海鳴りではない、何かの叫びを聞いたのは。
「な……なんだ?」
初めて聞く、その地鳴りのような叫びのような音には戸惑う。
こんなことは初めてだからだ。
艦首前方に何かが見えたが、総員戦闘配置の鐘はならない。
つまりあの見えた物体は……「存在してはならないヤツ」を如実に物語っていた。
実在するものであるならば、イージスシステムに引っかからないはずがないからだ。
そのとき、艦首甲板の先端に立つ市丸が動いた。
あんなところ、一歩間違えれば海に落ちる。
だがヤツは幽霊で、恐らくそんなことは関係ないんだろう。
とは考える。
確かに外に出たら迷うって言ったり、人の飯を平らげたが……それでもヤツは幽霊だ。
このまま見過ごせばいい。
だってそうだろう?
自分たちが守るものは、存在している人たちだけで精一杯で、亡くなった人たちまで守れないしそんな技術なんてない。
だけど!
は走った。
艦首に向かって。
「おい、市丸! 危な……」
艦首に降り、彼に向かって声を掛ける。
が、そこで言葉が途切れた。
背筋に寒気が走ったのだ。
『ほう……』と、間近に聞いた『何か』の声。
「いやーまさか飛び出してくるなんて思わへんからびっくりしたわ」
振り返って歩いてきた市丸が、いつもと変わらない声で言う。
後ろを見るな。
何かがいる。
振り返るな。
『えぇお人や。そのままな?』
聞こえない声でそう言った市丸が剣を、抜いた。
「射殺せ 神鎗」
途端伸びてきた刀に、は正直殺されるかと思った。
腰が抜けて立てないの隣に、市丸がゆっくりと歩いてくる。
「あ……あれ、一体……」
「海におる虚や。たまにこうやって狙ってきよるんや」
周囲をサッと見渡し、警戒することも忘れない市丸が
「さ、もう大丈夫や。サン仕事の最中やってんやろう? いけるか?」
と言って手を伸ばし、立たせた。
さっきの衝撃が大きすぎて、が市丸に質問をする。
「その、虚っていうのは?」
「ん? まぁ、あんたもさっき見たみたいな化けもんのことや。元々人間の魂やってんけどな、それが手違いで整から虚に落ちたんや。それがさっきみたいな化けもんになるって寸法や」
なるほど。
ということは、死神にも手違いがあるというわけだ。
ヒューマン・エラーはどこの世界でもなくならないらしい、ということかと、なんだか死神になっても人間って変わらないんだな、それ。
そう思ったが声には出さない。
時間にして大体五分……掛ってないだろう。
なんだか永遠に続くような気がしたがな。
と思いながらチェックメモを取っていく。
そして、それを覗こうとした市丸の額にボールペンのノックの部分を思わず突き刺した。
(見るんじゃない)
「いたッ!」
まともに食らった市丸が蹲るが、それを置き去りにする形で放送室へと足を向けたはマイクのスイッチをオンにした。
「総員起こし 五分前」
そう言ってマイクのスイッチをオフにする。
「イタァ……あんた、何すんねん!」
額を抑え、ドアをすり抜けた市丸が放送室へと足を踏み入れながら抗議する。
「例えお前が幽霊だろうと、見せられないものは見せられないんだ。こればかりは規則だからな」
それに、さっきの虚について衝撃を受けている場合ではない。これは仕事なのだから。
と割り切り、
「あんたなぁ! だからって酷すぎるって……」
文句を言う市丸の向こうにある時計を見る。
時間だ。
は再びマイクのスイッチを入れ、
「総員 起こーし」
と言った。
そして放送室を出るとはそのまま当直室へと戻る。
眠い……
「で、お前ずっと気になってたんだがな、その短剣一体なんだ?」
さっき急に伸びたように見えたけど……
いや、確実に伸びた。
あの後、市丸が後ろの『ヤツ』虚っていうらしいが、を倒したあと戻っていくのをは見たから。
形状からして短剣か脇差だと思っていたのに……
「ん? あぁ、言ってなかったな。これ、斬魄刀言うんやで。これには名前がそれぞれあってな、名前も言えんうちは死神の半人前っていうことやね。まぁ例外が一人ウチには居るけどな」
部屋の扉が閉まると同時には切り出した。
「市丸、さっきは少しやりすぎた。それは謝るよ。ただ、いくら俺しか見えないからってこの艦にいるうちはお前は俺にとっては242人目の乗員なんだ。それを忘れるな」
そう言って書類を書いていく。
訳がわからないのは百も承知だ。
さっきだって何が起きたか分からないが、思い出すだけでゾッとする。
全く、何がなんだか……
そして、その自身、何がなんだかわからない状況を、上の三人が見逃しているはずはなかったのである。