雨だ。
この部屋の中にあって雨の音を聞く事ができるというのは、余程の大雨なのか?
と、は思う。
ここは、瀞霊廷深部の隠れた一室。
足を踏み入れるものは誰も居らず、また外の世界の音がほとんど届くことはない最深部の部屋の一室に、彼は居た。
程よい明るさに調節された室内は書を読んだり考えを深く自分の中で探ったりするのに丁度良いため、時間が十分に空いたときはここに来ることが多いのだが、それを知っている人は居ないと、そう思っていたのに。
パタンという音がして、部屋の中が暗転する。その様子を力なく床にまるで転がるような格好で寝そべってい少年がぼんやりとした表情で扉が閉まる音を聞き、と同時に暗くなった部屋を見るともなしに見、やがて
「……明かり、つけなきゃ」
力ない声でそうはいうモノの、手ひどくやられた体のあちこちが痛がって、あまり急には動けないなと判断して、やがてゆっくりと腕を床につけて支えにして身体を捻って起こそうとして中心に走った痛みに顔を歪めると、立ち上がろうとする動作を諦めて、再びゆっくりと床に背中を預けていく。
背中が床に付ききったところで一息大きく吐くとゆっくりと腕を動かし額に掛った髪の毛をクシャと掴むと、力ない声でこう言った。
「ったく。これから仕事だってんのに……」
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虹見酒
「大丈夫か?」
椅子に座って作業をしていたハズなのに、いつの間にか身体は休息を望んでいたようで、いつの間にか机に突っ伏して眠ってしまっていたの耳に誰かの声が届き、その声に引き寄せられるようにゆっくりと目を開けると、その視界が銀色に染まっていて驚いた。
「うわぁっ」
起きると同時に慌てて身体を仰け反らせたものだから、椅子からずり落ちそうになるのをなんとか椅子の背もたれを掴んでて支えていると、上から少し呆れた声がの耳に届いた。
「何をそんなに驚いてるんだ、」
「あ……いや、びっくりして……って、あれ日番谷隊長、今日隊首会があるって言ってませんでしたっけ?」
ついさっき上げた素っ頓狂な声とオーバーアクションで驚いた自分をなんとか誤魔化そうとして、が日番谷に今日の予定というより、行動を確認する。
だってまさか日番谷隊長が覗き込んでるなんて思わないじゃないか。そう思いながら心臓が激しくバクバク言ってるのを自覚しながら、それでもなんとかずり落ちそうになった体を椅子に戻して日番谷を見上げると、呆れた表情の彼と視線が合った。
「もう終った」
と言ってチラリと時計を見ながら素っ気無く答える彼の視線を後追いして、が時計を確認する。
自分が椅子に座って作業を開始したのは昼過ぎで、今時計の針は夕刻の五時を少し過ぎというところを指していた。そして自分の最後の記憶は午後三時過ぎを最後に途切れている。ということは、僕は随分と長く机の上で寝ていたということで、それを隊長はずっと見てたということに……マズイ。
「あ……」
そう言ったきり黙ったと日番谷との間で微妙な気まずい空気が流れる。
何故ならサボっている(正確には爆睡していた)ところをこの人に思いっきり見られたわけだ。ということは、これは罰の一つや二つじゃ済みそうにない。松本副隊長ならばある程度酒の力で何とかなるが、この人相手ではそう簡単に事は終らない。
除々に険しくなる日番谷の表情に、は何かの罰が下るのを覚悟する。何故なら午後の仕事のほとんどを自分は終らせていないのだ。
やがてその微妙な空気の間に流れたのは、が覚悟していた罰の言葉でもなく、また小言でもない、諦めにも似たため息と共に吐き出された
「まぁいい」
という言葉だった。
アレ?
覚悟していた分、隊長のその言葉には拍子抜けする。そしてそれは顔に出ているであろうことを彼は自覚していたがそれを隠そうとはしなかった。そんなの顔を横目で黙って見ていた日番谷が小さく息を吐くと
「罰は追って考える。今は少し俺に付き合え」
と言うと、そのまま身体を扉の方へと向けて歩き出していた。
ガラッという扉が開けられる音を聞いてもはそこから動けなかった。それほどに、彼の言葉は意外だったということなのだが……
「何をしてる。早く来い」
動かないに日番谷がドアの方から振り返って再び声をかけ、その声でようやく我に返ったが慌てて椅子から立ち上がって
「あ。は、はい!」
と言いながら、日番谷の後を追って部屋を出て行った。
どこ行くんだろう。
そう疑問に思いながらは黙って前を歩く日番谷の後をついて行く。歩くとは言っても二人共瞬歩を使っているから、普通に歩いている訳じゃないのだが。
屋根や空間を蹴り、頬に当たる風の心地よさを感じつつは前を走る日番谷を追い抜かないように気をつけながら彼の後ろをついてく。
とは言え未だ微かに残る体の傷みのお陰で気をつけなくても彼を抜き去ることはできないのだが、その痛みを隠しながらは日番谷の後をついて走った。
それにさっきの自分のオーバーアクションにしてもそうだ。
本当は身体に走った痛みを隠すためのもので、別に霊圧を隠してない状態ならば相手が誰なのかなんて見なくても分かるから、そこ立っていた人物が本当に分からなかったわけじゃない。
なのに自分は大げさな反応をしてその痛みの表情を驚きの表情で上塗りすることで誤魔化した。
朝から身体の痛みが取れなくて、おまけに睡眠不足も加わって隊長も副隊長も居ない間だけならと、そんな甘えにも似た思いと共に睡魔の誘惑に勝てなかった。それにしたって休みすぎですよね。と爆睡していた自分には苦笑する。
「さっきから何ニヤニヤしてるんだ? お前」
いきなり耳元に届いた日番谷隊長の声に再びは
「うわぁ!」
と叫ぶ。
――あぁ、心臓に悪いですよ日番谷隊長……
今度は完全に不意打ちを突かれた形となったが、さっきと変わらない自分のリアクションには内心ホッとする。
ここで反応が違っていれば、さっきの『演技』に疑問を持たれる。
それにしたって、今日の自分は変だと自分でも思うが、その原因は分かっている。朝の……あの事が関係してるのだろうこと。分かっているところでどうしようもない事もあるなら、あの件がそうだと、自分の中で納得させる。
そういえば、朝に雨が降っていたな。
と、あの部屋で聞こえた雨音を思い出していると、不意に前を走る日番谷の足が止まった。
「隊長?」
疑問に思ってその名を呼ぶと、目の前が開けて夕日が見えた。
その夕日の眩しさに思わず顔を横に背けたの耳に日番谷の声が届いた。
「後ろを見てみろ、」
自分とは反対方向にいつの間にか身体を向けていた日番谷につられてが彼と同じ方向へと身体を向けるとそこにあったのは大きな七色の……
凄いな、と思ったところで思わぬ喧騒に巻き込まれた。
「日番谷隊長、おそーい!」
この場に居ないハズの聞きなれた女性の声には驚いてそちらに視線を向けると、いつの間にそこに居たのか、見慣れたナイスバディの女性……松本服隊長が酒瓶を左手に、ぐい呑みを右手に持って既に『出来上がった』状態で自分たちが立っているところより少し斜め下の辺りにの空間に立って酒を飲んでいた。
「隊長が遅いから、迎えに行こうかと思ってたところだったんですよ? 〜〜おいで〜〜一緒に虹を見ながら酒飲みましょ?」
と語尾に絶対ハートマークな何かが入った言い方で松本がを誘う。
「松本……」
「あら、隊長妬いてるんですかぁ。もう皆集まってますよ?」
「集まってる?」
の問いかけに答えたのは松本だ。
「なんかねぇ今日は珍しく朝から大雨が降ったから、巨大虹の実験を十二番隊の誰かがするっていう話をちょこっと聞いちゃってさ。じゃぁ、虹見酒でもしようかなーって。そう考えたわけよ」
「だからって何でも酒に繋げるな、お前は……」
という日番谷の言葉を松本はいとも簡単に流して答えた。
「あら。隊長だって結構ノリノリだったくせに。そんなことより、ほら、こっちこっち」
と、やはり語尾にハートマークか何かがついた話方での腕を掴むと、そのまま強引に彼を引っ張って松本は数歩歩いたところで、動かない日番谷を振り返ると
「隊長! 早く来ないと、料理全部なくなっちゃいますよ!」
といって、彼を急かした。
「どうだったかね? 今日は」
夜も更け月明かりが照らす頃、皆が酒にほろ酔い加減……いや、そろそろ泥酔加減になっていた深夜に近い時刻にそれは起こった。
「どうって。朝からあんなことをしてくれた誰かさんのお陰で、今日は一日腰は痛いし身体の疲れは取れないし、おまけに寝不足で散々でしたけど?」
と、普段のからは想像できない言葉遣いが彼の口から漏れ、その肩に乗っかっていた一角の腕をゆっくり外し身体を起こして彼を見た。
「そんな言葉を使うもんじゃないよ。折角の美人が台無しだ」
その言葉で、一気にの身体から酒が消えた。と同時に、自分たち以外の死神達は鏡花水月の中に入ってしまったことを確認する。
これで彼らは自分たちに干渉することはできない。ということは、今や完全に彼は敵の顔だということだ。
「何が言いたい藍染」
警戒を隠さずにが問い返すと、藍染は持っていたぐい呑みを台の上に置き
「君。私は純粋にこの宴会はどうだった? と君に問うたんだがね。この宴はあれを耐えた君への褒美の意味もあったのだし。何せ手加減が全くできなかったのだから」
「……」
最後の言葉を、に言い聞かせるようにゆっくりと言う藍染を思い切り睨みつけるが、言葉は浮かばず沈黙を持って返した。
「それにしても、随分騒いだものだね」
一瞬、皆に見せている穏やかな藍染の顔をそこに見たような気がしたがそれは直ぐに消えて、冷たいいつもの藍染の表情でに近づくと、その手を伸ばして彼の顎に手を掛けて上向かせる。
「ヤメ……っ」
抵抗しようとして失敗し、腕を掴まれて封じられて耳元で駄目押しの言葉が聞こえてきた。
「抵抗できないよ、君は」
「……っ」
それでも身体を捻って、なんとか逃れようとするが、それが自分を泥沼にはまり込ませていることに気付いていても、それでも逃げようとはもがく。
まだ十二番隊の実験とやらが続いているのかはこの時のに判断はつけられなかったが、月の周りに場違いな円の形の虹が出ていたのは、何故か印象として強く残った。
鏡に映った花は鏡像。水に映った月は偽像。
ならば虹は?
鏡でもなく、また偽でもない。確かにそこに在りながら、掴めない光の欠片。
無理に掴もうとすればすり抜ける。だけど確かにそこに在る実像。
だから私は求めるのか?
そう自らに問い返す藍染に、答えを出すものは、もはや誰も居ない。
アトガキ