憎悪を押さえられず憎むか。契約者よ。
 はて。
 憎むのは愚かなり。愚かなり。
 正にお前は契約者。
 お前と、お前の前にいる者は同じなり。
 どこが違うというのか。
 答えてみよ、『契約者』よ。
True Nature
。警察がそっちに向かってる』
「分かってる。さて、ヘイは今どうなっている?」
 無線でドールの眠と交信しながらはビルを目指して走っていた。
 そしての質問に眠は、
『飛ばされた』
 と、淡々と抑揚もなく答えた。
 そしてもまた、眠の言葉に別段驚くこともなく
「へー」
 と、感情のこもっていない感嘆の声を上げる。
『でも、戻ってきた』
 との言葉には
「さすがに身体能力は高いね」
 と、ほんの少しだけ感心が入った声音で話す。
『ヘイが殴ってる』
 と眠が更に彼らの状況を話す。
 それには
「実況はもういい」
 と言って止めさせると、はビルからビルへと飛び移って行くことに専念した。
 やがて「あそこか……」と呟くと、星の瞬くビルの屋上へと近づいていった。

 ヘイがターゲットを殴り続ける音が聞こえてきた。
 そしてその音は、近づくにつれ大きくなっていく。
 黒猫姿のマオがが近くに来たことを気配で察して、その猫の目を細めて彼を振り返った。
「ヘイは?」
 とが短く問いかける。
「あぁ。今ターゲットを捕まえて、吐き出させようとしてるところだ」
 と答えるその声には、殴られ続けるターゲットへの同情や憐れみといった感情はない。
 ただ、任務に必要だからこの男を捕まえるのだという無関心さだけがあった。
 契約者は、他者に対して憐れみを持たない、同情もしない。
 マオは、確かに不慮の事故で自分の肉体を失ったが、それでも本質は契約者だった。
 だが、殴りを止めないヘイを見て、その次にターゲットを見たマオが
「ヘイ! そいつはまだ使える」
 と制止するのも相手に利用価値があるからに他ならない。
 だがヘイは止まらなかった。
 白い仮面の奥の表情までは分からなかったが、それでもはヘイが今どんな顔をしているのか、なんとなく想像はついた。
「お前らを見てると、反吐が出そうだ」
 仮面の奥で呟いたその言葉を、果たして誰が聞いただろう。
 だが、マオより後ろにいたはずのの顔に、ほんの少しだけ険しさが宿ったのも確かだった。
 ヘイが、ルイの顔に手をかける。
 何をしようとしているのか、マオには分かった。
 分かったから、珍しく慌てた様子で止めに入る。
「ヘイッ! 止めろ、ヘイッ! おい、。お前からも止め……ッヘイ!」
 だが、男は死んだ。
 ヘイが殺した。
 そして、星が一つ……流れた。
「ったく、何も殺すことはなかっただろう」
 マオが、まだあの男には利用価値があったと考えていたらしく、珍しく残念がる。
 が、ヘイももそれに答えなかった。
 ヘイは沈黙を守り、は空を見上げて星が流れるのを見、ゆっくりとその殺した者……ヘイの方へと視線をやる。
 やがて
「警察が来る。行こう」
 と言った。

 夜の公園は、いつもの溜まり場。
 そしていつもの解散場所。
「しかし、眠はインと並ぶと本当に『陰』と『陽』だな。もちろん『陽』はインで、『陰』は眠だけどね」
 と、二人のドールが並ぶのを見てが言った。
 格好は似ているはずだ。
 インが着ているのは紺色のワンピースに黒のシャツで、眠も似たようなシャツを着ている。
 性別が違うだけで、二人ともただのドールであることには変わらない。
 それなのに、揃うと『陰』と『陽』のようだとは言う。
「どういう意味だ」
 と猫のマオが興味なさげに尋ねる。
「ん? 髪の色とか、全体の雰囲気かな」
 と、二人を見る目を少しだけ穏やかにしてが答えたが、マオにはそれが理解できなかった。
 それよりも、さっきの仕事で発生した微妙な空気を流すためのなりの世間話の一環だとマオは考えた。
 だから「ふーん」と、さして興味もなさそうにマオは答えた。
 それに軽く肩を竦めると
「眠。もう帰っていいぞ」
 と、話を変えるように彼の近に立っていた眠に対して優しく言う。
 言われた眠は僅かに頷くと、何も言わず夜の街へと消えていく。
 向かう先は、誰もいない薄暗いアパートだ。
 それを皮切りに、そこから次々と人が夜の闇へと消えていった。 

「さて。ヘイは俺の家に来るんだった……よな」
 と、最後に二人きりなってしばらくしてシャツ姿のヘイ、いや、今は舜生にが確認するように聞いた。
「えぇ。でも、荷物をロッカーに預けてきてるので……」
 と、訳なさそうに舜生が言うから、 は軽く一息吐いて「取りに行くか」と言った。




 ドサリと音を立てて、無造作に床に荷物が置かれる。
 貸しロッカーから取り出した舜生の荷物だ。
 正直、警察はまだ今夜のことで騒いでいたが、それでも何事もなかったかのような顔で二人は堂々と夜の街を歩いて帰ってきた。
 そして、入ったの部屋を見渡した舜生が
「悪くない、部屋ですね」
 と、そんな感想をもらした。
――男の一人暮らしだからな。片付いてることは期待するなよ?
 家に上がる前にが言った言葉通り、その部屋は散らかっていた。
「で、腹減ってない?」
 と、台所にあった書類を退かせてが舜生に問いかける。
 どうやら珈琲を作るようだった。
 そういえば、この人も対価を支払わないのだと思いながら舜生は「少し、減りました」と答えた。
「だろうと思ってね。作り置きで夜食は買っといた。足りるかどうかは知らないけど」
 とまるで他人事のように答えて、彼はヤカンに水を入れお湯を沸かす。
 蛇口をひねると、当然のように水の音が部屋に響いた。
 台所に立ちヤカンをコンロに置いているを目の端で捉えて、舜生は置いた荷物の中からこれから必要な物を取り出してに聞いた。
「あの、メシの前に……その……」
「あぁ。風呂なら勝手に使っていいよ。その間にお湯が沸くだろうから」
 舜生の言いたいことがわかったのだろう、はクイとその場所を指差して使うように言うと、壁の端にあったダンボールから夜食を取り出して、中を取り出してラーメンを作る準備をした。
 その指の動き一つ一つに、何故か魅せられる。
 その優しい笑顔に隠された、残酷な本性。
 いや、残酷な本性を演技の笑顔で隠している。
 自分と同じ、演技が上手い男。
 しかしその演技は、恐らく『舜生』よりも上手い。

 
 

 あの男の前だと反吐が出る程に怒りが湧いてきていたのに。
 この男の前だと平静を保つことが出来るのは、何故だ?
 持て余した感情を冷ますように、『舜生』はの家の風呂で、冷水を浴びた。
アトガキ
DARKER THAN BLACK-黒の契約者-
最後は……
2012/03/24 加筆書式修正
2007/07/05
管理人 芥屋 芥