「鋼の」
「んだよ」
金髪の少年が、大佐の目をジッと見る。
その視線の強さに、一瞬だがロイが身構えたように見えた。
「まだ、アレを探しているのか」
大佐の、詰問するような言葉が、部屋に更なる重石となって沈黙の帳を下ろす。
そしてそれを取り払うこともせず、金髪の少年がロイに厳しい視線を向けて答える。
「あぁ。当然だ」
力強く答えるその声に、ロイが追い討ちをかける。
「情報が入ってきても大体、いやほぼ100%ガセでもか」
「当然だろ。この体を元に戻すまでは」
自分の、鋼の手を見ながら応じるその声は、決して悲観してはいなかった。
どちらかというと、希望を捨てていない声に近い。
「それにしても、今回の一件。あれの手がかりになるはずだったのに。ま、見事に偽物だったけどな」
悔しそうに言いながらも、何かを思い出しているのだろうか。腕を頭に回しソファに背中を預け天井を見上げながら話すその声は、『また探せばいい』と望みを捨てていない。
彼のいう『今回の一件』とは、あの教団絡みのことだろう、とその場に同席したリザ・ホークアイ中尉は話を聞きながら見当をつける。
「災難だったなぁ鋼の。でも、できれば私の管轄では暴れて欲しくないんだが(お前たちのせいで私の仕事が増えたじゃないか)」
ボソリと呟かれた大佐の言葉に、金髪の少年が言う。
「すまんね。でも、一つ潰せてよかったじゃないか」
「……(潰さなければ私の仕事が増えることも……)」
ジトォと見つめる中尉の視線に体を小さくしている大佐に、金髪の少年が冗談はさておき、と本題に入る。
「それは兎も角。大佐、ここに俺たちが来たのは」
「分かっている。男の名はショウ・タッカー。綴命の錬金術師だ。先方にはもう連絡をしてあるから、明日にでも向かうといい」
「あぁ、そうさせてもらう」
ほんの一瞬前とは打って変わって、これ以上ないというほどの緊張感が部屋全体を覆っている。
それもこれも三人の微妙な空気の所為、ということもあるのかもしれない。
「それに、我々も彼に用事があるのでね。同行させてもらうがそれでいいかな」
「邪魔しなければな」
本当のところでは彼等も、大佐のことを信頼してはいないのよね。と、同席していた中尉は思った。
重石となった沈黙が部屋を包む中、それを救うようにドアがノックされた。
襲撃された列車に乗っていたのは、鋼の二つ名を授けられたエドワード・エルリックとその弟のアルフォンス・エルリック、かの有名なエルリック兄弟だったのは、大佐から聞いて知っている。
だが、彼等の錬金術でも懲りなかった悪人どもは、駅でもかなりの悪態をついたらしく二人を出迎えた大佐が囚われた彼等を前にして
「今度は消し炭にするが」
とか何とか脅してケリはついたとかという話を、廊下で会ったハボックから聞いた後、
が彼に問いかける。
「なるほど。あの人らしいね。それでその大佐は今どこにいるか分かるかな」
こういう時は、大佐の居場所センサーは働かないんだな、などと問われたハボックは思ったが、そのまま彼の問いかけに応じることにする。
「あぁ、大佐なら今自分の部屋にいるんじゃないっすかね。鋼の錬金術師の兄弟と、何やら話し込んでるみたいっすけど」
何か用事でも? と聞いたハボックに
が、明日の出発のために最後の挨拶をねと答えると、
「とうとう帰っちゃうんですね、少佐ぁ」
と、非常に残念そうな声と泣きそうな顔で、まぁこれも冗談交じりだろうが、それでもかなり恨めしそうな空気を漂わせるハボックに、
の体が思わず後ずさる。
「いや。俺も南方司令部をそんな長期間空けるわけには……」
「いいえ、わかりますよ。えぇ。とっても分かりますよ。ですが俺たちにはですねぇ!」
逃げ腰の
に迫るように顔を近づけ力説しだした彼を何とかなだめると、彼は立ち話をしていたハボックと別れ、これからどうしようかと頭を掻いた。
「なら、しばらく待つか」
「どうぞ」
ドアの向こうから了解を得て
がドアを開けると、そこに居たのはロイだけではなかった。
「失礼しま……あ、先客でしたか」
執務室のソファに座っていたのは、甲冑を被ったの男と金髪の少年だった。彼等が、ハボックの言っていた『エルリック兄弟』なのだろうと
は思った。
ハボックに話を聞いてから随分待ったはずなのに、未だ話し中だったとは失敗したなと
は思ったが、やってしまったことは取り消せない。
「いや、構わない」
と、ロイの言葉を受けて
が部屋の中に入ると、その空気の余りの重さにズシリと胃が冷たくなるのを感じて、思わず気後れしてしまう。
何か込み入った話でもしていたのだろうか。部屋の空気は重く、それを察知した
が手短に用件を済まし、さっさと退散する方針に出る。
「それでは、マスタング大佐。本日付でここでの仕事を終え、明日は南方司令部に戻ります。今まで、ありがとうございました」
「今までご苦労だったな(といっても、お前の探索は余計なお世話だったが)」
「いえいえ(もっとゆっくりしたかったのですがね)。それでは、失礼します」
そう言って足早に部屋の外へ出て行こうとするその後ろから、少年特有の変声期前の高い声が
を呼び止めた。
「なぁ。あんたもしかして『弦の錬金術師』の
・
じゃないのか?」
と。
「兄さん?」
不思議がる声音と、きなり失礼な言葉を発した兄に対する戒めが混在したような声を出す金属甲冑を被った男、こちらも声からして少年だろうか。
呼び止められて振り返ると、その視界に映ったもので、
は圧倒されるかと思った。
だが、何とか平穏を保ち
「そうだけど、君は?」
と聞き返す。いや、実際はそう聞き返すだけで精一杯だ。
「俺は、エドワード・エルリック。鋼の錬金術師だ。あんたに聞きたいことがある」
力強い声で言われたが、
はそれを聞いてはいなかった。
何故なら光が……
――光が……闇が、光って……
しかし、今『ソレ』を見るわけにはいかない。ここに居る人間に、不振な目で見られるのだけは避けたかった。
だが体がいう事をきかず、しかも不測の事態とあって
は焦った。
――参ったなぁ
まさか彼等が、向こうに行った人間たちだったとは、全くの予想外だったのだから。
そして、衝撃から覚めた
を待っていたのは、金色の世界。
いや、正確には目の前に『彼』が立っていただけなのだが、何故か
はそう思った。
そして、その彼は特に
の様子を気にした風でもなく、問いかけてきた。
「あんたさ。錬成陣も描かず、両手を合わせることもしないで錬成するって、本当か?」
と。
衝撃に囚われていたのは、人が感知できないほどの短い時間だったが、それでも
は一瞬、彼が何を言っているのか理解できなかった。
ポカンとしていると、少年が再び聞いてくる。
特に不振に思った様子もないようだった。
「あんたが、錬成陣も手を合わせもしないで錬成する
・
なのかって、そう聞いてるんだ」
鋭い目で睨むように問われたが、質問を質問で返すのはどうかと思ったが、とりあえず尋ねた。
「だったらどうなの? あと、そっちの『彼』は?」
「アルフォンス・エルリック。俺の弟だ」
これが、あの有名な鋼の銘をもらったという有名な兄弟か。と、弟と紹介されたアルフォンスに視線を向けながら
は思った。
「の割りには、随分……」
ピクッと、その続きの言葉を察知したエドが、
に食って掛かる。
「今なんて言おうとした?! えぇ! なんて言おうとした!」
「兄さん落ち着いて!」
と、すぐにソファから飛び上がって暴れる兄を取り押さえるアルに、
が笑う。
――離せよッ!
――兄さん!
「いや、随分とデコボコな兄弟だなって思って」
この
の言葉は、エドが予想していた言葉とは大きく外れたらしく、弟の腕を振り払うこともせず呆然とした表情
を見上げている。
そして彼の次の言葉に、彼等の表情が凍りついた。
「持って行かれたの、弟君の方が多いんだなって思って」
何気ない台詞の中に、強烈に真実を見抜いた言葉が混じっている。
持っていかれた。と。
それは、『人体錬成』をしたものが身体的精神的に、何かから何かを負わされたことを表した言葉。
それは、禁忌とされているもの。
この国が始まって以来いや、歴史上誰も成功してはおらず、その代償は肉体の提供とも精神の提供とも言われているが、詳しいことは分かっていない。
ある者は体を、ある者は記憶を、そしてある者は内臓と、その部位はバラバラだが、必ず何かしらの肉体及び精神の代償を支払わされるという、禁忌中の禁忌とされる錬金術。
それが人体錬成だ。
そしてこの二人が、ソレを行った錬金術師であるということは、この部屋では当事者たる兄弟、そしてロイとそれに準じるリザだけの筈だった。
なのにコイツは……
やがて、衝撃の呪縛から解けたらしいロイが、彼に厳しい表情で言葉を発する。
「
、それは……」
だが
も心得たもので、分かっているという風に頷くと、こう言った。
「分かっていますよ。人体錬成は禁忌の錬金術。ですから、このことは他言無用ですね」
沈黙が降りた。
今度は、先ほどとは全く違う種類の沈黙が。
先ほどの沈黙を例えで表すと、ギスギスとしたトゲのあるような感じの空気だった。
だから、無表情ながらも、二人は高度なじゃれ合いをしているかのように思える余裕がまだあった。
だが今のそれは、全く異なる代物になっている。
ねっとりとした、闇とも言うべきなのだろうか。
少佐の、三人の間に横たわって隠されていた真実を引っこ抜くかのように発せられた言葉に、兄弟の気まずさと怒りその他複雑な感情、マスタング大佐の衝撃が部屋を襲っている。
なのに、大佐に答えたときの少佐の顔は、まるで……
と、四人の外側にいるリザは、例え闇と思えるような部屋の中であっても注意を怠らない。
「そうだよ。俺たちは、人体錬成を、したんだ」
義手である右手で作った拳に力を入れ、挑むような目で
を見ながら一言一個区切るようにエドが言う。
だが、
は首をゆっくり振って
「そんなんじゃ、俺の情報を聞き出すのは無理だね」
と言った。
「なんでだ。俺はちゃんと話しただろ!」
つかみ掛かる勢い身を乗り出すエドに、事の成り行きを見ていた男が彼の意識を自分へと向けさせた。
「無駄だ鋼の」
「大佐?!」
「は、お前たちが人体錬成を行ったことを見抜いているだろう? 既に知られた情報を二度繰り返したところで、それは交換の価値を成さない」
厳しい表情のまま告げられたロイの言葉に、エドは悔しそうな表情を隠さなかった。
「これ以上、何を話せって言うんだ」
「そうだなあ。君達が錬成しようとした人物のことを教えてくれたら、俺も少しは考えよう」
「なっ!?」
エドと、その弟のアルは絶句したまま固まってしまう。
錬成したとき、何を見たのかとか真理の扉はあったのか等を問われるものだとばかり思ったのに。
自分たちの話せる範囲なら、話すつもりだった。
何故なら、自分たちの最終目的は体を元に戻すことだから、それについて何かヒントがあるならば、どんなことでもやると決めている。
なのに、突きつけてきた条件が『ソレ』だと?!
凍りつく二人を、冷静な目で見つめていた
だったが、やがて二人から何もないと思ったのか、肩を小さく動かしてこれ以上待てないということを示すと
「ってことで、君達が話す気がないなら、俺はこれで」
と言って踵を返し、部屋を出て行こうとする彼の後ろから、エドが呼び止める。
「まてよ」
だが、それ以上の言葉が彼の口から出てくることはなかった。
余りの怒りに、言葉が上手くまとまらないのだろう。
その証拠に、握られた鋼の拳は今にも壊れるのではないか。そう思えるほどに震えていた。
そのとき、沈黙を破って言葉を発したのは、誰でもないこの部屋の主であるロイだった。
「。少し悪趣味が過ぎはしないかね」
問われて
は、この痛い空気の中すっ呆けてみせる。
「そうですかね」
「」
重ねて
の名を、厳しい目で言うと彼は肩を軽くすくめて
「ですが大佐。錬金術師が、自分の錬金術を簡単に話すものですかね」
それは、もう一つの事実だった。
錬金術師は、その方法や理論をオイソレと簡単に他人に、下手すれば身内にすら話すようなことはしない。
そして自分の発想を書き止めたメモは、他人には解読不能な暗号を使ってメモをしたりする習慣がある。
例えれば、そんなメモの取り方をする人物としては、そこに居るロイ・マスタングの名が挙がるだろう。彼もまた、そんな暗号を使ってメモをしている一人だからだ。
正論を言われ、ロイの言葉が詰まる。
それを考えると、今回彼等がここに来た目的である綴命の錬金術師、ショウ・タッカーに資料を見せてもらえることは、奇跡に近いともいえた。
「それに俺の錬金術は、上の許可が無いと使えないのは大佐もよくご存知でしょう?」
と言って兄弟をに向き直ると、
「というわけで、話せないなら別にいいよ。俺も君達には話さないだけ。それに俺が困ってるわけでもないからね」
と冷酷とも取れる言葉を最後に、部屋を出て行った。
――昨日挨拶したけども、とりあえず最後の挨拶して、と。
後は駅に向かい、南方行きの列車に乗るだけ。
そう思ってカチャと扉を開けて
は、らしくない驚きの声を上げた。
開けた向こうに、沢山の人がいて驚いたのである。
「帰らないでください、少佐ぁ」
そう言って泣きついてきたのはロイの部下達。
「なッ……な、なぜ?」
と、珍しくどもって聞く
に、動揺がはっきりと浮かんでいる。
余りにも真剣な顔に、剣幕に、珍しく気圧されたのだ。
「あなたが帰られると、一体誰がマスタング大佐を見つけるんですか。だから(俺達のためにも)帰らないでください!」
思いっきり自分勝手な言い訳を押し付ける部下達。
その首謀者は、誰かわかった。
が今日帰ることを知っているのは、報告しに行ったマスタング大佐とその場に居合わせたホークアイ中尉、だけではない。
その前に一人、話している人物がいたことを
はすっかり失念していた。
――……ハボックか!!
あまりの衝撃に、思わず呼び捨てにしてしまったことを後悔しつつ、
は彼等の言い分を聞いた。
「すでに南方司令部には許可を頂きました。というわけで、当分の間は帰ってこなくて良いそうです」
「書簡は後日届きますから〜」
呆然と立ち尽くす
をよそに、ニコニコしながら告げては帰っていくロイの部達。
なんという手際の良さなのだろうか。きっと昨日、あの後ハボック少尉が吹聴しまくったに違いない。
それで青ざめた部下たちが、半ば自主的に連携していったのだろう。
――まったく、あなたのサボりのために皆苦労してるんですからね!
と、その『苦労』のとばっちりを今までも受け、そしてこれからも受けることになる未来を予想して
は心労を覚えた気がした。
大体、滞在延期理由欄に一体何を書いたのだろうかという疑問が頭をよぎったが、既に許可をもらったのなら致し方あるまい。
嵐が過ぎ去った後のような呆気に囚われて
は、肩の力が抜けていくのを感じていた。
だがいつまでも部屋の出入り口付近で荷物を抱えて立っているわけにはいかないと、まとめた荷物を再び部屋に入れると彼は私服に着替え、突然空いてしまった時間を趣味に使うことにした。
彼は街をブラブラ歩くのが案外好きで、よく行く店では顔なじみなることも珍しくない。
東部に来てまだ二週間だが「。今パンが焼けたよ。食ってくか?」などといった声がよく掛るようになっていた。
そんな中見つけた、一軒の古本を扱っている店が
のお気に入りだった。
そこに居ると時間を忘れる。いつまでも本を読んでいられる。
過去のこと、現在のこと。そして錬金術のヒントも得られる。
南方にもお気に入りの本屋はあるが、ここはそこに匹敵するほど居心地が良かった。
だけどそこで、あの二人に再会するとは、
は予想できなかった。
昨日あれほど意地悪なことを言ったのだから、姿を見つけても声はかけてこないと思っていたのも、事実。
「兄さん。前」
先にあの人を見つけたのはアルだった。
その声に顔を上げたエドは、店から出てくる昨日とんでんない要求をしてきた人物の姿を捉えた。
「
・」
思わず手に力がこもるのを、エドは自覚する。
そりゃそうだ。
昨日言われたことは忘れない。忘れるものか。
「ども。偶然、かな」
首を傾げて自分の言葉に疑問符をつけながら言う
に、エドが答える。
「あぁ、偶然だよ。昨日はどうも」
声にトゲがあるのは仕方ない。
そりゃそうだ。
あんなこと言われて、笑顔でなんか接せられるものか。
「あんた、昨日聞いたよな。俺たちが錬成したのは誰か? って」
「聞いたね」
決めていた。
彼に話す、と。
そうだ。
元の体に戻るために、なんでもするって決めたんだ。
だが、土壇場になって声が詰まった。
「兄さん」
「ここは立ち話には向いてないな。時間も遅いし、飯でも食いにいくか?」
そう言って、二人の反応は確かめずに
は歩き始める。
まさか譲歩してくるとは思わなかったエドは一瞬ポカンとしたものの、黙って彼の後を付いていった。
そばで二人を見ていたアルは肩の力を抜いて一息吐くと、ヤレヤレと思いながら足を踏み出し二人の後を追っていった。