彼の登場に、ダッチは少しだけ背筋が凍る思いがした。
 このところ街全体が妙にピリピリしている。いや、表向きは平然を装っているが、小競り合いが絶えない。
 特にあの三合会と、最近血みどろの抗争をして新しく事務所を構えたあのホテル・モスクワ。
 あのバラライカとかいう女が本気で怒っているときは、少なくとも200マイルには近づきたくない。
 本気でそう思えるほどの酷い抗争の末に事務所を構えたあの組織と、街の根幹をなす三合会との抗争だ。
 この先、何が起こってもおかしくない。そう思っていたところに、この日本人ときた。
 こりゃぁ……
 だが、それを悟らせるほどこの日本人は甘くないのも事実だがな。
 コポポポという水が湯に変わっていく音に乗せて、はダッチに向けて言った。
「ここに来たのは単なる卒業旅行さ。おめでたいだろう、こんな俺でも高校を卒業し、大学に行くんだぜ。おかしいだろう」
 などと、嬉しそうに話すその後ろ姿からは何も読み取れない。
 だから彼は当り障りのない返事をする以外方法がなかった。
「お、卒業するのか。そりゃオメデトウ」
 そう言って、ダッチはソファから立ち上がるとデスクに向かっていき
 そこの引き出しから、雑誌を出してきてに渡す。
「卒業祝いだ、やるよ」
 だが、それを見て明らかにの表情が呆れ顔になった。そして興味が無さそうに手を左右に軽く振って答える。
「お前の秘蔵の雑誌はイラネェよ。なぁ、これから時間あるなら、飲みにいかねぇか」
 と飲みに誘う。
 ま、興味がないと分かってるからこそ渡したんだがな、とダッチは思うがそんな過ぎたことは気にせずに、雑誌を再度引き出しに仕舞いながら聞いた。
「お前もちか?」
 なんて確認してきたダッチに向かって、がニヤリと笑って答える。
「好きに解釈しろよ」
 
 
 
 
 キィとドアを押して中に入ると警戒心も顕わな視線が二人を襲うが、そんなことに頓着せず二人はカウンターの席に座ると
「久しぶりだな、
 とこの店のバーテンダー兼店主でもあるバオが声をかける。
「元気だったか」
 と、挨拶もそこそこに酒を注文すると、ダッチが「オメデトウ」と事務所で言った言葉を再度投げかけてくる。
 が、恐らく本題はそこじゃないことは明らかだった。
「そういえばさっき、新しいところの事務所に関係した人間の死体が上がってたみたいだがな。お前ら何か知らないか?」
 と、酒をテーブルの上に置くと共に、バオが情報を言ってきた。
 恐らく彼も分かっているのだろう。
 この微妙な時期に新しくできる事務所の関係者の死亡。そして、この日本人の登場。
 何かある。
 だが、一体なんだ。何がある?
 その辺りの確実な情報を持っていそうな連中はそうそう口を割るとも思えないから……って、この優男に見える日本人もまた、口を割るとは思えない人間の一人だが。
「さぁなぁ。なんだよ、祝ってくれねぇの?」
 とぼけるその顔は、明らかに『黒』を物語っている。
「さぁなぁじゃねぇよ、ったく」
 そう言ってダッチが酒を煽る。
 煽った勢いで本題に突っ込んだ。
「で、お前一体何をしにこの街にきた」
「何って、学生最後の単なる旅行」
 シレっとした表情で、直ぐに嘘だと分かるバレバレの言葉をが吐く。
「嘘付け」
「いや、本当。まぁ、ダッチが考えてるようなモンじゃぁない。それだけは確かだ」
「そう願いたいね」
 チンッという音を立てて、ダッチがの持つグラスに乾杯の意をもって鳴らす。
その時だった。
「テメェか」
「ん?」
急に聞こえたドスの聞いた声にが振り向くと、そこに立っていたのは明らかなロシア訛りから直ぐにロシア人と分かる軍服を着た男だった。
「テメェが俺んところの手配人を殺したのか」
 言葉も荒く、表情も険しいロシア男が優男の日本人にロシア語訛りの英語で聞く。
「手配人?」
「お、おい。ここで争いごとはよしてくれ。もう何回店が……」
 と、カウンターから小言を寄せるのは店主たるバオだった。
 その言葉に、隣に立ち苛立ちを見せるロシア男を明らかに無視してが余裕の表情で答える。
「大丈夫だって。直ぐ済むから」
 そう言うと男の眉が釣りあがるが、もう既にこの時には勝負はついていた。
 ガタッ
 という椅子が倒れる音がしたかと思うと、次の瞬間には
 ズダン!!
 というハデな音を立ててロシア男の体が地面に寝転がっていて、倒した男の手には既に銃が握られている。
 いつの間に!
「テ……テメェ……」
 不覚を取ったことと、相手の見た目からは考えられないあまりの素早さに、ロシア男が言う。
 そんな地面に倒されたロシア男に向かって、が体を屈めて何かを告げると、男の顔が驚きに変わり
「……本当だな」
 まだ疑いが全く晴れていないといった表情だったが、男は寝転がった状態から体を起こして冷静にそう聞き返す。
 そして、聞き返されたもまた、手に握った銃を治めると
「あぁ、本当だ。今すぐ帰って、アイツに確かめてみれば直ぐに分かるよ」
 と、言った。
 
 
 
 街全体に微妙な空気が流れ始めたのを、街の屋台の連中は敏感に感じ取る。
 その日、街の路上から屋台が、消えた。
 
 
 
 
 
「行くか」
 軍の行進が聞こえる。
 戦争の女神が、軍靴の音を立ててやってくる。
「大尉、交渉は……」
「張は交渉を決裂させた。現行を持って我々は作戦を開始する」
アトガキ
前半
2012/03/18 書式修正
2008/12/16
管理人 芥屋 芥