朝起きると、腕の中が空いていた。
どうやら先に起きたエアハルトが、ラリーの腕からどこかに行ってしまったらしい。
その代わり、とでも言いたげな様子で体に掛かっていたのは毛布だった。
そして誰かの視線。
「起きたか」
その声がした方へ顔を向けると、そこにドアを開けた相棒とその隣に佇むカイの姿があった。
そこでようやく回ってきた頭で
「あ、あぁ。ところで相棒、昨日の話だが……」
と言って、エアハルトの隣で一切の気配を消して立っているカイに視線を向けた。
向けられたカイは少し頷いて、
「部屋」
と言うとエアハルトがそれを否定した。
「その前にシャワーとメシだ」
「いや、シャワーは浴びるが……」
メシはいい。
そう答えようとしたラリーの言葉を遮ってエアハルトが言う。
「昼から食えなくなっても知らんぞ」
その言葉でラリーは、今日の予定の全てを知ったと言っても過言ではかった。
「了解、相棒」
言われてしまえば自然に従うようになっているのも、自分が元二番機だからか。
そして、先に二人で朝飯を食ってしまっていたということは、カイが正ににあの時の自分のポジションに近いところにいる、ということなのか。
そのことをまざまざと見せつけられた気がして、ラリーは少し落ち込んだ。
確かに自分がガルム隊の二番機だった時間はほんの数ヶ月でしかない。
何年になるか知らないが、実際カイと顔を合わせている時間が圧倒的に長いのだろう相棒に、こんな気持ちを抱くのは不条理というものだとラリーは思う。
が、それでも
「朝一から見せ付けられるとはなぁ……」
と、食堂へと足を向けながらボヤキが出てしまうのだった。
朝の日差しで照らされた宿舎の廊下を歩いていると、エアハルトが不意に
「分かってると思うが、こいつは俺と違ってちゃんと話さないと伝わらないからな」
と言った。
それにカイが
「うん」
と力なく頷くその姿に、ラリーは一抹の不安を覚えた。
――大丈夫か? コイツ……
だがカイは、相手が理解できるような会話が出来る、ことはできるらしい。
言葉が少ないのは、カイの短すぎる単語を理解できるエアハルトが相手だからであり、現に自己紹介のときはラリーが理解できる言葉を並べていたじゃないかと思い直す。
「あと、俺は基本話に加わらないからそのつもりで」
どうやらカイに丸投げする方向のようだ。
そしてエアハルトが言葉を濁した答えがこの先にあるのだと思うと、期待と不安が入り混じったような複雑な思いがよぎる。
一体この先に何があるのか。
それは、この二人について行かないと分からない。
やがてカイの足が止まり
「ここ」
と短く示されたカイの部屋の前に立ってラリーは、自分の手が無意識に握り締められていることを自覚した。
この先に、相棒が濁した『答え』があるのか。と。
そしてドアが開かれ、カイが慣れた手つきで電気をつけた指で、そのままある一点を指した。
「あれ」
と言われたラリーは最初、カイが何を言っているのか分からなかった。
だが彼の指の先を視線で追ってみて理解した。
エアハルトと同様か、もしくはそれ以上に私物が少ないカイの部屋にあって唯一と言っていいかもしれない『余計な』物。
それ故にとてつもなく目立つもの。
指差された先にあったものは、ある一つの模型。
その模型は、ラリーから言葉を失わせるのに十分だった。
「入るならさっさと入ってくれ。廊下は寒いんだ」
廊下を流れる隙間風に体を晒しているエアハルトが言うが、それでもラリーは動くことができなかった。
「……モルガン」
ようやくラリーから言葉が出たのは、三人が部屋に入って数分が経っていた。
何故モルガンの模型を彼が持っているのか、そもそも何故こんなものがこの部屋にあるのか。
聞きたいことは山ほどある。
だがそのどれもがこれもがまともな言葉にならない。
それほどの衝撃だったのだ。
「なぜ、君があれを……」
喉がカラカラになった頃、ようやく出た声でそう問いかけておきながらラリーはある可能性に突き当たっていた。
その全ての理由は、もしかしなくても……
消えたラリーの言葉の続きを読んだカイが、頭を小さく動かし頷く。
その行動が、その先の言葉の全てを物語っている。
やがてラリーが望んだ答えを、彼は告げた。
「俺は、かつてベルカ戦争の裏で暗躍し、『国境無き世界』を作ったアントン・カプチェンコの、息子です」
無表情のまま静かに語られたその言葉に感情は乗っておらず、変わらない無表情と相まってかなり冷たい印象を受ける。
だが、告げられた言葉の内容はやはり予想通りの衝撃的な事実だった。
そのギャップに、ラリーは思わずベッドに腰掛けているエアハルトを見た。
しかし宣言通り彼は話に加わることはせず、ただ静かに肩を竦めるだけだったが。
「お前が、あの……」
相棒の援護を期待していたわけではなかったが、静観を決め込んだエアハルトが言葉を挟んでくることはなく。
視線をカイに戻して呟くように言うその声は、ガラにもなくかすかに震えていた。
それにしても、あの兵器類にしか興味を示さないと思われた男に子供が居るという事実。
ラリーには、そちらの方が衝撃だった。
自分にモルガンを与え、V-2を王と言い、それを育てたことがあの組織を作った理由だと言った男に妻がいて、おまけに息子が……
いや、あの時すでにそういう家族がいてもおかしくない年だったことは確かだが
――それにしても、本当に居たとはな……
だがここで一つの疑問がラリーの頭の中によぎった。
ならば何故カイはエアハルトに懐いているのか。
いうなれば『サイファー』は、彼の父親の『仇』である。
それが何故。
ラリーの視線が、自然と棚に鎮座しているモルガンとカイを交互に見やる。
その模型は何も塗装されておらず、片方の羽が赤く塗られてもいなかったが、ソレはたしかにモルガンだった。
そして、そんなラリーの疑問などカイにはお見通しだったのだろう。
彼は小さく頷くことで、ラリーのその疑問に答えた。
「それはもう、いいんです」
カイの方を向き直ったラリーの代わりに、今度はカイがモルガンの方を見やる。
「あの人は母にも、そして俺にも興味がなかった。あれだけが、あの人と俺の唯一の繋がりです」
その模型に、無感情な視線を向けて言葉を続け
「俺がここに居るのも、あの人が『兵器以外を作ってみたくなったから』らしいですから」
と、サラっととんでもないことを言った。
「なッ……」
その先を口に出すことは、ラリーにはできなかった。
カイの、変わらない無表情と共に告げられた言葉に絶句したと言ってもいい。
ラリーはしばらく何も言うことが出来ず、ただ沈黙と時間だけが無作為に過ぎていく痛いくらいの沈黙の帳。
その帳を、言葉と共に動かしたのはカイだった。とは言え、愛情も何も無い余りにも冷めた話だったが。
「母に聞いた話なので、その話が本当かどうかは俺は知りません。物心ついてしばらくした頃には、既にノースポイントにいましたから」
恐らく、カプチェンコの話は本当なのだろうとラリーは思った。
しかしならば何故……
「どうしてカプチェンコは、君にあれを?」
驚きの衝撃で声を震わせながらラリーが問いかけると、カイは小さく首を振って
「分かりません」
と答えた。
「あの人が、何故あの模型をくれたのかなんて理由は、俺には分かりません。ただの気まぐれだったと、俺は思っています」
ラリーは、カイがあの男のことを『あの人』とは言うが『父親』とは呼ばないことに気が付いた。
いや、もしかしたら呼べないのかもしれない。
それは、彼との唯一の思い出の品のことを、『繋がり』と言った言葉に置き換えたことからも想像できる気がした。
それにあの模型がなければ、あの男とカイの関係を一体誰が想像できるだろう。
知的な目や雰囲気、感情がないかのように見える冷静なところを除いて容姿が全く似ていない父と子の関係など、誰も想像できないに違いない。
掛ける言葉を失ったラリーに対し、カイが言葉を続ける。
「だから、アレに乗ったフォルクさんに、俺は興味を持ったんです」
と。
「師匠は、一度だけフォルクさんの名前を……」
「あ、ラリーでいい」
戦場以外の場所でも、どちからというとラリーの方がしっくりくる。
「一度だけ、師匠からラリーさんの名前を聞いたことがあるんです。でもその時はモルガンのパイロットだったなんて知らなかったから……」
そう言ってカイがエアハルトをジッと見る。
その視線を受けて彼は、話さないわけにはいかなくなったことを察して、ここで初めて口を開いた。
「言えるわけないだろう」
蒸し返すなといわんばかりのエアハルトに、カイの顔が少しだけ不満気になる。
「そういう目で見るな。エクス、傭兵の傭兵たる所以はなんだ? 言ってみろ」
「……契約」
「そういうこと」
そうだ。
傭兵は何よりも契約を重視する。
例えそれが、歴史から消えた戦争の契約であったとしても、守らねばならない沈黙というものは確かに存在している。
「で、俺に興味を持ったって訳だ」
ラリーの言葉にカイが頷く。
途中で抜けたラリーなら、その契約に縛られることも無い。
しかしながらその話の続きは、不意に遮られてしまった。
『えーテステステス。今朝もヴァンがお送りしマースありがたーいお知らせだ。耳そばだててヨーク聞け?』
『本日の呼び出し。ファイ、エクス、ピクシー、ハービット、オメガ隊。さぁ、お遊戯の時間だぜ? とっととブリーフィングルームへゴーだ!』
陽気な男の放送で、その話はそこでお開きになった。
訓練のためにサンサルバシオンに移動したその日。
組まれた訓練が終わったラリーは、吐きそうになりながらハンガー前のベンチに倒れこんだ。
「うぅ……」
最早うめき声しか出ないラリーの隣で、その『教官』を務めたカイが特に疲れた様子も見せず無表情のまま佇んでいる。
――まるで観察されてるみたいだ
人をジッと見つめるカイの視線に、あの男の面影が宿っている。
だが、彼があの男のように冷たい人間かどうかは別問題だとラリーは思う。
何故なら、コックピットから動くことができなかったラリーを抱えてここまで運んできたのはカイだからだ。
だからこの観察とも取れる視線も、彼なりにラリーを心配しているのだろうが、如何せん感情が欠落した顔からは彼が何を考えているのか全く読み取ることができない。
表に出ないカイの感情。
表現の仕方を知らないのかと思えば実はそうではないらしく、これは彼の根本的な性格らしいとラリーはエアハルトから聞いている。
――ま、あの男は本当に冷たい男だったからな
と、ラリーはあの組織にいた頃の、あの男の言動を振り返って思う。
第一、あの男は己の家族にまで『あんな事』が言えたのだ。
相当な冷血漢であったことは間違いない。
――家族……か
そこまで考えてラリーは、これ以上この話のことを考えるのは止めることにした。
カイがサイファーに懐き、全て理解した上で慕っているのだから。と。
代わりにラリーの頭によぎったのは、先ほどの訓練の内容だった。
まさか最初からF-4を使うハメになるとは、流石のラリーも全く予想していなかった。
お陰で頭だけではなく、全身がふらふらだ。
初期訓練で使われる練習機からとはいかないまでも、せめて亜音速機から始めるものだと思っていたラリーにとって、それは全くの誤算だった。
「あいつは……」
そう言っただけで吐き気がして言葉を止める。その続きを、カイが受け取って言った。
「上」
空の上と言いたいらしいその言葉を受け取って、ラリーは空を見上げた。
その空では、未だ四対一の模擬空戦を行いながらそのリボンのマークを揺らしているサイファーもといファイことメビウス1と、その対戦相手の軌跡が見えた。
その軌跡を目で追いながら
――相変わらずだな、相棒
記憶が逆流してくる。だがそれは地上から見ている今の自分の視点ではなく、彼と共に飛んでいた同じ空に居た頃の、懐かしくもほろ苦い記憶。
「水」
不意に声が掛けられ視線を地上に戻すと、置かれたペットボトルが目に入ってきた。
どうやらカイが持ってきたらしく、彼も同じ物を飲んでいるのが目に入った。
「あ、あぁ。ありがとう」
「良かった」
お礼を言うラリーと、カイの唐突な内容の言葉が重なった。
そしてカイの言葉を、ラリーが沈黙することで先を促す。
「だからラリーさん」
端折られた言葉に、ラリーは内心盛大につんのめっていた。
何が言いたいのかよく分からない。そもそも、その『だから』という言葉がどこに掛かってるのかも不明だ。
あらゆる意味で不明すぎる言葉だが、それでも
「ありがとう」
相変わらずな無表情だが、カイから感謝されているのは間違いなさそうだった。
しかしながらラリーは、カイが自分のどこに感謝しているのかまた、何に感謝しているのかについては、相変わらず要領を得ない彼の言葉からは、全く想像することができない。
今朝の件のことかもしれないし、全然違う件で言ったのかもしれない。
そんなカイの、空を掴む感謝の言葉に
「あ……あぁ」
と答えるしか出来ないラリーが、未だ空にいる彼に助けを求めたのは言うまでもない。
――相棒、通訳……通訳してくれ!!