「あのドールが、どうしてあの時飛び出したのか。ホァンには『生きていた』と言いましたけど。でも、ホントのところは分かりません」
呟くように舜生が言う。
『ヘイ』としてではなく、今は李舜生として接している。
そして
もまた、今は
としてではなくただの
として、目の前の李舜生と接していた。
だから、どこかしら会話が契約者らしくない。
お互いに。
「彼女がどうして飛び出してきたか、か。なぁ舜生。君はさっき、彼女が『ずっと目の端で、あの光を追ってる』って言ったよね」
「えぇ、言いました。ですがそれは『篠田千晶』本人の記憶で、ドールのものじゃない」
「不確かではないものには言及しないのが契約者だけど、ここは一つそれは置いといて、結果から得られたことを推測してみようか」
そう言って、彼が自分で買って来たビールを一口飲んだ。
それにしても、こうした会話をしあうだけでも、傍からみたら本当に契約者なのか? と疑いたくなる会話だなと、この状況を少し他人事のように舜生は思った。
他の契約者が、例えばマオがこの会話を聞いたらさぞかし不思議がり、そして面白がるだろう。
「仮定の話としてだけど、あの光に惹かれたんじゃないかな。ドールとしてではなく、『篠田千晶』として流し込まれた記憶がドールを動かした。そうも考えられるし、一晩一緒にいた君を、ドール自身が何かで恩を返したかった、というのも考えられるよね」
そこで言葉を切ると、今度は舜生が作ったサラダを一口食べた。
ビールとある程度の食材を買って家にやって来た
は、料理を舜生に任せた。
中国の習慣として、男が料理する、というのがあるのをどうやら知っていたらしい。
実際、舜生の作る料理は美味しかった。
それを目当てに、たまにマオも窓を叩くことがあるのだが、それはまた別のお話。
そして、舜生の顔に疑問の色を見てとった
が半分投げ出すように言葉を続ける。
「あくまで仮定だよ。ドールは人間や契約者とは違って人格はないし、感情もない。だから人格を流し込んで『造る』だろ? 多少人格が残ってるインや眠は、まぁ……ドールの中でも特殊な部類なんだよ」
と言うと、残ったビールを一気に飲んだ。
まさか、自分以外にもそれを感じていた人がいるなんて思わなかった舜生は、まじまじと
を見つめてしまう。
その視線を受けて、
が言い訳のように口にした。
「他のドールと比べて毛の生えた程度っていう意味さ。かと言って、人間や契約者ほどあるわけでもない、そういうこと」
バツが悪そうにぶっきらぼうに言葉を結ぶと、今度は中華丼に手を出した。
――この人、もしかして料理をあてにしてここに来た?
そう思ったが、どこか許せている自分がいることに気づいた。
そして、いつもは雷が落ちたかと思うくらいに響くエレキギターの騒音が今は響かないことにもついでに気づく。
恐らく下の皆を能力で眠らせてきたのだろう。
事前にそういう準備を行うあたり、静かに話したかったのだろうな……とそう思うことにした。
「人格……か」
ドールに戻ってしまえば、確かにそこに人格はない。
それは分かっている。
それでも、あの行動を起こさせたのは『篠田千晶』の中の『何か』なのか、それとも……
考えに没頭し始めた舜生の耳に、それを断ち切るように
が言葉を掛けた。
「舜生。もう終わったんだよ。君が知ってる『篠田千晶』はあそこで死んだ。それでいいじゃないか」
この空へと、彼女は散った。
こんな偽物の空の下(もと)で散った彼女には、本物の空は見えていたのだろうか。
そして、その偽物の星が放つその光に憧れた少女は大人になり、やがて光を追うようになった。
その結果が、利用された挙句のドールへの人格移植。
そしてドールとなった彼女はその光に惹かれ、光に飛び込み、殺された。
「それにしても、ドールが動くとはな……」
呟いた
の声には、どこか複雑な色が見え隠れしていた。
その言葉の『ドール』は、どちらの意味だったのだろう。
先ほど話に上がっていた彼女のことなのか、それとも……
分からないまま、話題は移っていく。
何気ない会話から、最近のことまで。
そして先に
が眠いと言い出して寝てしまって、それから自分も布団の中に入って眠ってしまったのだ。
やがて朝飯を作ろうとした舜生の誘いを断って、
が家を出るとき思いついたように
「あ、そうだ。舜生、次の命令があるまでここで働いてて、だってさ」
と言って手渡した一枚の紙。
「組織からはもう上を通して話はついてる。詳しいことはホァンから追って連絡が入るから。それじゃ」
それだけを言うと、
は帰っていった。
それ以上お互い余計なことは言わないし、聞かない。
だから昨日の晩、あの人と話したことは、全てが『なかったこと』だ。
そう思い、裏返した紙には一行、こう書かれてあった。
竹山製作所