その日は、南国特有の太陽の強い日差しも地面に届かないほどのどんよりとした曇り空だった。
 まるで『何かある』
 そこまで信心深くもないこの街の住人がそう予感するほどに、その日の朝は不気味な雰囲気を纏っていた。
 そんな街の、とある建物の中で一つの話が行われている。
 それは、この先にはあまり関係のないことでもありながらしかし、だからと言って見過ごすわけにはいかないといったそんな事案だからこそ、彼女に伝えなければならない。そして、彼女の判断を。
 それが男の下した決断だった。
 男はずっと、あの時からそうやって生きてきた。ずっと支えて生きてきた。そして彼女もまた、捨てられた自分たちと共に歩むことを選んだ。
 何故なら彼女は、自分たちの指揮官なのだから。
 兵士にとって、指揮官の命令は絶対なのだから。

「大尉、お話が」
 緊張した面持ちで帰ってきた部下が言葉を伝えてくる。その大尉と呼ばれた濃い茶色のようなスーツを着こなした、見事な長く豊かな金髪を一つに束ね、まるで豪奢な猫の尻尾のようにその長い髪を垂らせている女が窓の外をジッと見ながら男の話を聞いている。
「食えない男だ。ミスター張」
 とポツリと呟くその口は少しだけ釣りあがり、後ろを向いたまま窓の外を見ている自分の上官が笑っていることが伺い知れたが、その顔をわざわざを確認しようとすることほど愚かなことはない。
「それにしてもアイツか。少し厄介なことになってきたな。だが私は楽しい気分だ。何故か分かるか、軍曹」
 スッと体を反転させ、大尉と呼ばれた女性が机の方へと歩を進めながら、最初からその部屋にいてソファに座っていた居た顔に傷のあるもう一人の男に向かって口を開く。
「……」
 答えが分からないという風に無言で答えた男は、だがその意味を理解して頷くとそのままその視線を女から自分が付けている腕時計に落して確認すると顔を上げて真っ直ぐに彼女を見て、言った。
「大尉、時間です」
rec -017...
Waying@FrontNoizy-02
「……頭イテェ」
 その日は朝から最悪だった。
 あのイエローフラッグでダッチと二人飲んでいたその途中にレヴィが入ってきて、しかもそのまま勝負に持ち込まれたから珍しく二日酔いで頭が痛い。
 オマケに吐きそうで、どこをどう切り取っても最悪には変わりのない朝だった。
「てめぇが飲みすぎるからだ、この間抜け」
 オマケに隣にいる男に小言まで聞かされて、最悪を通り越して気分は最低。
 この男も自分同様明け方近くまで起きていたはずなのに!
 と恨めしく思いつつも、昨日の深夜二時近くまでイエローフラッグでレヴィと酒の勝負をしていたことを差し引いたとしても、間抜け呼ばわりされるには十分すぎるほどの体たらくだと自分でも思うからここはあえて反論はしない。
 しかも、すっかり寝てるかと思っていたこの男は、自分が帰ってくるまでしっかりと起きていたのだから、面目も立たなかった。
「それでも仕事はこなす。これでいいだろう?」
「あぁ。それでいい、
 そう言いながら、男がグッと体を近づけてきてその肩にスッと唇を寄せるとと呼ばれた青年の体がビクリと、その金色の髪がサラリと音を立てて揺れるほどに跳ね上がり、やはりその体はあの時傷ついたままでほとんど回復していないことを示した。
 そして直ぐに、自分の体が震えたことを後悔しているのか少し悔しそうに顔を歪めるに向けて、スゥッとゆっくり息を吐いて、男が言う。
「だが、傷モノになっちまったお前を前線に立たすつもりはない」
 息が掛るだけで震えてくる体を懸命に抑える。
「無断で体に傷をつけたんだ。しかも名前絡みのな。それ相応には従ってもらうぞ。
 怒りは未だ納まらず、か。
 と、諦めにも似た思いがの頭を掠めて通りすぎた瞬間、衝撃が来た。
「……ムグ!」
 グイッと頭を手で鷲掴みにされたかと思うと、次の瞬間には視界は真っ黒に暗転しベッドに押さえつけられたことが分かった。
 抵抗しようとした腕は膝で押さえつけられてしまい、完全に体は固定されてしまう。
 息はなんとか出来るものの、それでも多少は息苦しい。おまけに頭を掴む手の力は全く弱まっていなくてオマケに殺意まで見え隠れする。
 そんな状態の中、上から男の声が届いた。
「お前にはこれからも働いてもらうからな。そのための、利のいい保険だ」
 恐らく上にいる男の表情は、見たくもないほどに歪んでいるだろう。
 この男は、そういう男だ。
 使えるものは、例えなんであろうと、自分の楽しませる駒へと変えてしまう。
 それは、例えその相手が自分のS.Pであったとしても例外ではない。
 そしては、彼が自分をここに呼んだ本当の意図をベッドに押し付けられながらも、何とか言った。
「保険、か。あんた。俺に向こうのSSを抑え込ませるつもりなら、ここで俺を殺すのはヨロシクナイんじゃないのか?」
 圧倒的不利の立場にでありながらも不敵に、挑戦的に男に向かってが言う。しかしその声はベッドに押さえつけられていて随分くぐもっていて余り迫力はなかったが、どうやら男は満足したようで押さえつけていた手の力を抜き、そのままベッドから降りて、言った。
「ようやく分かったのか。この間抜け」
「二回も言うなよ。大体あの後確認する間もなく別れて、その後は今まで確認できなかっただろうが」
 流石に二度目には反応したが、確かにそうなのだ。
 あのトーへの仕事の依頼の後、自分の後ろを付けていた男を使った宣戦布告の後どうすればいいのかと聞いてこの男は、派出に動けと言ったのだ。
 自分を呼んだ時点で大体の意図は察していたのだがそれを確認する時間が無かったこともあるのは確かだが、しっかしまさかイエローフラッグであの中華系米国人の二丁拳銃を使う女、レヴィに掴まるとは全くの想定外だった上に深夜遅くまで飲んでいてしかも珍しく酔いつぶれていたから言えなかっただけだと抗議すると、男は鼻で笑ってクローゼットの扉を開けた。
 恐らくシャワーは既に済ませているのだろうと踏んで、は男の着替えをベッドの上から見るともなしに黙ってみている。
 この男に、この三合会のタイ支部のボスである張白紙扇に初めて出会ったのは、この男がまだ両方の組織に所属してた頃のことだ。
 そう考えている間にも、男の手は止まらずに着替えを済ませていく。やがて
 チャッ
 という微かな音をさせてサングラスを掛けると男の着替えはこれで終了。
 その格好はいつもと変わらない白いシャツに黒いネクタイ。家の中でジャケットを着るほどこの人は馬鹿ではないが、それでもはいつも思っている。
 まるで葬式みたいだ。
 と。
 そう考えながら少しボンヤリと男の様子を見ているとこっちの視線に気がついたのか、その口を少しだけ吊り上げて言う。
「これ以上余計なことをすると、次は俺がお前の頭に風穴を開けるぜ。
 そんな言葉とは反対に、まるでを馬鹿にしたようなしかしその中に警告を含ませた、男の複雑な心境を表した声音で言って彼はその部屋のドアを開けるとそのまま静かにそこから出て行った。
 一人残された
「分かってるさ。そんなこと」
 と、力なく少し弱々しい声で答えると気持ちを切り替えるように勢いよくベッドから床に降りるとそのままそこに広がった自分の服を取り上げて 袖を通す。
 いつもの服だ。
 何ら変わらない自分の服だ。
 しかし、これから起こることを考えると憂鬱な気分と共に湧き上がる、何かを抑えられない。
 今回の仕事は誘導と制圧と、後は状況判断により変化させること。
 前線の鉄火場には旦那自ら立つから、自分が出来るのは後方支援。まぁ、向こうもこの事案を放っておくほど馬鹿ではないから、必ず乗ってくる。
 どうでもいい事ながら、どうでも良くない事。
 この微妙なバランスの均衡を保つために、自分が呼ばれたっていうわけで。
 自分の今回の立ち位置を確認しながら体に服を通していく。
 やがて全ての服を着終わった頃には、彼の中から二日酔いが跡形もなく消えていた。
 
 
「……分かった。じゃ、そこから停泊場までお宅を運べばいいわけだ」
 電話が掛ってきたのは昼下がりの頃だった。
 その時には既に朝の雲はどこかに消え去り、南の国特有の強い日差しが照り付けている。
 こりゃ夜まで雲が出てこねぇだろうな。暑くなりそうだ。と、ダッチは窓の外に見える太陽をチラリと見ながらも、電話に集中した。
「あぁ。分かった。じゃ、今夜」
 巻き込まれたな。
 電話を切ってダッチは思う。今日、路南裏停泊場にあるあの店で何かが起こる。それは間違いがない。
 それは、これまでのこの街の動向から見て予想も予測も立てる必要もないほどに、それは明確だった。
「仕事か、ダッチ」
 ソファの上から気ダルそうにグシャグシャになった濃い茶色の髪を右手で掻き揚げて簡単に整えているのは昨夜、深夜遅くまであのイエローフラッグであの金髪碧眼の、それでも日本人であるという名前の少年とサシで飲んでいた中華系米国人であるレヴィという女だ。
「そうだ。あのバラライカが、ケツを持てだとよ」
「なんだ。殺しじゃないのか」
 と、つまり引き際のドライバー役の依頼であることに少々不満気にレヴィは言う。
「殺しは自前を使うそうだ」
 その言葉に、レヴィの顔に真剣さが宿る。
 あの女の自前の隊と言えば、答えは一つしかなかった。つまり……
「遊撃隊(ヴィソトキニ)だな、ダッチ」
「そうだ」
 この瞬間、レヴィを襲っていた二日酔いの酒は既に、どこかに消えていた。
 ザザ……雑音と共に無線が入る。
 月夜に紛れて闇の中に棲む住人たちが動く。
 ザッザッザ……軍靴の足音が其処かしこで木霊する。
 ガチャリガチャリと鋼が擦れる音がする。
 銃身に弾が入っていく音だ。セーフティが外れる音だ。
 さぁ、部隊が着たぞ。舞台は整った。後は
 どちらが先に銃を抜くのか。
 それだけだった。
 
 
 
 その言葉に何ら意味がないことは、お互いが重々承知したことだ。
「一曲、どうかね」
「あら、嬉しいわね。ミスター張」
 きらびやかな店の光りが、月夜に映えるそんな夜だった。
 流れるナンバーは『It's a BlueWorld』
 自分たちの背後で動くモノをまるで象徴するかのようなナンバーだった。
 そんな煌びやかな世界とは全く違う闇夜の場所で、もう一つの戦闘が幕を開けた。
「さて、どちらが先に抜くのかな?」
 既に舞台は整った。
 後は、どちらが先に引き金を引くのか。
 銃弾舞踏(バレットバレェ)には持ってこいの良い夜になったな、と半ば場違いなことを思いつつ、その金髪に月明かりの光りが微かに反射していて、とても目立つ少年が、月明かりに照らされたビルとビルの間にポツリと立っている。
 そこは、店に通じる路地裏の一つで、今日は誰も近づかない場所なハズだった。
 しかも彼は、まるでここに居るのが場違いな程にしか見えないくらいに、彼のまとう雰囲気は穏やかそうで、ヘタをすれば今にもこの先にある店の戦火に巻き込まれてしまいそうなほどだった。
 だが、彼は場違いな人間でもここに居るべきではない人間でも、そのどちらでもなかった。
 やがて来る一人の男を、彼は待っていたのだ。
「やっぱりこっちに回ってきたんだ。ボリス軍曹」
 ビルの影に隠れて気配を殺しつつ後ろから現れた、顔に傷のある大男のロシア人に向かってまるで昔馴染みに声をかけるように少年が振り向きもせずに声を掛けると、男は諦めたように声を発する。
 気配を読む能力が長けているのは、自分たちでは考えられないほどの闇の部隊だったからか。それともこの男の能力か。
 男には判断付かなかったが、確かに昔から気配には異様に敏感だったことだけは確かだと、男は思った。
「まぁな。お前が居るならば、そちらを最優先で叩け。ウチの大尉の命令だ」
「彼女、元気?」
 男の話を全く聞いていないような口ぶりで、少年が問う。
「あぁ」
「そっか。それならいいんだ」
 答えた男に対して、答えの途中で言葉を切った少年の雰囲気が、そこで一変する。
「なら、アンタはここで死んでも大丈夫っていうわけだ」
 それが、第一の合図だった。
 店に、自分たちにしか分からない合図が鳴り響く。
 その反応を見て先に口を開いたのは女の方だった。
「食えない男ね、張。あなた、いつから?」
「いつだっていいだろ。そんなことは」
 そんな会話の後、無線が届いたのはほぼ同時。
 ドガンッ! という音と共に、ドアが破られやがて入ってくるスーツ姿の男達と、窓ガラスを割って入ってくるのは軍服姿の男たちが一斉に対峙する形で銃を発射させた。
 正に店の中は一瞬で血と硝煙の臭いが充満する戦場と化し、その中心には男と女がいて、その手には既に銃が引き抜かれている。
「大哥」
「大尉!」
 それぞれ自分たちの名前をそれぞれの部下が呼び、援護する。
 まるで雷がその部屋で鳴っているような爆音と共に外から聞こえるボートの音を聞いて、テーブルを倒して壁にしながら、張は呟いた。
「ラグーン商会か」
 旦那の居る場所が鉄火場だとしたら、こちらは一体何と表現すればいいのだろうか。
 と、は銃を構えながらそんな場違いなことを考えている。
 さっきヘリが上空を通っていったということは、既に向こうの戦闘は始まっているということだ。
 そしてソレはお互い、ここに居るもう一人も分かっているはずだと、は思う。
 先に指に力を掛けたのは、ロシア人だった。それを見て、が走る。
 来る!
 グッと体に力が篭りやがてそこからが走る。それを逃がさずに、男が引き金を引いた。
 ダンッダンッダンッダンッという鈍い音をさせて向かってくる銃弾が、走る自分を追いかけてくる。
 それを後ろで聞きながら、は足を止めない。止まった瞬間に、自分が死ぬということは、考えなくても分かることだから。
 しかもお互い牽制しあっているから、言葉による戦闘はここでは出来ない。それもまた、お互いが承知していることだった。
 ならば!
「?!」
 この瞬間、僅かに驚愕の表情をしたのは男の方だ。
 まさか向かってくるとは!
 体格差から考えて、不利なはずの接近戦を仕掛けてくるとは!
 ダンッという壁を蹴る音がすると同時には体の方向を変え、真っ直ぐに男に向かって走っていく。
 そして走りながら彼はこの時初めて引き金を、引いた。
「アイツを撃った銃弾は、22LR弾だったろ!」
 ドンッ!
 重い銃の音が、そこに響く。
 それは、幼い頃から使い慣れた銃だった。
 最初は反動が凄くて扱うのも大変だったが、何時の頃からか気がつけば片手で撃てるようになっていたこの銃。
 その銃口は真っ直ぐに男を捕らえて、がそのまま連続して引き金を引いた。
 一瞬で間合いが、銃の間合いからナイフの間合いになると男もまた持っているモノを銃からナイフに持ち替えて近づいてきた子供に、応戦するその表情はいつもと変わらない無表情だった。
 対して、向かってきた子供の顔は、まるで楽しくして仕方が無いという風な歪みに満ちた笑みを浮かべている。
 ギンッギチチチチッという金属が当たる鈍い音をさせてそれらがぶつかり、またそれらが徐々にスライドしているのが分かる。
 力が両方から加わって、逃げ場を求めているのだ。
 やがてそれも限界が来る。力が逃げ切ったその一瞬を逃せばどちらかが死ぬのは確実だった。
 力の均衡が崩れるのは、銃が早いかナイフが早いか。
 だが、はソレを待ってなどいなかった。
 スッと相手の押しの力を利用して、一瞬、ほんの一瞬力を抜くとそれの均衡が一気に崩れ、やがて男の目の前からが、消えた。
 かに、見えた。
 右足を軸に回転すると男の後ろに回り込んでナイフを、その体の中へと入れるその瞬間だった。
 合計七発。
 確かに聞こえた。
 鉄火場に立つあの二人が、お互いの体のどこかに銃弾を打ち込んだ音が、聞こえたんだ。
アトガキ
中編
2012/03/19 書式修正
2008/12/24
管理人 芥屋 芥