ゴミ捨て場に、ソレはあった。

 最初は、捨てられた子供だと思っていた。
 だけど腕に張られたテープには大きく粗大と書かれていて、そのテープの下に貼られた回収できませんというシールを見たとき、彼が機械か何かだというのは分かったから。
 どうして回収できないものをわざわざ捨てるのか理解できなかったし、少し前から気になっていたけれど、部活帰りで夜遅くということもあって、いつも見過ごしてたけど……今日は、なんだか違うような感じがして、その前に足を止めると声が、聞こえた。
 彼は、ただひたすら夜の暗い空を見上げて、ボーっとしてるようにも、虚ろな目をただ向けているだけのような、そんな金髪で緑の瞳の少年が大量に積まれたゴミの前に座っている。
「どうしたの?」
 そんな機械少年が、泣いている。
「君……は……」
 どうして泣いてるの?
 そう言いかけて、彼の声が止まる。
 目の前の金髪の機械少年の口は、開いていなかったから。
 ただ、口は真一文字に固く閉ざされていて、とても泣いているような声なんて、そこから漏れてはいなかったから。
 ならば、自分が聞いたのは何?
 声変わり前の少年のような声を、確かに聞いたような気がしたのに。
「マ……スター?」
 電源が入り、虚ろな目に僅かながら光りが宿って、少年の口から掠れた無機質な声が漏れる。
 それに驚いて、僅かながら身体が後ろへ下がろうとするのを必死に抑えて、彼は聞いた。
「俺は、マスターって名前じゃないけど、えっと、君の名前は?」
 名前のわからない機械少年に、名前を問う。
 だけれど、どうしてこの時、この少年の名前を聞いたのかは、彼には分からなかった。
「俺は、鏡音……レン。マスターを、待ってる」
「……そか」
「うん」
 静かに頷くレンと名乗った機械少年に、彼はそれ以上言葉を言う事をやめて、いつの間にかずり落ちていたスポーツバッグを肩に掛けなおすと、その場を去ろうとした。
「じゃぁ、俺は帰るね」
 残酷だなと思いながらも、自分じゃ引き取れないから。
「ねぇ、あなたの名前は?」
 後ろから届いた声に、返事をしたのは何故だろう。
「…………
rec -009...
secret kiss
 次の日もそのまた次の日も、彼は回収されることなくそこに座って彼は、いつ来るかも分からない彼の『マスター』を待っていた。
 そしてが話し掛けたあの日から、自分が通るたびに彼の表情が微かに動いて、こっちをジッと見ているような気がして仕方がない。
 それに、
「お帰り」
 家路に急ぐの耳にそんな声が聞こえたのは、鏡音レンという機械少年に声をかけて五日目の月明かりが綺麗な夜のことだった。
「?」
 一瞬、誰が声をかけてきたのか分からなかったけれど、自然と足は止まってその誰かの声を探す。
「ごめん。メイワクだった?」
 困惑した様子のに向かって更に掛けられた、感情がほんの少し込められた声の方へと視線を向けると、そこに座っていた機械少年が少し笑ってこちらを見ていた。
「今の声、君?」
 純粋な問いかけは、鏡音レンを傷つけるには十分だったようで、途端にその表情が曇るのが分かる。
「ごめん。いや、急に聞こえたから驚いて」
 この言葉に嘘はなかった。
 彼が見ていることは分かってたけど、まさか言葉を掛けてくるとは思わなかったから。しかも『お帰り』なんて。
 そう思いつつ足を動かして座っている彼の前に立つと鏡音少年がを見上げて、言った。
「あのね、さん。マスター、もう来ないんだって」
 努めて明るく声を出したつもりだったのだろうが、には彼が泣きながら言ってるような気がして仕方がない。それに、真っ直ぐに見上げてくる緑の瞳を、何故か真っ直ぐに見ることができない。
 何故?
 と自分に自問してみるが答えなんて出るわけもなくて、それにしたって、そんな情報どうやって手に入れたんだ?
 と疑問に思ったけれど、それは口から出ることはなかった。
「そ……か」
「うん。だから、さよならだと思って、思い切って声、かけたんだ」
 一言一言をゆっくりはっきり言うように、鏡音少年がを見上げて言う。
「そうか」
「うん」
 それ以上、お互い言葉はなかった。
 明日の、月に二回ある粗大ゴミの回収車がきたら居なくなる彼と、その後も続く自分との間に一体何を話せというのだろう。
 しかも朝は急ぎで夜は遅くて。今日だって彼が話し掛けてこなければ、きっと今ごろは家にいたはずなのに。
 ゴミ捨て場の前で、金髪の機械少年と自分。
 端から見たら、少年二人がダ駄弁っている様にしか見えないだろうに。だけど片方は明日、ここから確実に居なくなる。
 人の都合で捨てられて、人の都合で……
「君は、マスターに会いに行かないの?」
 沈黙の帳が下りた二人の間にあって、先に口を開いたのはの方だった。
 だってそうだろう。彼には、自由に動ける足があるのに何故行動しないのだろうって、そうも思ったから。だけど、その言葉の返事は否定だった。
「会いに行ったところで、もう、会わせてもらえない。マスターはもう、この世界には居ないから」
 世界に居ない。それが意味することは、きっとそうなんだろう。
 それにしても聞くんじゃなかった。と、自分の知りたいと思った事を彼に聞いたことを少しだけ後悔した。
「だから、俺はココに居る」
「チョット待って。君、最初に俺と会ったとき、マスターを待ってるって言わなかったか?」
 確かに最初、そう言われた記憶が……
 この世に居ないなら、何故待つ必要があるんだ?
「そうだけど、マスターは俺を捨てた。そしていつかの昼にメールが届いて……あの人がこの世界から居なくなったことを、知った」
 その答えは機械らしくて要領を得なかったけれど、なんとなくなら分かる気がした。
 つまりそれって、入院か何かで彼のマスターは彼を捨てて入院してて、彼が居なくなってしばらく経ってからメールが入ったとかそんな感じかな、とは思ったけれど、それは口に出すことはなかった。
「メールの中に、初期化プログラムもあって、運がよければ新しいマスターを見つけて下さいって。そう書いてあったけど、でも、それもきっと明日で終るから……」
 その言葉と共にレンが笑う。
 その笑顔はどこか悲しそうで、無理矢理笑ってるようなそんな苦しそうな笑顔で、明日彼の人生が終るなら、せめて今は彼の言葉だけでも声だけでも聞いておきたい。
 何故そう思ったのかは、自分でも不思議だったけれど、は少し気になったことを彼に、聞いた。
「君には口があるし、足もある。それでも君は、プログラムされたものくらいしか言えない、君の後ろにある捨てられた家電と同じなのかい?」
 彼の後ろには、彼と同じように捨てられた家電製品やら椅子や机といった粗大ゴミがあり、それらと同じように彼は居る。それが、何故かには気に入らない。
 こんなに話せるのに、こうして会話も出来るのに、後もう少し電気があれば動けるだろうに、何故?
 そう思えて仕方がない。
「同じだよさん。俺は、あの家電製品と同じだよ」
 その答えが、全てのような気がした。
 誰もこの鏡音少年を救えない。彼の『マスター』になること以外、今の自分じゃ彼を救えない。
 いや、救えないんじゃなくて、拾えないってことになるのかな。彼を家電として扱うというのなら、今ここで拾わない限り明日で彼は終る。
「そか」
「うん」
 再び二人の間に沈黙が降りる。
「俺ね、誰の心にも残らなかったんだ。他の鏡音レンは、いろんなところで活躍したり、歌ったりしてるのに、俺だけ、誰の心にも残らなかったんだ」
 二度目に降りた沈黙を破ったのは、今度は鏡音レンの方だった。
「歌も、歌わせてもらえなかった。歌ったのって、たった一曲だけなんだ。俺、歌うために生まれたのに、歌うためにマスターのところに行ったのに……」
 楽しみにしていたその場所でいつも見ていたのはマスターの背中。
 その人以外は誰も部屋にいなくて、とても暗くて寂しい場所だった。
 そこで、ずっと独りで歌を小さく歌を歌ってた。
 最初から入っていた歌くらいしか持ち歌がない自分は、同じ歌を延々と、飽きることなく歌って、彼の相手をしていた。
 彼は聞いていなかったけれど。それでも、あの暗く寂しい孤独な部屋で、独り、歌う。
 会話もなく、話すこともないあの部屋で感じるのは孤独、孤独、孤独。
 寂しい。寂しいよ、リン。
 やがてマスターの親だという人がやってきて、そして、ここに連れて来られた。
 勝手に与えて、勝手に捨てて。本当、勝手。勝手すぎるよ。でも、逆らえないから。だから自分は明日、捨てられる。
「そんなこと、俺が聞いてどうするの。君は泣き言聞かせるために、俺のこと呼び止めたのか」
 かなり言葉が鋭くて、レンの顔がみるみる曇っていくのが、月明かりに照らされてはっきりと分かる。やがて、
「んなこと」
 小さく呟かれた否定の言葉は、途中で消え入るように途切れてしまって続かない。
「ごめん、ちょっと言い過ぎた」
 彼を責めたって何の意味もないのにな……そんな後悔と共に言ってしまった言葉は取り消せないけれど、顔を上げて彼がに言ってきた。
「時間あるなら、ちょっと歩こうよ」
 やってきたのは、小さな公園。
 鏡音少年がどうしてここを知っているのかは分からなかったけど、それでもは黙って彼に付いてきた。
 そんな夜の公園のブランコにカシャンという音を立ててレンが座る。と同時に、足をゆっくり動かしてそれを漕ぎ出した。
 はその前の囲い柵に手を掛けてその様子を見るともなしに見ている。
 夜の公園に、街灯と月明かりにさらさらとその金色の髪が光って揺れている。
 キィキィ……
 沈黙の夜の公園に響く金属の音が周囲に響いて、がその夜空を見上げるその様子を、レンはブランコを漕ぎながらジッと見ている。
 お互いの視線は絡まることなく、ただ静かに時は過ぎる。
「あのね」
 先に問い掛けたのは、ブランコに乗っているレンの方だった。
「何」
 静かな公園に響く二人の声。
「あのさん……あの、俺……」
「何」
 徐々に小さくなっていくレンの声を少し不審に感じながらも彼に視線を向けていると、その身体がぐらりと揺れた。
「あのえっと、えっ……」
「ちょっ、レン!」
 ガシャンッという音と同時に思わず伸ばした腕に倒れてくる彼を受け止めて、何とか壊れないように……あれ?
「……っくっく」
「?」
 腕で支えたレンの体が、微かに揺れている。って、こいつもしかして
「もしかして、俺が壊れるって思った?」
 ……はぁ?!
さん騙されてやんの。でも、初めて俺の名前、呼んでくれた」
 目の前で笑うレンにの頭が真っ白になる。そしてその言葉を理解するのに彼は数秒掛った。
「……騙し……た?」
 呆気に囚われているの腕にもたれていたレンの身体には力はほとんど残ってなくて、それでも身体をソッとから放そうとするけれど、そのままの腕の中に納まり続けているのは、充電がそろそろ限界だからか。
「ごめんね、ちょっと試した。だってマスター全然俺の名前呼んでくれないし」
 少し悲しそうに力ない声で言うレンの言葉に、更にの頭は混乱していく。
 今、マスターって言ったよな。一体全体何がどうなってるんだ、これ。
「俺、そろそろ内蔵電源限界なんだ、だから……」
 全くもって意味が分からないままにレン一人だけで話が進んでいくのが、何故かの感覚に触って仕方がない。
「マスター……」
 驚くをよそに、その言葉を最後にレンの電源がプツンと落ちた。
 
 
 
「やっと起きたか、鏡音少年」
 電源が入って再起動して目を開けると、そこには不機嫌な表情のの顔があって、身体を覆っているのは、干したての洗濯物の匂いがする布団とふわりとした枕の感触がとても気持ちよかった。
 天井には電灯があって、右側にゆっくり視線を向けると本棚と机があった。
 ゆっくり部屋を見渡して、ここがどこだか認識できた。
 彼の部屋だ。六畳一間の部屋だけど、紛れもない彼の部屋だ。
「入れてくれたんだ」
 レンはそう洩らすと同時に、みるみるの顔に不機嫌さが増すのが手にとるように分かる。
「あぁ。その代わり説明はしてもらうぞ。それと後、お前の電源コネクタ探すの大変だったんだぞ」
 悪態をつきながらも、追い出そうとはしないあたり、彼が信頼できる人だというのが分かる。
 もし本当に自分が不要ならば、あのゴミ置き場に戻して明日を待てばいいだけだから。
 特に持って帰ることもせずに、しかも電源が切れて動けないから捨てるには絶好の機会だったのに、こうして部屋に入れてくれている。
 そのことが、とても嬉しいと、思う。
 やがて、ゆっくりとレンは話し始める。充電率がまだ半分もないけど、話くらいなら十分できる。
「ありがとうマスター」
 素直に言っただけなのに、何故か嫌な顔をされた。
「だから、どうして俺がマスターなのか聞いてるんだけどね、鏡音少年」
「だから、メールの中にあった初期化プログラムはもう終ってるし、あなたの音声認識も終ってるし、再起動もしたし、ね。マスター」
「……チョット待って。それ、一体どういうこと?」
 意味も訳も理由も分からんのは初めてだ。何なんだ一体?!
「だから、あのゴミ置き場で誰も俺に話し掛けたなかったのは、『マスター』と俺に認識されるのがイヤだったから、誰も話し掛けてこなかった……マスター?」
 顔が歪んでるよ。マスターどうしたの?
「それってさぁ、あのゴミ置き場にずっとボーっと座ってたのって、もしかしてパソコンで言えばスリープモード状態に近かったから?」
 は、とんでもない勘違いをしていたことにこの時ようやく気がついた。
 最初から会話が成立してなかったってことじゃないか。うーわ、人間勘違いだけでも事態って動かせるんだねー……この場合勘違いしていたのは、明らかに自分だったわけだけど。
 それを確認することは、自分が機械に負けたみたいでなんだか悔しい。
「そ。あとは、誰かが声を掛けてくれたらな、それだけで俺は……」
 あんなにもCPUの中を占めていた強烈な孤独感が、今はもう随分薄れている。
 でも俺はきっとこの先ずっと孤独が怖いと思うんだろうな。とレンは思う。
 記録はメモリーに残るから。
「もしかして、このアパートの人たち、皆知ってたのかな……」
「さぁ、どうなんだろうね」
 そこまでは分からないけれど、でも彼以外から声が掛らなかったことから考えると、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないってことだけれど。
「兎に角、よろしくマスター」
「俺、お前の使い方なんて知らないんだけどなぁ」
 ボヤクに、レンは
「いいじゃん。これから知っていけば。俺だってマスターのこと何にも知らないし」
 それに鈍感っぽいし。という言葉は、レンは言わなかった。
 電源が切れる、本当に直前。
 まだ彼をマスターと呼べない、まだ関係が真っ白な状態の本当の最後の瞬間に唇に軽く触れたのは、レンだけの、秘密。
アトガキ
リクエストくださった方へ。
ありがとうございます。
2012/03/15 書式修正
2008/11/11
管理人 芥屋 芥