布団から起き上がり文世が煙草に火をつける。
それを見たがその煙を嫌って実体から霊体に変わろうとするのを、文世は煙草を持つ手とは反対の手で額に触れてそれを止めた。
「お前……」
こうされると、流石の直弥も抵抗できない。
何せこちらは完全な実体ではなく、この家や土地の力を少しだけ分けてもらって実体化している、いわば半人半霊のような存在だからだ。
ま、元神父たる米倉さんの言葉を借りるならば自分は聖霊らしいのだが、精霊の方じゃないのかという認識が周囲で一致しているからきっとそっちなんだろうと自身もそう思っている。
しかしながら札の力を借りないで実体化するだけでも凄いらしいのだが、そこはそれ。
そのことにあまり頓着しないだけれど、それでもこの横丁の大家たる文世に霊体化を止められたら、敵うわけがなかった。
「さんは、そのままでいてください」
ね?
と笑顔で言われれば、ここは頷くしかない。
「は……はい」
おまけに、いつもはふざけて(半ば嫌味のごとく)つける『ゴンザレス』というあだ名はない。
そのことが一層直弥を不安な気持ちにさせていた。
着物を簡単に着なおして煙草をくわえ、縁側に座る文世の背中をは布団の中に入ったままジッと見つめている。
「さん、身体の方は大丈夫ですか」
不意に文世がそんなことを聞いてくる。全く。半霊体だから痛みなんてほとんど感じないって分かってるくせに。
「大丈夫だよ」
そう言いつつも、敷かれた布団から出ようとしないものまたの行動の一つなのだが。
「ならいいんですが。たまに僕は、手加減が出来なくなっちゃいますから」
そう言って煙草の煙を吐くと同時に、そっと空を見上げる文世の後ろでが一つ小さく息を吐く。
「だったら何故、お前は決めてするんだ」
が、静かに文世に聞いた。
何を、とはは聞かなかった。しかし文世はが伏せたその主語を見事に見抜いた。
「だって、さんは僕にとってはやっぱり、さんだから……」
空を見上げながら答える文世の声に、僅かに真剣な色がこもたのはの気のせいだろうか。
「なんだそれ」
答えにならない答えを聞いて、は呆れながら言うがその声は柔らかく、怒っていないことが伺い知れる。が
「だけど俺、文世に決められるのはちょっといやかなぁ」
と、そんなことをぼやく。
「なら、誰だったらいいんです?」
文世が振り返ってに聞くその表情は、いつもの顔だったけれど、少し怒っているような感じがにはした。
「う〜ん。正太郎君とか……あ、先代大家さんなら……」
と、天井を見上げつつ名前を挙げていくの言葉を遮るようにして文世が言う。
「ダメですよさん。正太郎君には里加子さんがいるし、父には母がいるし」
「そう言えば、この横丁の関係者で俺に最初に出会ったのは文世だったよね」
と、文世の言葉に重ねるようにが言った。
確か、初めて出会ったのは自分がまだ少年だったころ。
性別も何もないまっさらな人の姿に似た精霊に純粋に惹かれ、思いつくままに呼んだ名前が今の『』という、人間の意識下では『男性』を意識して呼ばれる名前で、彼を呼んだ。
半霊半精である彼は、性別を持たない。
そんな彼にその名前を与えてしまった影響は直ぐに現れ、拝み屋横丁に来た時には既にその精霊体の姿は男の姿になってしまっていた。
「あれから、俺の霊体としての生活は本当に一変したんだよね」
そう言いつつも、楽しそうな表情で昔を思い出しているに、文世が相槌を打つ。
「えぇ。確かに」
自然界をフラフラとしていた精霊体だった彼の生活は、今は現役を引退しているあの三人の残した問題や霊体やら雑霊やらのフォローに回ったりとか、何かと騒がしい日々が続いているから、確かに正反対に変わったのでしょうがね。
と、文世は思った。
「でも僕が一番驚いたのは、父があなたからも家賃を徴収していたことでしょうかね」
と、昔自分の父がここの大家だった頃の出来事の中で、本当に驚いたことを懐かしげに文世が言う。
「あぁ、あれね。だけど半分は文世の所為なんだけどなぁ」
「どうしてですか」
分かっていながら、不満そうに聞いた。
どうしても、彼の口から聞いておきたかったから。
「文世が俺に名前つけて呼んだばかりに、それに縛られて完全な精霊体じゃなくなったからだよ」
そう。
明確な意思を持たない精霊という存在だった彼に名を与え、そう意識して呼ばれることで性質を与えたのは文世だった。
だから半分どころではなく全部がそうなのだが、気付かない辺り、鈍感というか。
「ま、だからこそこんなに美味しいものにもありつけるわけだけどね。文世、ごちそうさん」
そう言ったがその手を持ち上げて、手に持ったものをみせる。
そこにあったのは、いつ間にもってきていたのか陶器の小さな器だった。
それを見た文世が小さく息を一つ吐いて煙草を灰皿に置き、縁側から立ち上がっての包まっている布団の前に置かれたソレを持つと
「寝酒はいけません」
と言って持っていこうとする。
「あ……そりゃぁないよ文世」
情けない声を出して、酒ビンに名残惜しそうに手を伸ばしているを見て小さく息を吐くと文世はそのままそこに座って、
「飲むなら起きてください、ね。さん」
と、腹黒い笑顔で言うと直ぐに布団からが出てきた。
「はい、着物」
その背中に、文世が布団の傍に置いてあった着物をソッと乗せる。
「ありがとう」
それに礼を言って、既に立ち上がって居間に身体を向けていた文世の後を追った。
rec -016a...
酒と煙草と精霊と
「なぁ文世」
「なんですか」
の問いかけに間髪入れずに文世が答える。
「お前さ、なんで結婚しないの?」
の言葉に、煙草を吸っていた文世がむせる。
「お、おい大丈夫か?!」
ゲホゲホと咳をする文世の背中をさすって、慌てたが台の上にあった湯のみを彼に渡して落ち着くのを待った。
「何故って、理由を知りたいですか」
「あぁ」
答えるの表情が少し引きつってるのはこの際気にしない。
アトガキ