『Dolphin Street』
そこは、日々JAZZを愛する人たちが集う場所であり、また日ごろの疲れを話すことによって、好い音楽を聴きながら癒す、そんな空間。
Dolphin Street
   Con Te Partirò

「ルカかぁ」
ステージの上で歌っている新しく仲間になった彼女の仲間、巡音ルカというボーカロイドが英文の歌詞がある曲を歌っているその様子を、少し羨ましげに見つめてメイコが呟いた。
 
 
その日、初めて家の外に出るとあってメイコはどこから引っ張り出してきたのかいつもの赤いツーピースの服ではなく、いつものそれより控えめの色で長めのスカートにベージュのセーター。
上にはどこで取ってきたのか、ボアのついた茶色毛糸で編まれた民族調のコートにブーツという出で立ちで玄関ドアの向こうに立っていた。
「メーイコ、こっちこっち」
そんな玄関の前に車を止めてその窓から顔を出して読んだに反応してメイコが顔を上げて車の助手席のドアを開けた。
「出てくるとき、ミク達渋ってなかった?」
メイコ一人を連れ出したことが気になるのだろうか。
が運転しながら確認してくる。
「大丈夫ですよマスター」
と笑顔で答えるメイコだが、ミクやリンが朝からソワソワしているのは知っている。
何故なら今日は、特別な日だから。
だけれどマスターにその気はないようで。朝からそんな話は一切なかったから切り出せなかったのよね。
それにしても、一体どこに連れて行くのだろうと気になったけれど、メイコは黙っていることにした。
 
「マスター……ここ……」
目的地を目の前にして、前を歩くに恐る恐るという風にメイコが声をかけると前を歩く彼の足が止まって振り向いた。
「あぁ、えっとダメだった?」
普通に問い返してきたに、メイコは逆に慌てて否定する。
「そ、そんなことないです。マスター」
珍しくメイコの慌てた様子に頓着することなく、は店のドアを開けた。
 
 
 
 
「ルカ?」
店に入ると、ステージで歌っていたのは巡音ルカという新しく加わった仲間だった。
彼女は店に入ってきたを見て、確かにそう言ったのだ。
「マスター!」
と。
そして後ろに立っていたメイコを不思議そうに見て、
「あれ?メイコお姉さん?」
と小首をかしげて聞いてきた。
マ……マスター?これ、どういうこと?!
そんなメイコの心を読んだのか、
「まぁ、色々あって話せば長くなるんだけどね」
それにしてもルカ……あんた、後で覚えときなさいよ。
そんな通信が、メイコから出されたとか、出されなかったのかは分からないが、ルカがまるで怯えたようにしっかりと握っていたの腕をソッと離した。

「へぇ。じゃぁマ……さんてルカの仮のマスターなの?」
ここでは彼のことを『マスター』と呼ばないようにってあるけど、これってカイトの記録?
そんな自分の中にある彼の共有データを引っ張り出してきて、メイコが言う。
「そ。まぁ、なんていうか。英語を歌えるボーカロイドの彼女の設定をしたの、俺だし……って」
そこで言葉を切ると、周囲を伺うようにして声を潜めて言った。
「ここのマスターが、機械あまり触れないのに興味持っちゃってさ。それで最初マスターに設定したんだけど、管理できないからって言われてそれで……ね」
そんな言葉を誤魔化すように店に置きっぱなしにしてある自分のギターをスタンドから取り出して軽く調整する。
「へぇ。そうなんですか」
なるほどと納得しながらも、ステージになっている奥の空間で流暢に英語の歌詞を歌う彼女を羨ましくも思う。
ってことは、ルカの調整はこの人がしたってことになるのか。
でもマスターって、英語話せる人だったっけ?
と同時に生まれたメイコの疑問を遮るようにが問い掛けてきた。
「メイコは、彼女の英語どう思う?」
隣に座るメイコを振り返って質問すると、彼女はカランと持っていたグラスを傾けて答えた。
「はい。ちゃんと歌えていると思いますよ。とは言っても、私にはあまり分からないんですが……」
珍しく自信なさげに答えるメイコにが言った。
「英語、歌いたい?」
抱えたギターを再度抱えなおして、ステージで歌うルカをチラリと見てメイコに聞く。
「そんなことないですけど。だって私は、私達は日本語ボーカロイドですし」
慌てて否定するも、多少の動揺は隠せなかったようでがソッと提案する。
「じゃ今度『Time to Say Good-Bye』でも歌う?カイトとデュエットで」
「えぇ?!」
この提案に最も驚いたのはメイコだった。
本気ですかマスター。
しかし同時に中の機能が言葉を翻訳しだし、その言葉の意味に驚いた。
「Con Te Partiro、ですか?マスター」
ルカが、奥の演奏空間からいつの間にやってきていたのか、言葉を挟んできた。
「あぁ、イタリア語だったらそうなるね。どう?調整は」
「はい。発音も無声音も随分と調整取れてきました。Thanks、Mastar」
素直にルカが二コリと笑う。
それにしても、英語をここまで調整させるって……
それに無声音?
日本語にはない機能なのかな。とメイコは思う。
まるで、最初の自分が……
それに、『Time to Say Good-Bye』は直訳すれば『時にさよならを言う』
それって、私達とさよならするってことですか?
「世界の歌姫っていうわけには行かないけど。まぁそこは俺の調整次第だけど。でも、メイコなら多分できるって思うんだ。まぁ、ところどころ英語になるだろうけどね」
「あー、私を使ってくれないんですか?」
ルカが少し拗ねたように言ってくるが、表情は笑顔のままだった。
「ルカは当分調整でしょ。大体俺は仮のマスターだし」
なんて、少し逃げの体勢を取る彼にメイコが言った。
「私……出来ません。そんなの」
さよならは、イヤ。
「メイコ?」
不思議そうに下を向いたメイコを覗き込むを、何故かイヤだと思った。
よりによってこんな日にサヨナラを言われるとは思わなかった。
行事にはあまり関心がなさそうなマスターでも、この日の意味は知っていると思ってたのに。
カイトの誕生日以上に大事なこと。
だけど、今、サヨナラを……言われた。
それが何より悲しい。
 
 
それからのことは、あまり覚えていない。
でも、
「じゃ、そろそろ帰るから」
と席を立ったに一拍遅れて席を立ち、店を出た。
その時店の中にいたルカが扉のところまで出てきてマスターになにか言っていたけれど、上手く聞き取れなかったのよね。
聞きたくなかったのかもしれない。
私達に内緒でこの店のボーカロイド、巡音ルカのマスターになってたこと。
ショックだった。
彼には『外』の生活があって、この人の家からあまり出ない私達とは違うこと。
あぁ、彼は間違いなく『人間』なんだなぁということを実感する。
そんなことを考えながらメイコは、少し後ろを歩くを振り返ることなく、駐車場に向かって歩いていった。
 
 
 
 
 
駐車場に向かう間、不自然な沈黙が二人を包んでいる。
「メイコ、その……あの曲のことだけど」
「マスターは、私達が要らなくなった?」
の言葉を遮ってメイコが言う。
「ごめん」
「え……」
急に謝ってきたにメイコも思わず顔を上げる。
「さっきの、Time to Say Good-Byeのことだけど、あれ勘違いしやすい英題だったこと忘れてて……ごめんね」
「どういう、ことですか?」
勘違いしやすい英題ってどういうこと?
「さっきルカに言われてさ。もしかして勘違いさせたんじゃないかって」
「?」
一体どういうことなのか。それ以上に、彼が謝る理由が分からない。
自分たちはボーカロイドっていう『モノ』で、謝る必要なんてないのに。
彼が消したいと願うなら消されるしかない存在のものに謝る必要はないのに、どうして謝るの?
「さっきの、Time to Say Good-Byeという曲の原題はイタリア語でね。で、その元の題名を『Con Te Partiro』って言うんだけど、その意味は『サヨナラ』じゃなくて『君と共に旅立たとう』っていう題名で。だから、その……」
ごめん!
と謝るマスターに、メイコの中の何かが解けていく。
どうやら捨てられる訳ではなさそうで、それが何よりも嬉しく思う。
コン・テ・パルティロ。君と共に旅立とう。……か。
それならカイトじゃなくてマスターと……は、いくら何でも高望みしすぎよね。
と、自制と希望が同時にやってきて、回路がほんの少し熱くなる。
それにしても、どうして彼は自分たちに英語を歌わせようって思ったのだろう。
それを聞くと、少し照れくさそうに答えをくれた。
「今度の連休に何かするなら何がいいですかってマスターに聞いた訳。そしたらCon Te Partiroはどうかって言われてさ。最初は渋ったんだけど、ルカを調整してたらなんとか出来る気がしてきて。それで」
少し照れくさそうに言うに、メイコが何かを言おうとしたその時だった。
「あ、雪だ」
空を見上げてマスターが言うから、メイコもつられて空を見る。
そこには冬の夜空からひらひらと、粉雪が舞いながら落ちてきていた。
雪雲に覆われたどんよりとした空の色が、高層ビルの窓から漏れる明かりに僅かに照らされているのが分かる。
「本当ですね」
どうりで寒いはずだ。
とメイコは思わず肩を震わせる。
寒いのは、暑いのより大丈夫な自分たちだけれど、でも寒すぎると回路が凍る。
そんなメイコの耳に聞きなれない金属音が届いてそちらに目を向けると、が自販機と呼ばれる機械から何かを取り出していた。
「マスター?」
彼は一体何を買ったのだろう。
気になって問い掛けると、何かを手渡してきた。
「どうぞ。まぁ今年も何かと騒がしい一年だったけど、色々ありがとう。メイコ」
そう言って彼の手にあったのは缶珈琲。
「え?」
困惑しているメイコに、さらに追い討ちをかけるようにサラリとが聞いてくる。
「いらない?」
マ、マ、マスター!?
今日この日の贈り物の意味、分かってるんですかぁ!?
今日は、今日だけはそれは単なる缶珈琲じゃなくて、もっと別の……別の意味が!!
いいえ、それ以上に今さっきの歌の約束だけでも私にとっては十分過ぎるほどの意味があったりするんですけど!
嬉しい意味で混乱しているメイコをが不思議そうな目で見つめている。
「いらないなら、俺飲むけど……」
「あ、貰います!」
あぁ、この人ってそう言えば案外天然だったっけ。
そう思いつつも、コーヒーを渡してきた彼の顔が少しだけ赤かったのは、きっと寒さのせいだけではないと、メイコは思った。
 
 
 
 
店のルカのこと、自分たちの新しい挑戦のこと。
そして何より、手渡しでもらった缶珈琲のこと。
そんな何気ない常に、ハッピーバレインタイン。
アトガキ
新たなる気持ち。新しい朝。
昔の自分にさよなら言って、君と共にゆこう。
2023/08/07 script変更
2009/02/15
管理人 芥屋 芥