「んっ」
短い声がそこに響く。
仄かに暗い部屋の中で、彼は居た。
「ほら」
そこから先の声は届かないけれど、誰かが誰かに話し掛けている。
「ッダメ……だ」
返事と否定の意味が込められたまま響いたその声は思いの他高くて、一瞬女の声かと思うほどだったけれど、それはすぐに低くなった。
「だから、ヤメロって」
まるで相手を脅すような、一気に低くなるその声に思わず嬉しくなるのはきっと、この人のこんな一面は滅多に見ることができないからだけど、それでもソレを今少しでも垣間見ることができたことに、心に少しだけ嬉しさが心に宿る。
そしてそう思った相手はそんな脅しにも似た声に答えることなく、黙ったままスッと指を動かし弱いところにゆっくりと触れてきた。
「……ッ!」
思いがけない彼の反撃に、咄嗟に声は抑え込めても体は素直に反応を返して震えるのを止められず、まるでエビか何かのように体が跳ね、それに頓着することなく彼の指がススス……とのうなじに触れる音が聞こえてサラリと髪の裾を掴んだかと思うと、そのまま指が肩口からゆっくりと腰に向かって動かされていく。
やがてゆっくりと入ってくる彼の指に、が無意識に震える自分の体を押さえ込もうとシーツを思い切り強く掴んで、ソレに耐えているのが目に見えて分かった。
彼はこういう人だと、それは十分に分かっているけれど、だけど今のこの快楽を否定しないでください。
あなたはすぐに自分の『楽』を否定し、気持ちを隠していている。それは、見ているこちらが辛いと思うほどに、全てにおいて一線を引いているのが分かるから。
何故そこまでストイックになれる?
何故そこまで自分に対して、気持ちを抑えようとする?
あともう少しあなたを知りたいと、そう願ったのはこの人が青学にきて初めてコートに立ったとき。
あの時から、俺は自分の思いを隠さなくなった。
あの瞬間から、それまで自分の中で燻っていた疑問は願いへと取って代り、そして今、願いにも似たその思いは声に出されることはなく行動となってこの人を追い詰めていて、スッと彼が腕を伸ばしてベッドのシーツに掌を押し付けて耐えているその背中に自分の体をゆっくりと乗せると、その耳元で何かを言った。
「なっ!?」
その言葉を聞いたが驚いた表情で彼のことを呼び、その言葉の続きを言わせないようにと指を動かして、続きを吐息に変えてみせる。
「っ……ん」
咄嗟に口を閉じるだったが、それでも身体は素直に反応を返した。
――初めてじゃないですよね。あなたは。
耳元で囁かれた言葉に、思わず反論しようとして墓穴を掘った。あの反応で、彼は確信しただろうな。と、頭の冷静な部分が考える。
確かに自分は初めてじゃないよな。と微かな反抗の意味を込めてすぐ後ろにあった彼の顔を睨んでみた。
仄かに暗く冷たい部屋の中、熱い息遣いだけが聞こえる。
しかも身体の熱は絶えることはなくて、部屋の中は少し肌寒いはずなのに今はただ、熱い。
自分の熱にが何を思っているのか、その背中からは窺い知ることが出来ない。
だけど、そこにあるのは苦痛だけじゃないことは分かる。何故ならその身体からは素直に反応が返ってくるから。
「感じているなら、否定しないでください」
分かっているくせに否定するから、妙なところで意固地だから、こうして自分も意地になる。
分かっているんですか?
あなたの態度が、俺の心にどれだけの欲を引き起こすのか、まるで分かってないことに、いや、分かった上でそうしているのかどうかは分からない。しかし本気で嫌がっているのなら、俺を動かせなくすることくらい簡単なあなただ。
ならばこの態度は、否定は本気じゃない証拠なのだろう。
カチャという微かな音が響いて、彼が眼鏡を外したのが分かった。
その手はサイドテーブルに伸びて静かにそれを置くと、そのままシーツを掴んでいる手に乗せてきたと同時に、首に唇を落としてきた。
「……っ!」
いくら声を抑えようとしても、身体は素直な反応を返す。このまま流されたほうが楽か? と、熱に浮かれる頭で何とか考えるが、心のどこかでそれを止めようとするブレーキがどうしても掛る。
これ以上、流されるなと。これ以上、浮かれるなと。
自分だけが『楽』になるわけには行かないんだよと、流されるわけにはいかないんだよと、心のどこかで声がする。
人として一度でも外れてしまった自分は、どこまで行ってももう其処には戻れないのだと。
それは、強烈な自分の足枷。
こんな時に……いや、こんな時だからこそ、その声が流されようとする自分の心を引っ張るから自分は冷静でいられる。
「……お前っ、何をしたいんだっ」
途切れ途切れに聞こえるの声に、彼が反応して顔を上げて
「何も。ただ、あなたの本当の顔が見たい」
と、無理なことを平気で言った。
壊れるなと、心のどこかで声がする。
これ以上壊れると、もう二度と戻って来れなくなると、そういう声がする。
それが分かっていて尚流そうとするお前は、一体俺をどうしたいんだ……
そう思ったのを最後に、は意識を手放したから、その後のことは知る由もない。
ただ、グッタリとうつ伏せになった自分の体がゆっくりとひっくり返されて、額に触れた手が暖かかったことだけは、何故か憶えて……
rec -002...
negative rush
アトガキ