空気を吸う。
 息を吐く。
 眠りにつく。
 飯を食う。
 人と『寝る』
 基本的な欲求が、契約者になったあの日から、少しずつ消えていった。
Nice'n Snowy
「よく食べるなぁ」
 向かい側の席に座っているさんが、自分の食べている手を止めて呆れたようにそう言った。
「そうですか? 少ない方なんですけど……」
 と、舜生としての顔で目の前の男が答える。
 それを聞いて
「ま、いいか」
 と言って、彼は自分の食事を再開する。
 店を出て、駐車場に向かう途中、ポツリとさんが言った。
「お前はやっぱり、人間くさいな」
 その声はとても小さな声で、恐らく自身も周りに聞かれていることは思っても見なかったのだろう。
「そう……ですか?」
 数歩先を歩く俺が彼を振り返ってそう聞き返すと、翔平さんはとても驚いた表情をしていた。
 沈黙が降り、寒風が二人の間にスルリと入り込み、流れていく。
 それを破ったのは、翔平の方だった。
「余計なことを言ったな。ごめん」
 その言葉に、舜生はゆっくりと首を振る。
「そんなこと、ありません」
「そうか」
 そう言う彼の表情は、任務をしているときの表情とは全く違う穏やかな表情をしていて、舜生もまた、そんな彼の表情を穏やかな気持ちで見返している。
 それに気付いたが、彼の気をそらすように車の鍵をコートから取り出しドアを開けた。

「あの、さん」
 助手席に座った舜生が、運転をしているに口を開く。
「ん? 何」
 ウィンカーを作動させながら、彼が答える。
「今日は、さんの家に泊まってもいいですか?」
 そう聞くと、一瞬彼の動きが止まる。
 そして
「……任務は?」
 と、先ほどまでの穏やかな声音が少し硬くなった声で問う。
「しばらくは、ありませんから」
「そうか」
 そう答えると、彼は俺の家に向かうのをやめ、自分の家に向かっていった。
 彼は、あまり余計なことは聞かない。
 俺も言わない。
 でも、それでいいと、思う。

 なぜ泊まりたいと言ったのか、自分でもわからない。
 珍しく穏やかな表情を浮かべているさんを、もう少しだけ見ていたいとでも思ったのだろうか。
 ……分からない。
 分からないまま、車は彼の家へと向かう。
 信号で止まった車のフロントガラスに、小さな水滴がポツポツと落ちてきた。
 一瞬雨かと思ったが、何かが違う。
「雪だ」
 隣でさんが呟いて、ハンドルに腕を置いてフロントガラスの上を覗き込んでいる。
「本物……でしょうか?」
 もしかしたら、能力者同士の戦いが近くで行われていて、その余波の可能性だってあるのだ。
 能力者の能力は本当に種類が豊富だから、そんな可能性も捨てきれない。
 そんな現実を見据えた舜生の言葉に、は少し呆れたような、困ったような表情を浮かべ
「お前、そんな野暮なこと言うなよ。この時期に降る東京の雪は珍しいんだからさ」
 と言って再び前を向くと、アクセルを踏んだ。

 
 
 

 さんのマンションの駐車場に着いても、雪はまだ深々と降り続いていた。
 どうやら一時的な能力者による雪ではないことは明白だった。
 こんなに長くは、流石の能力者も降らせ続けることはできないから。
 車を降りて、舜生はまた空を見上げる。
 偽りの空の下。
 それでも営まわれる空気と風の気象の変化。
 それだけは、能力者も操ることができないことだ。
 なんて考えていると、頬に当たる暖かな感触に視線を空から地上に向ける。
 正確には、頬に当たってる何かを確認するために、首を横に動かしてみた。
「そんなにボケっとしてるとお前、明日には雪だるまになっちまうぞ」
 そう言って、缶珈琲を二本持って内一本は俺の頬に当てられていて、少しだけさんが笑って立っていた。
「そうなる前に、さんが溶かしてください」
 そう答えると、呆れたような表情になって目の前にいるさんが空を見上げて
「えー……やだ」
 と言った。
 もちろん『やだ』のところはちゃんと俺を見て、でも顔は笑って答えた。
 あの時のように。
 冗談か本気か分からない口調で。
 でも、恐らく彼は助けてくれるだろう。
 そんな妙な確信が、『ヘイ』の中にも『舜生』の中にもある。
 何故かは分からない。
 けれど、確かにそれは存在していた。

「いい雪見日和になりそうだな」
「はい」
 そう言いあいつつ、二人はマンションの中へと消えていった。
アトガキ
DARKER THAN BLACK-黒の契約者-
舜生としての彼との、雪降る中で。
2012/05/31 加筆書式修正
2007/12/16
管理人 芥屋 芥