この雪に埋もれてしまいそうだ。

 その後ろ姿を見たとき、素直にそう思った。
Cats on Snow
 その後ろ姿は一体何を思うのか。
 敗走し、逃げ惑うしかないこの軍を率いて……
 いや、推し量ることなどできはしない。
 子飼いの部下を失い、認めようとしていた上官も死んだ。
 その上で、命令だけは撤回されない、過酷な状況の中、一人……
 何を思うのか。



 崖の上で一人にしてくれといったきり、戻ってこない。
 いや、正確には一人じゃない。
 千早がついてる。
 物言わぬ剣虎が、彼にはついている。



「中尉も小休憩中……というわけですかな」
 と、雪を少し口の中に含ませて猪口曹長が言う。
「あぁ。だろうな」
 彼がいる方へ、視線を向けてが答える。
 ザッ……
 という音をさせて、雪の上に猪口が座る。
 俺も、つられて座る。
 男が二人。
 雪の上で駄弁っていたって何の絵にもならないが。
 だからと言って、そうするしかないからそうするだけ……とも言える。



 帝国軍が来る前は、毎日が暇で暇でしょうがなかった。
 特に新しく設立された剣虎兵は、この隊は、嫌われていた部隊だから。
 だからこそ、雑用とも言える賊狩りや何やらに借り出されては、暇を弄んでいた。
 だが、今は何だ。
 俺たちが、部隊全体の撤退の最後尾。
 全く。
 嫌われ部隊にはもってこいの命令だ。



少尉は、隊長の古くからの部下だと聞いておりますが……」
 猪口が隣でそう聞いてきた。
「あぁ。東州の内乱の頃からの知り合い……というよりも最初は敵同士だったんだがな。今じゃ上官と部下だ。不思議なもんさ」
 その言葉を聞いて、猪口が驚いたように目をむいた。
「それは……初耳ですな。しかしまぁ、よくも部下になる決心をされましたな」
 そう言ってまじまじと俺を見た。
「ま、家もなく親もなくといったところか。どうでもいい道のりを経て、今こうして俺はここにいる。不思議と死なずにな」
 そう言って雪を握ると口に含んだ。
 雪が、口の中の熱で溶けていく。
「昔から、俺には全てがどうでもいいとさえ思っていた節があるらしい。そのことを見抜き、笑ったのはあの人がはじめてだったからな」
 そう言って、雪の次は煙草を吸う。
「はぁ……」
 分かったのか、分からないのか、猪口が曖昧な相槌を打つ。
 煙草の煙で肺を一杯にして一気に吐くと
「それに俺には姉がいる。その人は中尉に縁(ゆかり)がある女(ひと)なんだ。だから……という訳でもないが。これもまた、縁(えにし)というべきなのかな」
「縁……ですか」
「あぁ。とは言っても、その女(ひと)は俺の存在を知らないんだがな。知らせる必要がないから、俺もほったらかしだ。さて、時間だな。中尉を呼んでくるよ」
 ザッ……
 と、座ったときと同じ音をさせて立ち上がると、足をこの隊の隊長のいるところへと向ける。
 うっかり喋りすぎたか。
 喋りすぎは、あまり良くない。
 いや、何が良くないのかは分からないが……
 それにしても、余計なことを言ってしまったようだ。



 グルル……
 と鳴いてついてこようとする独楽を視線で牽制するとそのまま一人、足を動かした。
 死にたくなくて死んだ者もいるだろう。
 だが今、この『生』すらどうでもいいとさえ思っている人間(者)がどうして生きているのかが不思議だ。
 とは、思っている。
 口に出して言う事ではないから、言わないだけで……
 だが、ずっと東州でのあの、惨劇の光景が目から離れず、ずっと焼きついている。
 だからこそ……
 いつ終わるともしれない、死の恐怖。
 飛び越えれば、そこは死の世界、という訳か。
 だからこそ、ここは地獄で、果てがないから地獄とも言えるわけか。
 全く、生きていればどこでも天国にも地獄にも為れるというわけか。
 見えるのは過去だけで、未来は見えない。
 この先も続く地獄に、どこまで付き合えるというのかも分からないが……
 そして視線を上げると、そこにはまるでさっきの俺と曹長のように、雪の上に座る中尉がいた。



「隊長……」
 と、声を掛け損ねてしまった。
 その背中があまりにも小さかったから。
 声をかけそこなってそこにしばらく居ると、
「なぁ
 と、姿を見ずに名前を言い当てた。
 そこまで自分と断定されてしまっては、否定することもできない。
 だから
「そろそろ隊に戻って下さい。時間です」
 そう言って、そこから去ろうとした。
 だが
「いいじゃないか。時間までまだある」
 そう言って、振り向いた。
 ザッ……
 また、雪の上に座る。
 しかも今度は、隊長の隣だ。
 ケツが冷える。全く。
 そう思って、しばらくそこに居たのだが
「僕は、偽善者だ」
 と、唐突に呟かれた。
 だから
「そうですね」
 とだけ、答えた。
「僕は、戦争をしている」
「そうですね。ですが、あなただけが戦争をしているわけではありません。戦争しているのは、俺も同じですから」
 ここで、兵らを代表して「俺たち」などとは言わない。
 彼らには彼らのそれぞれの戦争がある。
 いつ終わるとも知れない彼らの戦争と、俺の戦争はまた、違うだろうから。
 だからこそ、複数形では俺は言う事ができない。
はヒドイ奴だ」
 そう言われたから
「まぁ、あなたがそう感じるのであれば、きっとそうなんでしょう」
 と答えた。
「そういうところが、僕は嫌いだ」
 これには少々ムッとしたが
「これが俺ですから。変えるつもりはありません」
 嫌いでも何でも、部下は部下であり、私情はそこに挟む余地はない。
「だから、僕は君が嫌いだ。そういう冷静な、何事も見限ってるような冷たさが、嫌いだ!」
 そう言って、手が伸びてきたのを冷静に見ているとグイッと引っ張られてしまった。
 一瞬だけ触れた……唇。
「何もかも見限るのは良くない。初めて会った時に笑ったのは、思わず笑ってしまったのは。余りにもお前が自分の命を投げ出そうとするからだ。僕は、死にたがりを死なせてやるほど、優しくはない」
「そうですか」
「冷静に受け答えをするな。貴様のことを言ってるんだ」
「そうですか。ですが、俺はあなたの部下ですから」
 そう言うと、顔が歪んで
「そうだな。そうだった。今の今まですっかり忘れていたよ僕は。、さっきも言ったが、死にたがりを楽に死なせてなどやるものか。いいか、これは貴様の上官としての命令だ。
 『生きろ』
 どんなことをしても、どんな状態でも、最後までこの戦争に、戦場に立っていろ。これは命令だ」
 千早が、ゴロゴロと鳴いて擦り寄ってきた。
 そして俺の襟を掴んでいた手を隊長が離すと、
「時間だ。行こう」
 といつもの調子で言う。
「というよりも、呼んできたのは俺なんですが……」
 そう答えると、
「さっきの命令だが、返事は?」
 と、立ち上がろうとしていた俺に聞いてきた。
 ザワ……
 風が吹いてきた。
 そろそろ本格的に吹雪きそうだ。
「命令ならば、従うまでです」
「ならいい」



 歩く先になにがあるのか、それは恐らく誰にも分からない。
 しかし、下された命令は守る。
 死にたがりは、楽には死ねん……な。
 まぁ、それもまたいいだろう。
アトガキ
少し中尉、甘えてる?
……皇国的には甘めに仕上がりました。
2012/02/22 書式修正
2006/xx/xx
管理人 芥屋 芥