これは……
怒っとる。
長年の経験でそれが分かる。
謝るだけじゃ済まされへんかも……
と、侑士は嫌な汗が身体を伝うのを感じながら、近づいて来るから視線を外すことができなかった。
彼の顔が笑顔なのは、薄暗い部屋の中でも分かるけど……
せやけど、心ん中は……っ!
入れない空気
「これが最後だよ。
 カイトに何してたの?って、そう聞いてるんだよ。侑士」
横に立って二コリと笑ったの目は、明らかに笑っていない。
これはもしかしたら、『最初から』起きとったかも……な。
と、侑士は最初に自分が彼に触れた時点で、もしかしたらは起きていたのではないか?という憶測の結論を導き出す。
しかし、自分の行為がそこまでだったなら、きっと彼は流して再び眠ろうとしていたのだろう。
はそういう人間や。
自分に関しては、てんで無頓着な人間や。
長年の付き合いでそれは重々分かってる。
せやけど、あの光景を見たのが他のボーカロイドやったら、それはそれで多分自分はこんなことはせんかったやろう。
と、侑士は考える。
なぜ感情が爆発したのか。
その原因は、がこの青い機械を恐らく、他のボーカロイドよりも気に入ってると侑士が判断したから。
憶測に過ぎん。
過ぎんけど……実際、上の階で一緒に歌ってるときも『大丈夫か』と声をかけたときも、ずっとこのボーカロイドはの左側におった。
それは、日常では余りにも自然すぎる光景で見過ごしがちやけど……
自分が拘る立ち位置に、あぁもスンナリと立てているこのボーカロイドが気に入らんくなったのは確かや。
あまり立たせてもらえない、彼の左後ろの立ち位置。
一度無理矢理立とうとしてキッパリ断られたことも、もしかしたら、先ほどの感情の爆発の原因になっていたのかもしれない。
『侑士。
 あまりそこに立たないでくれるかな。
 気が散る』
そう言って、退かされた。
しかし
『いやや』
と、ささやかな抵抗を試みる。が、
『ダーメ。
 気が散った状態で勉強しつづけて、もし今度のテスト落としたら、侑は責任取れる?』
と、笑顔で言われて……
しかも、今年限りで終るらしい講義の一度きりの最初で最後のテスト。
楽しそうにその講義の教科書読んでたの知ってるけど、その授業は必須じゃないんやし別に取らんでもえぇんとちゃうの?って言ってみたんやけどな

……
あかんかったわ。
それ以来、に対する自分の立ち位置はずっと『右側』
バレないようにソッとポジション取ってみても、いつのまにか右側に立たされてる。
それがメッチャ悔しいし、なんか、言葉にできんけど、虚しい気持ちになるんや。
まぁ、その原因が今じゃ微かにしか分からなくなった背中の一本傷がそうらしいってことは、分かってるつもりや。
せやけど!たったそれだけの理由で自分はいつもの右側や。
それを後から現れた『機械』が取るなんて……
 
 
試合会場がここからの方が近いからと、現地集合になっている明日の試合を口実に、無理についてきたのは確かに自分。
まさか、ボーカロイドなんてのが家にいるなんて思わんかったから、最初は驚いたけど。
でも、を『マスター』って呼んで慕う姿は、正直言って羨ましいって思った。
なんでかって。
も彼等、ボーカロイドに気を許してるの、見てるだけでよぉ分かったから。
その光景はまるで本物の『家族』みたいで、あったかい『何か』があって……
そう。
あれは、あったかい家の光や。
が『お父さん』で……あかん。
想像できん。
いや、『できん』のやない。
『したくない』んや。
したら、アカン。あかんで自分。
と、忍足は必死に自分を抑える。
それにしても、機械がそんな光景を作れるとは全然思えへんかったわ。
と、フイに冷静になった頭で、そんなことも考える。
考えてみれば、不自然な光景。
『生きてる人間』は一人。
なのに、血も心も通ってない機械と『暮らしてる』なんて……
その『想像できなかった光景』が、さっきまで目の前で広がっていた。
を本当に頼って、慕って、傍にいるだけで安心した顔を見せていた。
特にこの青いボーカロイド、KAITOは……
 
そこに割って入ったのは自分。
そしてそんな、ある意味彼らボーカロイドにとっては『他人』である自分がしている事を、この青い機械に見られたこと。
が、おそらく一番気を許してるこの青い機械に……
そんなボーカロイドの首を掴みながら、ゆっくりと手に力を込めていく。
このまま壊したろかって、本気で思った。
しかし、その寸でで制止の声が入る。
「何してるの?侑士」
と。
 
 
 
「……ごめん」
目の前に立ったを前にして、素直に謝罪の言葉がストンと出る。
ここは謝っとかなアカンとか、そんな打算は多分どうでもえぇ。
そしてこれは多分、条件反射なんやな。昔っからの。
そしてそれを流して、が言う。
「謝ったんやったら、手ぇから力抜き?」
と。
しかし指摘された侑士は、全く別のことを考えている。
まだ関西弁使こてくれてるから、まだ大丈夫。
と。
そして一拍遅れて、の言葉の『内容』が侑士の脳に届く。
……え?
手?手に力て、どういう意味や?
そこまで考えて、侑士は自分の手が痛いことをこの時初めて気がついた。
俺、まだ力入れっぱなしやったんか?
と、に指摘されて初めて、自分の手に力を入れっぱなしだということに気付き、その込めた力をゆっくりと手から抜き、抜ききったところで初め

が小さく息を吐いて安堵の表情を見せて
「まぁ……大体状況は掴めるけど。
 大丈夫?」
と、ボーカロイドに声をかける。
『状況は掴める』……やと?
あんた、最初っから知っとったやろうが!
と、心の中でのツッコミは忘れない。
しかし、そんな忍足の心の叫びなど聞こえるはずのないは、さっきまで彼が力を込めて締め上げていた首の辺りを触れようとして……
その時、ビクッと明らかにカイトの身体が怯えるように震えたのだが。
しかし、それをまるで見ていなかったように
「これ跡にならなきゃいいけど……」
などと言ってカイトの、忍足の手跡がついてしまった首に手をそっと当てている。
しかしカイトは下を向いたまま動こうとはしない。
そんな『彼』に、が問う。
「大丈夫?」
と。
その問いにもカイトは顔を上げることなく下を向いたまま頷いて
「……はい」
と小さな声で答えている。
しかし、はその答えを完全に無視して
「大丈夫?カイト」
と、今度は名前付きで彼を呼んだ。
彼の中のどこかが、最初の声と今の声が『違う』ということを判断したのだろうか。
ハッとしたような顔で、呼ばれたカイトが勢いよく顔を上げる。
「は……はい」
何を恐れているのか、怯えた様子でカイトが答えると、彼が『顔を上げた』ことに満足したらしいが安心したように
「良かった」
と、言った。
 
心底安心したような顔、機械相手にせんでくれ。
そんな、入られへん空気作らんでぇな。
頼むわ。
見てるこっちが
 
悲しくなるやん?
 
 
言葉にできない思いが、沸き起こる。
しかし、言えない。
多分、今晩起きた今までのこと、自分のしたことも含めて全部お見通しのに、今何を言っても切り返されるっていうのだけは、長年の経験から分

かってる。
だからこそ……
『見てるだけ』っていうのは存外に辛いものがあって、この場から去りたくなる。
それにしても、さっきの言葉。
どういう意味や?
と、ここで侑士の中で考えがとんだ。
『例えば、崖の上で落ちそうになってる侑士とカイトが居たとしら、俺は真っ先にカイトを助けると思う』
って。
が言った言葉は多分もっとあったと思うけど、でも、結局まとめたらこういう言葉になる訳や。
それが一体どういうことを指すかなんて、そんなこと、聞かなくても理解はできた。
「なぁ……」
……落ち着け俺。
……ここで暴れたら、それこそ……
せやけど俺、機械に負けるんか?
そう思ったら、勝手に口が動いてた。
 
 
「何?侑……士?」
異変を感じ取ったのか、の声の中に明らかな警戒の色が宿る。

 さっきの……助ける云々っていう話。
 もうちょっと詳しく……聞かせてぇな。
 あれ、どういう意味や」
そう言った忍足の目に宿っていたのは、はっきりと分かる何かの感情。
それに名前をつけるのは簡単なことだ、とは思うがあえてそれを詮索することはやめて、問いに答えた。
「だから。
 お前には、周りにたくさんの人がいるけど、彼等には俺しかいないっていう、例え話だよ。
 それに、条件を二つ付けて話したのに、不満か?」
と、本当に『大人の対応』を彼に対して行っていく。
淡々と。
彼の感情を分かった上で、受け流す。
確かに……さっきの自分がまとめた結論では、の出した条件はなかったように思う。
―――周りに救助の人がいる場合。そして、そんな状況は多分来ない
あの話は、たとえ話。
分かってる。
彼等ボーカロイドが頼れるのはだけ。
『マスター』しか拠り所がない彼等と、をふくめて、周りにたくさんの人・友人・知人が居る自分とでは……明らかに、違う。
そして、そんな時はどっちをが選ぶかなんて……
解かりきってることやんか。
「……壊そう……思った」
この時、初めて、本音が、出た。
アトガキ
天回高楼シリーズの三作目……の予定だったのですが、どうも合わないっぽかったので、いるか通りに移動させました。
題名も変更しております。
2023/08/07 script変更
2008/07/09 移動
2008/07/04
管理人 芥屋 芥