「中央で国家錬金術師が次々と殺害しているヤツがここに逃げ込んだ。警戒したほうがいい」
大佐にそう言って忠告しているのは中央から来た中佐だった。
その中佐は、ある男を追ってここに来たのだと東方司令部の長に告げた。
そして、その事件の内容を聞いたマスタング大佐の顔色が僅かに変わる。
「まずいな。今ここには弦と鋼の兄弟が来ているんだ。探せ!!」
自分の元部下である中佐からの情報で、今日はまだ足取りの確認が取れていない二人と一人を探すよう部下に命じる。
そして、中央から派遣された男が反応したのは、ここには居ないはずのもう一人の対象者だった。
「弦……もしかして
か? どうしてあいつがここにいる、ロイ」
責めるような詰問に、視線だけで振り返ったロイと呼ばれた大佐が答える。
「南方から資料を渡しに来ただけなんだが、部下共が勝手に延滞許可を取り付けた。お陰で仕事をやらされ……」
カチャリ
「コホン。あいつは今やることが無いはずだ」
「どこにいるんだ」
「さぁな。フラフラと出歩くのが好きな奴だからな。どこにいるか見当がつかんよ」
そう大佐が答えたとき、二回のノックの後ドアが開いた。
「エドワード兄弟、発見しました。ですが……」
「すぐに向かおう。ヒューズ、お前も来い」
だが手遅れだった。
鎧が壊れ、義手・義足も壊れた凄惨な現場。圧倒的な力の差。
時間を稼いでもらっている間に包囲する。
そして『無能』の一言は大いに効いた。しかもそれを完全に否定できない分更にグサっとくるものがある。
それでも
「軍を見くびらないでもらおうか」
人一人囲い込むなど造作もない。
だが地面という盲点を突かれ逃げられた。
逃げる瞬間、ホークアイ中尉が撃った弾丸がサングラスを割り、その奥から現れた瞳の色に驚愕した。
「イシュヴァールの民、か」
昨日の夜から降り続く雨の中、男は一人、呟いた。
人と犬が合成錬成されてしまうという痛ましい事件の後、珍しく大佐が真面目に仕事をしているので自分は必要ないと決め付けて司令部にいなかった
がその日鳴り響いた電話を出ると、電話の向こうで安堵している様子の相手、ハボックに疑問を持つつ、更には迎えに来るという要請を断って、昨日から続く雨の中ゆっくりと歩きながら司令部に顔を出すと、そこにはこの上なく慌しい光景が広がっていた。
行きかう人は小走りで進み、部屋の中にいる人たちも書類や報告待ちなのだろうか。イライラを隠そうともしていない。
どこかしこで誰彼の声が飛び交い、指示か何かが下ったのかバタバタと何人かで走っていく靴音が雨音と共に響く。
そこは正に街の喧騒、いやそれ以上に騒がしかった。また司令部全体が少しだけ殺気立っているようにも見受けられて、事態を把握しようと
は近くにいた隊員に声を掛けた。
「どうした。何があったんだ」
だが、問いかけられた隊員がそれに答えを返すよりも先に、
の数メートル後ろからここ東方指令の最高司令官の声が響いた。
「遅い!」
そう言ってツカツカと、半ば荒々しく靴音を立てながらロイが立ち止まっている二人の方へと近寄ってきて
「どうしたもこうしたもない。全くこの忙しいときにどこほっつき歩いていたんだ」
そう言った彼は
の軍服の襟を「ムンズ」と掴むと、
の抗議の声をモノともせず階段を上がって指令本部の部屋に容赦なく引きずり込んだ。
「ちょっ! 離してくださいよぉ!」
その普段とは真逆な光景に
に引き止められていた隊員はポカンとし、周囲の何人かは足を止めてその光景に見入っていたが、今はそんな時ではないとすぐにそれぞれの作業を再開させた。
大佐の執務室に半ば強制的に入室させられた
は、常に大佐の隣にいるホークアイ中尉の他に何人かが先にソファに座っていることを確認した。
一組は鋼の兄弟で、その兄であるエドワード・エルリックと軽く視線を合わせた後に彼の鋼の右腕がないことに不穏な空気を感じつつも、弟にも視線を向けて軽く挨拶をする。
そして本来ならばここには居るはずのない、非常に珍しい人物と目が合い同様に軽く挨拶をする。
挨拶を受けた彼は、軽く肩を竦めて応えた。
そんな、昔と何ら変わらない動作に一瞬懐かしい思いが去来するが、彼は確かセントラル所属だったはずで、そこから人が来るということは相当な事件が起きているらしいことはすぐに理解できた。
だがここは黙って大佐から直接司令部全体が慌しい理由を聞いたほうが良いと判断する。
情報はできるだけ正確に、は共通認識を持つ上での基本中の基本だからだ。
倒錯していては余計に混乱が増すばかりで使い物にならなくなる。
この情報を集めるために下階が慌しかったのだと
は思った。
やがて
は、昨日の夜に殺人事件が発生しており、殺されたのは先日あの錬金術を行ったショウ・タッカーであること、そしてその犯人とエルリック兄弟が一戦交えたこと、軍も駆けつけたが逃がしたことを大佐から簡潔に説明された。
そしてその追加情報として、国家錬金術師ばかりを狙う殺人事件がセントラルで起きており、その調査中に犯人が東部に向かった可能性があるためにここに来たのだと、その意外な人物であるマース・ヒューズ中佐から聞かされた。
まさか大佐が珍しく仕事をしている間にそんなことが起こっていたなど知る由もなかった
が
「殺されたのは、彼だけ……ですか?」
と確認すると、エドが追加事項を重たい口調で告げる。
「だけじゃない。ニーナも、殺されたんだ」
その名は、自分の父親に犬と融合させられた少女の名前。
先だって起きた痛ましい事件だった。
命を使った錬成実験は誰も元に戻すことができないものだから、あの事件は誰も彼もが悔しい思いをしただろうことは、
は他人事ながら容易に想像することができる。
それにしても、彼らが国家錬金術師を狙うというのは過去にあった軍との衝突の経緯を考えれば分かる気はするが、軍に警備されていた家に一体どうやって? と
が思ったとき
「奴はイシュヴァールでは禁止されている錬金術に手をだしている。形振り構わない人間ほど怖いものはない」
と冷静に状況を見ている、マース・ヒューズ中佐が情報を提供する。
流石にセントラルから事件を追っているだけあって、ここの人間たちよりは犯人に詳しいらしい。
そして何故自分がここに呼ばれたのかも、
はこれまでの彼らの情報から理解した。
自身も国家錬金術師であり、スカーと呼ばれる犯人に狙われる可能性があるからこそここに呼ばれたのだ、と。
「でも、なんで国家錬金術師ばっかり狙うんだ?」
とエドが最も素朴な疑問を口にする。
その言葉を聞いたロイの表情が僅かに曇ったのを
は見逃さなかった。
だがそんな感情を隠し、イシュヴァールの民と国家錬金術師の間で起きたことを簡潔にまとめて告げたロイに対して
「そんなの、復讐っていうオブラートに包んでるだけだ。それでニーナまで殺していいなんてことは絶対にない」
と、そう断言した。
いくら融合させられた少女とはいえ、もしかしたら戻せる可能性が無かったわけじゃなかった。だからあの事件の後も、捕らえることなくあの家に居ることを大佐は許可したのだ。
――それが仇になるとは……な
そう誰かが思ったとき
「ま、それはそうだ。だから今度会ったときは……全力でつぶす」
ロイがそう言ったとき、司令室を流れた一瞬の強烈なまでの殺気。
それは、この大佐が垣間見せた本気……だったのだろうか。
そしてそれを払拭するように告げられた
の言葉に、部屋の空気は一変する。
「ところで鋼の。オートメイルの方は修理が必要なんじゃないのか?」
と、エドの右腕を指して告げた言葉に、珍しくホークアイ中尉が追い討ちを掛けた。
「そうよね。錬金術が使えないエドワード君なんて……」
の続きの言葉は、部屋にいる全員から返ってきた。
「単なるチビ」
「クソガキ」
「無能だな。無能」
と、散々な言われ放題な上に、弟のアルまでが……
「ごめん兄さん。フォローできないよ……」
といって苦笑していた。
誰がエドワード・エルリックの護衛をするのか。
あの後の話はそれで持ちきりだった。
なにせスカー、傷の男は錬金術を使うのだ。
一般の兵士では護衛にならない。
そこで白刃の矢が立ったのが
とヒューズ中佐と共に東部に来ていたアームストロング少佐だった。
なんとかエドは
の方に護衛をつけてもらおうとしたのだが、彼の大佐の部下たちに勝手に作られ、本来の所属である南部司令部へとこれまた勝手に送られてしまった東方指令滞在延期理由欄に何を書かれているか判らない状況では動きようがないとのことで、却下になってしまった。
で、今汽車の席にはアームストロング少佐が乗っている。
暑苦しいことこの上ない。上に濃いい……状況的には最悪である。
「じゃ、元気でな」
窓の外でそう言って手を上げた
とヒューズにエドは
「大佐に言っといて。『あんたの管轄じゃ絶対世話になんかならないって』世話になるなら、
少佐のいる南方指令部にするからさ」
と言った。
大佐のことをこの兄は信用していないのかもしれないと思っていた
だが、どうやら本当に彼はロイ・マスタングのことが嫌いらしい。
だからと言って南で問題を起こされても困る
が
「コラコラ」
と困ったように応え、そんな彼にエドは笑いかけながら
「冗談だよ。なぁ
少佐。あんた、『いつでも来ていい』って言ってたけど、本当にいいのか?」
あの時、事件の後の雨の階段で
から言い出した言葉をエドは最後に再確認した。
そしてそれに
も応える。
「あぁ。等価交換って言っただろう?」
「でも俺、何もやってないぜ?」
何もやってなくはないが、それは
に向けてではない。
「いいんだよ。今は解からなくても。いつか理解するときが来るさ。そうそう、君に一つヒントをやろう。『いつからあるか解からないけど、常に流れているものに着目せよ』……だよ。ま、がんばれ」
そう言って笑みを作った
に、エドは少しの違和感を感じていた。
自分達が人体錬成をしたと知ったときから、彼の態度が少し変ったことに。
最初は完全な初対面で、人伝えに聞いたことを確かめたくてつい喧嘩腰になってしまった。
だから、彼から見て自分の第一印象は最悪だろうとエドは思う。
しかしあの時、人体錬成と聞いたときに、彼ははっきりと「等価交換」と言った。
何故『人体錬成』が彼の等価になるのかが解からない。
禁忌の錬金術が等価だなんて、冗談にもほどがあるからだ。
でもその言葉が冗談とも聞こえなかった。何故なら、あの時の彼の目は真剣そのものだったから。
あれは、冗談や嘘を言ってるような人間の目じゃなかった。
もし、本当に僅かな可能性だが、あの言葉が本当だったとして、その言葉の中身が分かれば少佐の態度の変化にも説明がつけられるような気がするのだが……
そう考えている間にも、汽車は駅を出て街から遠ざかって行く。
そんな揺れる汽車の中、流れる景色を見ながらエドはポツリと呟いた。
「そーいやあの
少佐。一度も俺のこと「小さい」だとか言わなかった……な」
思い返してみても、確かに言われたことはなかった。『くそガキ』とは言われたが。
そしてそれを聞いていた隣の人物が、暑苦しい雰囲気をまといつつも丁寧に答えた。
「あぁ。
少佐は、人が嫌がるようなことはあまりしない人物だよ」
「あの人、一体何者なん……ですか?」
『なんだ』と言いかけて、最初に彼に言われた言葉が頭をよぎって慌てて訂正する。
「今現在は南方司令部少佐。だが、昔はマスタング大佐の部下だった人物で、イシュヴァールの戦争にも当時は軍人として参加していたはずだ」
イシュヴァール。今回の事件の犯人、の忘れようとしても忘れられないあの男。スカーの出身地。
しかしそれならば……
「じゃ、国家資格を取ったのって……最近?」
「そうだ」
一つ解かれば二つ・三つと疑問が出てくる。
最大の謎が、人体錬成が等価交換という言葉だが、それ以外の部分でも謎は多いようだと、エドは思った。
――
・
少佐……か。ま、また今度会えるさ。必ず
そんな確信が、汽車に揺られるエドの心の中に芽生えていた。