近くのカフェと酒場の中間に位置する店に入り、案内され席にミントとエルリック兄弟はテーブルを囲んで座る。
早速エドは話を切り出そうとしたが、運ばれてきた料理に黙るしかなかった。
「少佐。食う前に二つ聞きたいんだけど。これ、おごりか?」
聞いたエドに、
が答える。
「当然」
おごりは、チョットだけ嬉しい。
いくら国家錬金術師としての活動資金があるからといっても、自分たちの場合それのほとんどが旅費に消えてしまう。
だからオゴリはとても助かる。しかしまさかその言葉に続きがあるとは、まぁ少しは思ってたけども。
「割り勘」
「あ、やっぱり」
当たり前といえば当たり前の
の言葉に心なしかガッカリした声音で言うと、
が不思議そうな目でエドを見た。
が、すぐに彼が何を期待していたのか理解して、料理を取り分けながら言った。
「何。おごってもらえるって思ってた?」
「ちょっと、な」
苦笑いをしながら答えるエドに、この辺りはまだ子供っぽさが残ってるんだなと思いながら、半分以上冗談を交えて
は答え、
「俺は保護者じゃないぞ鋼の。で、もう一つは?」
と尋ねる。
「昨日あんた、大佐に今日で南の司令部に帰るとか言ってなかったか?」
割り勘ならと、遠慮かつ自分の財布と相談しながらご飯を注文しエドは聞いた。
「あぁ、あれね。あの後大佐の部下たちが勝手に南方に伝聞を届けたらしくて、それで帰るに帰られなくなったのさ」
「なんだそれ」
「大佐のサボり癖が原因、といえば君たちにも見当つくんじゃないか?」
出されたサラダにホークを突っ込んで答えたその言葉に、エドの頭の中にその光景が頭に浮かんで納得できた。
「あー……なるほどな。あんた巻き込まれたんだな、ご苦労なこった」
同情をこめてエドが言うと
「そうかなぁ。でも大佐が抜け出しても俺は居場所が分かるから苦労はしてないな。むしろその所為で、こうやってトバッチリは食らってるけど」
と答えた少佐の顔が、どことなく楽しそうに見えたのはアルの気のせいだろうか。
「で、昨日の答えは?」
飯が一段落して、改めて
がエドに尋ねた瞬間気まずい空気がテーブルに流れたが、彼は特に気にした様子も無く頼んだ食後の珈琲を飲んでいる。
そんな余裕ある彼の態度を苦々しく思いながら、エドは質問に答えようとした。
「俺たちが、錬成したのは……ッ」
だがこの先を答えるのに勇気が必要で、自然と手に力がこもる。
まだ忘れられない、あの光景。
恐らく、一生忘れることはできないであろうあの景色。
それでも答えなければ、
・
から答えは返ってこない。
何かを得るには、何かを与えなければ。
「……母さん、だ」
まるで体の中をひっくり返したかのような痛みが全身に走る。
分かってる。これは心傷(トラウマ)だ。分かってる。分かってるから無駄に力なんて入るな。
「俺たちは、母さんの笑顔をもう一度見たくて、だから」
更に答えようとしたエドの言葉を、
は軽く首を左右に振って遮った。
「もういいよ」
そんな
をエドは驚きと戸惑いが混じったような目で見、それに気づいた
が肩を小さく動かして答えた。
「何故君達がそれをやろうとしたのか、の経緯までは聞いていないからそこは答えなくていい。俺が聞いたのは『誰を』ということであって『何故』じゃない。それに必要以上に探るのは趣味じゃないし」
まるでそれ以上は興味が無いと言っているかのようなその言葉にエドは一瞬だけ呆然としたが、彼の言葉を直ぐに理解した。
そうだな。確かに少佐が聞いてきたことは『誰を』であって、自分たちがそれに至った経緯までは確かに聞いていない。と。
「ちゃんと答えたんだ。俺の質問に答えてくれるんだろうな」
エドは半ば挑む形で
に言う。
ここまで踏み込んだことを言わせたんだ。それ相応のことはしてもらう。
「もちろん。今度は君たちの番だよ。俺に何を聞きたい?」
「あんたの錬金術について、詳しく」
その言葉を聞いた
は少し困惑したような顔をして
「詳しくって、もう少し絞ってくれないか。それじゃかなり大雑把すぎる」
「じゃぁ一つ目。あんたは『どうやって』錬成してんだ? 聞いた話じゃ錬成陣を必要とせず真理を見た人間みたいな循環もしないってことらしいじゃねぇか」
そう。
エドが気になっているのはその部分だ。
彼の錬成は、公開されている資料や話を聞く限りでは、腕を動かしただけで錬成が出来上がった、らしい。
その肝心な部分が、エドにはとても『引っ掛かる』のだ。
「確かに錬成陣は描かないね。でも、循環はしない訳じゃないな。ただ君たちのと違うのは、俺は『縦』と複数を同時に循環してるってとでいいのかな」
と言って珈琲を一口飲んだ。
「どういうことだ」
「さぁね。そこがまだ自分でも見えてこないんだ。ただ『縦』をやらかすと、ちょっと法則の上をいく、で答えとしてはいいのかなぁ」
自信なさ気に呟かれた最後の言葉にエドは反応した。
「それは、もしかして賢者の石か? 少佐」
声が低くなるのをエドは自覚する。ずっと探していたそのシロモノ。
そんなことが出来るのは、伝説のあの石しかない。
「さぁ」
「答えろ。それは賢者の石なのか?!」
体を乗り出し、エドは尋ねる。もしそうなら、意地でも見てみたい。
この男の錬金術を。
だが乗り気ではない
は手を上げて降参の意を示し
「それは伝説の中の物だろ。俺の錬金術はそんな恐れ入るようなものじゃないよ」
と言って追加の珈琲を注文した。
こいつはトンでもない答えだ。
法則の上を行くなんてありえないからだ。だが、
「法則の上を行く、じゃなくて上の法則に一段あがるのさ。だから大雑把に言えば法則の中ってこと。法則から外れるわけじゃないよ?」
念を押されてしまった。
「二つ目。あんた、自分の錬金術の方法をあんたが説明できないっておかしくないか?」
「確かにおかしいね」
あっさりと認めた
に
「おい!」
脱力し思わず怒鳴る。
「仕方ないだろ。過ぎた力は……」
「魔法にしか見えない、か」
少佐の言葉を引き継いだのは、この場にいるはずのない東の司令部の最高責任者たる……
「大佐!?」
だった。
「珍しいですね。こんな時間に」
「抜け出してきた。余りにも大量に仕事があってな」
「……またですか」
驚いた風でもなく呆れた様子で受け答えする
にポカンとしながら兄弟が見、そんな二人を気にした風もなく、大佐は余っていた椅子に座り会話を続ける。
「それにしてもあの時の錬金術は、私の目からみてもただ腕を動かしていたように見えたがな」
「循環ならしてましたよ。でなければあんな危険な代物など作れませんから」
と、珈琲に口をつけながら平然と答えた。
あれがブラックホールの『裏側』でなければ、恐らくあの部屋にいた全員のみならず世界が崩壊してしまいかねなかった。
それほどにまで、この男の作り出したものは危険だったのだ。
だから
「危険すぎて上層部の許可がなければ使えない代物、か。
、お前も苦労するな」
そう。あまりに危険な代物のため使うには上層部の許可を求めなければならない。
そしてこのことをエドが尋ねなかったのは、公開された公式文書にそれが載っていたからで、知ろうと思えば誰もが知ることのできる内容だからだ。
が、主だった錬金術を禁止されても
「ま、他のは禁止されていませんから」
と平然と笑うのだ。この男は。
それは、他にも引き出しがあるという意味に他ならない。
「それにしても、あの時の錬金術は本当にどうやっていたんだ。今でも私は不思議に思うぞ」
「不思議、ですか」
視線をあさっての方へ向けぽりぽりと頭を掻く
に大佐が睨む。
そんな二人の微妙な空気に耐え切れなかったのか、アルフォンスが動いた。
「マスタング大佐。大佐は、何か用事があったんでしょう」
と言われ、ここに来た用件をロイは思い出した。
「悪魔の所業、か。正に今回がそれでしたね大佐、少佐」
階段の段差に立ったまま、神妙な面持ちで中尉が告げる。
「人間兵器として召集されれば悪魔にもなる。それが錬金術師というものだ」
階段に座って、告げられた相手の一人である大佐が応える。
「錬金術師よ、人のために在れ。の教えとは正反対の矛盾、ですか」
答えたのは、中尉の後ろに立っていた少佐と呼ばれた青年。
「そうだ。しかし、納得しなくても進むしかない。そうだろう? 鋼の」
前半は青年に、そして言葉の後半は今しがた降りてきた金属の腕を持つ少年に語りかける。
「俺達は、人間なんだよ。悪魔なんかじゃないんだ!」
雨が降る中、恐らく泣いているのだろう。金属の手で拳を作り叫んだエドの後姿を見つめる
が、やおら動いた。
「鋼の。俺と君たちとの等価交換は、まだ済んでいない」
「
?」
少佐を振り返り、大佐が問いかける。
だが少佐はそれには答えず、
「ここが俺の借りている部屋だ。用があったらいつでも叩いていいよ。居なければ司令部にいるから」
そう言って彼は部屋の住所を書いてエドに渡した。
――どういうことだ
問いかけようとしてエドはハッと気づいた。
自分の錬金術のことを、この少佐は自分で『よく分からない』と言っていたではないか。
答えは大佐が割り込んできて有耶無耶になっていたけれど、この少佐から明確な答えをまだ貰っていない。
つまり、少佐とエドが交わした情報の量にせよ内容にせよ、等価といえる交換にはあまりにも程遠いということだ。
だから聞きたいときに聞きに来ればいいと、少佐はそう言っているのだとエドは理解した。
「わかった。ありがとう少佐」
それでも答えるエドの声は暗い。
当然だ。
あんなことがあった後で、平然としていられるほうが変だと、エドは思った。
「それでは大佐。お先に失礼します」
紙を受け取ったエドを見て大佐にそう言って敬礼した後、最後にこの様子を一歩離れたところで見ていた中尉に頭を小さく動かすと、少佐は一足先にそこから歩いて去っていった。
「南方司令部の少佐。いい地位に納まりましたね」
「そうかな。しがない中間管理職だよ」
そう言う男の髪の間から服の裾から、ぽたぽたと水が零れ落ちていく。
「それにしても、ちょっと見ない間にらしくなりましたね」
女と男がそこに居る。
闇の中からその声は響いている。
「らしくって。俺は昔から変ってないつもりだけど?」
心外だなぁと言わんばかりの声音を発するのは男の声。
「随分変わりましたよ、あなたは。自覚がないだけです」
「ふーん。まぁいいけど。それより鋼の、エドワード・エルリックのこと俺何も聞いてないんだけど好きに動いていいのかな?」
「殺さなければ、別に構いません」
女性の方は、慣れない敬語を使おうと必死に頭を使っている。
そんな女に対して男はいつも通りにしゃべっている。
彼には逆らえない。
体の奥底でそんな声がするのだ。
現に今も小さく体が震えている。
なぜかは分からない。
だが出会ったときからそうだった。
「じゃ、彼等が元の体に戻ろうとするのにヒントをあげてもか?」
「『賢者の石』、ですね?」
その言葉に頷いた男。
「どこまで言っていいものでしょうかねぇ」
迷った女に男は一息つくと「まぁその辺りは追々ってことで。それじゃ」と、一方的に話を切った。
だが、それでもこの男に対しては文句の一つも出てこない、逆らえない。
いつもの自分からは想像すらできないことだった。
「えぇ。私は当分鋼のボーヤを見張ってますから」
「ま、なるようにしかならないから。その辺りは臨機応変にしてくれたら助かるよ。ラスト」
雨が降り、時折雷が空を走って光が地上を照らす。
昼から降り出した雨はやがて本降りになり、夜になった今も止まる気配を見せない。
そんな中、傘も差さずびしょ濡れになった男がある家へと入っていく。
その家は軍が警備していたが、それを打ち破った男は強引に部屋の中へと入って行った。
やがて男は一つの扉の前に立つ。
この向こうに目的のものが居る。男は、そう確信してドアを開けた。
部屋に入った男の目の前に座った状態で存在しているのは、己の父親の実験材料にされた憐れな少女。そして犬。
ソレは、ただ人語を話し解する、とされる新種の獣ではない。
ソレの実体は、獣に人を混ぜた合成獣。
父親のエゴの結果、と呼べるのかどうかは男には分からなかったが、ただ間違いなく目の前に鎮座するソレは、人の心の醜さが生んだ代物のように男には思えた。
「すまない。許してくれ」
男がそう言うと、獣は僅かに反応し、
「……トモ……ダ、チ……」
と、つたない言葉を発する。
「……トモ……ダチ」
何度も何度も、ただトモダチと繰り返す。
男は、その男にしては珍しく優しくその合成獣の頭にソッと手を乗せようとした。
しかし
「誰だ」
と次の瞬間闇に向き直り、鋭い声で問い質し全身を警戒させる。
そこには、確かにさっきまで誰も居なかった。
だが今は居る。
一瞬で現われた誰かに対して男は警戒した。
しかし返事はいつまで経っても返ってこなかった。
それでもしばらく男は待ったが、いくら待っても返事はなく。
だから男は、もう一度問うことにした。
今度は明らかな敵意を持って。
「もう一度言う。『誰だ』」
これで返事がなければ問答無用で叩きのめす。
そんな男の心を読み取ったのか、沈黙していた闇からの返事が男の耳に届いた。
「敵意を向けて問われても、その相手が素直に答えると思うかい?」
「では敵か」
「違うよ。少なくとも『今』はね。だから君の邪魔をするつもりもない」
「今は、か。ならばいつでも敵になる可能性があるわけだ」
男は獣に置こうとしていた手を戻し、闇の中にいる声からして男であろう人物と向き合うことにした。
警戒して損はない。
自分がこれまでしてきたことを考えれば、警戒しすぎてもしすぎることはないと自覚している。
「じゃ訂正。『当分の間は敵にならない』でどうだい?」
「そんな言葉を、一体誰が信用するというんだ」
「少なくとも、君がその『子』を手にかけるまでは黙ってるつもりだったんだよ。でも気づかれちゃったから、こうして話がややこしくなった」
俺もまだまだだよね、と困った風に話しかけてくる声に男は更に警戒する。
何故俺がコレを手にかけようとしたことを知っている?!
と。
「そんな警戒するなよ。表のあれを知って尚、俺は見てみぬ振りをしてるんだから。少なくとも今の俺の興味は君じゃないからね。邪魔はしないよ」
声音が変わる。
どうやら少しは真剣になって答えたようだと、男は思った。
食えない男だ。
そう思い、先ほどから黙って座っている獣の頭に再び静かに手を置いた。
「貴様は、何故コレに興味があるんだ」
手にかける前に男から問いかける。
興味というからには、体は残せない。
そう思い、バラバラにしようと決意して……
「興味の対象はもちろん体も、なんだけれどもさ。って、あーあ。バラバラにしちゃって」
しかしその声は少しも残念そうではなく、むしろ……
やがて、対象が破壊された後その一瞬あとに、最初の問いかけに対するその答えを、男は聞いた。
「魂はあいつが喜びそうだからね。いや、むしろ悲しむかな? まぁいいや。貰ってくよ、ありがとう」