「どうして捕らえなかったんですか」
車の中で助手席に座ったヘイは、運転している
に詰問するように問いかけた。
体の痛みなんてどうでも良かった。
彼は、アンバーの能力の中にいながら彼女を捕まえなかった。
その絶好の機会だったハズなのに、あの女を捕らえなかった。
あの時、後ろで自分を追っていると思われる警察の女の声が響いた直後、アンバーの目が赤く光ったことまでは覚えている。
しかし気がつけば目の前には
の姿があり、アンバーともう一人の男の姿はすでに消えていた。
彼女が能力を使ったことは、状況からしても間違いなかった。
そして彼女の能力には誰もが干渉できない、はずだった。
が現われるまでは。
初めて彼がアンバーの能力に干渉できることを聞かされたとき、ヘイは信じられない思いだった。
さすがに否定するようなことは無かったが、それでも半ば半信半疑だったことは否めない。
それほど強烈だったのだ。
この男が、アンバーの能力に干渉できるのだ、という事実が。
だから、その能力の中で彼女を捕らえるのも可能だったハズだ。
でもこの男は見逃した。
絶好の機会だったのに。
そんなのは『裏切り行為』と捉えられても仕方が無い。
なのに
は、さっきから続くヘイの質問には答えず、運転に集中している。
「
。お前も裏切るのか、アンバーのように」
そう言ってみるが、彼には効かなかった。
「ヘイ、お前は怪我をしている。少し静かにした方がいい」
言われた通り、体の痛みはずっと続いている。
体を動かせば動かした分だけ、声を発すれば発した分だけ痛みが増していく。
だがそれでもヘイは詰問を止めなかった。
「
、答えろ」
何故こうも苛立つのか分からない。
アンバーの時とは全く違う焦燥感が沸いてくる。
彼が裏切るのではないか、そう思うだけで心の中がざわざわする。
「ヘイ。いい加減黙らないと、無理矢理にでも黙らせるよ」
瞳が赤く輝き、体全体から青白いランセルノプト放射光の光が立ち昇る。
のその言葉と能力発動を見て、ヘイは黙った。
しかし疑念は払拭されない。
こうして、家まで送ってくれる彼に対して、疑念が沸いてくる。
ヘイが黙ったのを見て、彼は発動を解いた。
車の中はとても重苦しい空気だった。
あの女を捕まえられる状況にありながら見逃した
に対して疑いの目をヘイは向け続けた。
運転する車の中、
がおもむろに右耳に右手を当てた。
どうやら電話が掛ってきたらしく、相手と話しだすのをヘイは薄れる意識を懸命に保って聞いていた。
「あぁ俺だ。そうか。無事だったか。まぁホァンに記憶の消去は必要ないだろう。あぁ。彼もまた組織の一員だからね。何よりヘイに悪気があったわけじゃない。分かっている。……心配なら、ヘイが彼を襲った部分だけでも消去したらいい。あぁ。分かった」
そこで電話は切れたらしい
がヘイの方に視線をやって、ゆっくりと口を開いた。
「お前は携帯電話を持っていないから俺に連絡がきた。今回の件について特に処分はなし。しかし足の傷が治るまでの行動範囲に、俺の目の届く範囲でとの行動制限が付いた。そして次の任務に備えよ、だとさ」
肩をすくめてそう言うと、再び運転に集中した。
その言葉を聞いてヘイは信じられない思いがした。
組織は、この男をまだ信頼している?
はアンバーを見逃したんだぞ。
捕まえられる場所にいながら、それを逃した。
これが裏切りではくて、一体なんなのだろう。
そんなヘイの様子がが伝わったのか、
が言った。
「俺はなヘイ。アンバーの裏切りを知っていた。そして、これはお前達には知らされてはいなかったが、組織の上層部も知っていた。知っていて見逃していた。五年前、彼女がどこに繋がっているのかそれを見極める必要があったからね」
信号待ちで車が止まる。
ヘイの傷に触れないようにしたのか、彼はゆっくりとブレーキを踏んでいった。
こういう配慮ができるにも関わらず、発せられた言葉は淡々としたものだった。
「まさかイギリスのMI6とも繋がっているとは思いもよらなかったけど。だけど、そっちをも彼女は裏切っていた。南米で彼女が行った行動と同時に、彼女は自らが身を置いていた組織を二つとも裏切って第三の道を選んだ。その時点で、彼女の不可解な行動を更に見極める必要があると判断された。だから俺は彼女を見逃したんだ」
淡々と話す
に、ヘイの心の中がザワザワする。
こんなにも、彼は『契約者』だったろうか?
少しは違うと思っていた。
なのに……!
「契約者らしい、合理的な判断……という訳ですか」
いつか言った言葉を、その時抱いた憎しみとは別の感情のこもった声音でヘイが言う。
「ヘイ。勘違いするなよ。俺は、どこまで行っても契約者だよ」
の瞳が赤く光る。
そこから先の記憶がない。
「おやすみ」
心の感情が一つ、消えたな。
少なくとも、ヘイには言うことはないだろうと思っていた言葉。
ヘイが契約者を憎んでいることは知っている。
だから、こんな言葉など彼に言いたくはなかった。
ヘイ。
お前は、組織から抜ければ自分を含めた周辺が大変なことになるのを分かっている。
だから納得はいかないまでも、こうして流されるがままに組織から抜けようとはしない。
しかしアンバーは違った。
彼女には、第三の『その道』が見えていた。
例え巨大な後ろ盾を失うことになろうとも、彼女には『その道』が見えていたのかもしれない。
太陽の大黒点周期と重なるこの時期。
五年前の南米のヘブンズ・ゲートの消失と、もしかしたらここ東京のヘルズ・ゲートが消失するかもしれない可能性。
なぁアンバー。
お前は何を望んでるんだ?
俺達は、闇から闇へと流れるしかできないのに。
それ以前に、俺達は人間じゃない。
俺達は嘘つきで、冷酷で、感情がなく裏切り者で、人間の枠から外れた存在だ。
なぁアンバー。
どうしてお前は、そうしてまで行動できる?
まるで人のように、自分の心に沿って行動できる?
『私、
に嫉妬してる』
不意に浮かんだ彼女の言葉。
『嫉妬』
契約者らしからぬ感情だ。
本来、契約者が持ち得ない感情なはずだ。
全く。
世話の焼ける。
そう思うこと自体、俺にも感情が、心が残っている証拠か。
と、
は一人自嘲した。
しかし、あまり事を急ぎすぎると失敗するぜ?
あんたもそう思うだろう?
なぁ。
天文台の星見よ。