「随分毛並みが違うんじゃねぇの?」
ラグーン商会のドアを開けて用件を告げると、窓際で珈琲を飲んでいたレヴィのそんな声が聞こえてきた。
「毛並みが違うとは随分な言いぐさじゃなねぇの。それより頼んでた仕事の領収書取りに来たんだけど、出来てるか」
と、新しく入ったらしいスーツ姿の青年の言葉に答えたのはロックだった。
「あぁ、出来てるよ。さん」
そう言いつつ、机の引き出しから取り出してきた書類を取りに来た毛並みが違うと言われたに渡している。
「だけど、本当に珍しいね。あの旦那が西洋人を三合会に入れるなんてさ」
と、船のメンテから戻ってきたベニーがレヴィに同意の言葉を投げかけてくる。
「そんなもんかなぁ」
と首を傾げるに、レヴィが
「ま、せいぜい頑張るこった。何せ、三合会初かも知れねぇ西洋人なんだからよ」
と軽口をとばし、それに「へいへい。頑張りますよ」と軽口で応戦しつつ、彼はそこから街へと消えていった。
rec -013...
BLACK or White
なぜこうなったのか、自分では分からない。
だが、それでも明らかに後ろの人間は自分を殺そうとしているのだけは判断できる。
これが殺意だな。
初めて向けられるものではないが、何度向けられても慣れないものは慣れない。
そんな追っ手から逃れようと、彼は懸命にビルとビルの間を走っていく。
裏路地はあまり覚えてないけれど、それでも構わずに彼は逃れようと走り続けていつの間にか資材置き場に紛れ込み、身を隠しながらも相手の気配を読みつつ彼は考えた。
あんな男に狙われる理由なんて自分には無いハズ……
あるとすればこの領収書か、もしくは自分が三合会に所属しているということだけだ。
領収書については終った仕事で、狙う必要はないハズだから思い当たる理由は残る一つしかない。
だけど、俺が死んでも三合会は動くだろうか。
そんな自分の組織に対する不安がないとは言えないあたり、まだあの組織に対して自分が信頼していないっていうことなのか。
と、自分の組織の方に不安をもちながらも、こんなことも凌げないようじゃ、本当にここから這い上がれない。
自分が未だに三下なのは、きっとそういう仕事しか任せられないってことなのだと、半ばあきらめてもいる。
だけど、あの人に会う前に死ぬ訳にはいかないから。
警察という白の組織から黒の社会に入ったあの人に会うまでは、死ねない。
気持ちを決めたら、後は身体が自然と動いた。
手がその場所へと向かい、そこにある冷たい鋼の塊を握る。
人の手に合うように作られたそれを握ってそこから抜くと、男は黙って周りの気配を探り出した。
自分が組織に入る前も、そして今も使っているのは二丁拳銃だ。
理由は子供みたいな単純で明快なもので、口に出すと陳腐に聞こえるからあまり言わないのだが、それは純粋な憧れだった。
――これが最後のここでの仕事か。
煙草をくわえ、いかにもダルそうに言いつつも助けてくれたあの警察官の後姿と、そしてその両手に握られていた龍の描かれたグリップに、天帝の文字。
それを純粋に格好良いと思ったんだ。
だから、二つの拳銃を扱うということにこだわった。
あの人のようになりたくて、あの後すぐにもう一つ銃を買い、身に付けた。
あの人に少しでも近づくために。
だけど憧れたあの人がいる警察に入ろうとしたときには、もうその人はその組織からは消えていて、代わりに耳に入ってきたのはどこかのマフィアに入ったということだった。
警察もマフィアに染まっていた時代だから別に珍しいことではないとも聞いたが、それでも一縷の望みを託して黒の社会へと身を投じたのだけれど、東洋で西洋人を拾ってくれるところは少なくて結局、人種・民族入り乱れるこの街で三合会の三下ということになったわけだが。
確かに中華系の組織に自分のようなハーフがいたら目立つし、ラグーン商会の連中が言うような『毛色が違う』っていう言葉も的を得てるんだけどな。
でも、三合会に入ってるヨーロッパ人は自分だけじゃない。
と、そこまで考えて沈みそうになる気持ちをなんとか浮き上がらせると、一瞬空を見上げると男は外へと飛び出した。
ガチャ!
撃鉄の音が、自分のより先に後ろから届いた。
「いつから……」
後ろの男に命を握られている。
「いつからだっていいだろ。お前、三合会の人間だな」
「だったら……なんッ?!」
ヤバイ。
心の底からそう思った。男の手が、銃の引き金に掛っている。しかし、思ったよりも自分が冷静なことに自分で驚いた。
そして目を閉じることはなかった。
閉じればきっと、今回もし助かったとしてもこの先にある銃の恐怖に晒されるたびに目を閉じそうで。それが何より怖かった。
自分の中で恐怖が何かに勝つことに、そしてそれに晒されるたびにソレが自分を呑みこみそうで。
だから目を閉じない。意地でも閉じるものか。
心臓の音がうるさいくらいに耳元で鳴っていて、手に汗がにじんで冷たいくらいだったけれど、それでも負けてたまるか。
とばかりに、相手を……
「じゃ、死にな」
クソッたれ!
死を覚悟した。
それでも、目を閉じてたまるか!!
ギリッという音がして、銃弾がそこから発射され、自分が死ぬ。
そう覚悟したときだ。
ッバンッバンッバンッ!!
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
ただ、銃が連射される音がした直後に自分の後ろに立っていた自分を殺そうとしていた男の気配が消え、代わりに自分の目の前から現れたのは、滅多に会うこともないこの組織のボス……ミスター張……通称というか自分たちの呼び名では大哥……だということは、なんとなく呆然とした頭に入ってくる。
やけに冷静な部分と、呆然とした部分とが頭の中で半分ずつごちゃ混ぜになって、気持ち悪い。
おまけに潮の匂いに混じり血の臭いが周囲に立ち込めてきて気分は悪くなる一方だ。
「あ…あの……」
何故ここに居る?
そんな疑問が頭をよぎる。
と同時に、ズルッと極度の緊張から開放されて一気に身体から力が抜けていくのが分かり、気がつけば地面に座り込んでしまっていた。
――どうしてあの人がここにいる。
さっきからそんな疑問ばかりが頭をよぎる。
助けてくれたこと何よりも、そんな疑問が先に出るのは余りにも自分と彼とでは接点がなさ過ぎるから。
最初に事務所で会ったきりでそれ以降会うことはなく、また会わせてももらえなかった。
それは当然のことで、自分は新米の三下の三下だから、大哥の名前は知っているが最初以外会う機会もない人間がこうして目の前にいる事実に、頭も心もついていけない。
「あの……どうして……」
疑問が口に出ることにやはり自分は変に冷静らしいと別のところで考えて、しかしそれ以上言葉が出てこなかった。
疑問はぐるぐる頭の中で回っているのに、それが口をついて出てこない。
そして、近づいて来る大哥の手にあった物に、視線が固定されて動かせなくなった。
アレ……は……
「その龍……」
助けられたお礼よりも何よりもその言葉が出たのは、彼の強烈に記憶に焼きついているそのグリップにあるもの。
自分を最初は警察に、そして黒の社会に飛び込ませる原因になったソレ。
その男が握る銃に描かれた龍の絵と天帝の文字に視線が固定されて動かせない。
「。お前は本当に鈍感野郎だなぁ」
ジャリ……という靴が砂を鳴らす音と共に、目の前の男がサングラスに手をかけているのが見えて、そのままそれを外すとその下から現れたのは不遜な笑みだった。
そしてその言葉で、何より彼が握っている銃で全てが判った。
自分を黒の世界へと引き込むキッカケを作ったあの時の警官?!
「……うそだ」
それ以上、言葉が出てこなかった。
信じられないという表情で、近づいて来る憧れた男を資材置き場のコンテナに背中を預け座り込んだまま動けないはジッと見上げている。
ガコンガコンガコンという資材置き場に響いている音が心臓の音に重なってすごく気持ち悪い。
だが近づいてくる憧れた男はそんなことはお構いなしとばかりに、動けない状態のまま座り込んでいるの腕をムンズ掴んで立たせると、まだ身体を固まらせたままの彼の腰に手を回して、グイッと引き寄せる。
「だからお前は、使いっぱしりにしか使えねぇんだ」
耳元で囁くように男が言うのを、は黙って聞いている。
いや、ただ黙っているのではなく本当に動けないのだが、それ以上にこの男の行動についていけない。
「……ッん」
グイッと顎を持ち上げられると、そのまま視界が真っ黒になるのとは反対に、頭の中が真っ白になると同時に何かが喉に流し込まれた。
ゴクッ
真っ白になった頭だが、身体は何かを飲み込んだらしいことだけは認識したようで、ここにきてようやく身体が頭の命令を受けて動き出す。
「あ……にッ」
だが、それは既に遅すぎた。
ズルッと体が滑るように崩れると、そのまま視界が黒くなっていくのが分かる。
緊張に続く緊張で身体が極度に強張っている自分にはそれは十分有効だったらしく、クスリはいつもより早く効いてきた。
ったく。さっきまで頭ん中真っ白だったってんのに……どっちかにしてくれよ……
そんな、場違いな思いが浮かんだのを最後に、の意識はそこで途切れた。
最初の視界は、ぼんやりとした白の世界だった。
そして、そんな白しか見えない世界の端で、何かが動いているのが微かに見える。
「ようやくお目覚めか」
さっき聞いた声と共に煙草の匂いが立ち込めて初めて自分の状況が分かり出すと同時に、白かった視界から色のある視界へと変わっていって、周りにあるものやここがどこだかと言った、自分の置かれた状況が頭の中で理解できていく。
「あ……大哥、ここ……」
面と向かってまともに話すのは、初めてのような気もする。
最初に初めて会ったときは、本当に緊張してこの人の顔もまともに見ることができなかったから。
こうして近くに居ることも、なんだか不思議な感じがして妙に落ち着かない。
って、あれ。
視界に白いシーツらしきものがあるのは何故だ?
そんな疑問を感じたのか、張が煙草を灰皿にソッと置いて言う。
「俺の家だ」
「……って、あの……なんで……」
それは至極当然な疑問だった。
いくらあの時に面識があるといったってあれは本当に一瞬の出来事だったし、それに今は今で俺はこの人が気にかけるほど組織にとって重要な人間じゃないはず。
ましてや、家に入れ……え?
「俺がお前を拾い上げ使ったのは何故だと思う」
「何故って……言われても……」
珍しかったから?
違うな。
でも、わざわざヨーロッパの組織を選ばないって辺りは珍しいのかな。
それも違うな。
何故なら、ブルガリアの諜報員だってこの組織に入っている。
だからそれほど珍しいというわけじゃない。
でも毛色が違う。
確かにラグーン商会の連中はそう言った。
ならば、やはり理由は『最初から気づけ』、そういうことなのか?
だけど、それだけの理由で?
だが他に思い当たる節もないので、
「あなたの元の職業を、俺が知っているからですか?」
と、最後に思いついた答えを言ってみたが彼はそれを一笑にふした。
「、そいつぁ不正解ってもんだ。ま、破滅的に察しの悪いお前じゃたどり着けんだろうがな」
しかも失礼極まりないことを言うとそのまま、まだ身体が動かないの腕を取ると、そのまま身体を落してきた。
「ん……」
部屋が、熱く感じるのは自分の身体が熱いからか。
それとも、ただ単純に部屋が暖かいのか……
意識が朦朧とした状態では、判断が難しいなと、は頭の中で考えた。
「何を考えている」
「……何も……ただ、熱いな……って……ちょッ!?」
質問に答えただけなのに!
その答えは、やはり彼にとっては不満足だったようだ。
「そうか」
「あの……だからッあ……にッ」
最後の白の仕事が、まさか巡り回って一人のガキを黒の社会へと引き込むことになろうとは。
これだから偽善ってのは厄介なんだ。
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