AceCombat -Zero-04
Land Scent Sky Odor
 一息小さく息を吐いて肩の力を抜くとラリーは、今度は自分からエアの顔を引き寄せてその頬に唇で触れ、サラリと揺れる銀糸の髪に手を絡ませて軽く引っ張ると、彼はそれに応じるようにして背中をラリーに預けてきた。
 そしてラリーもまた、それが当然のことのようにスッと腕を回して背中を預かる姿勢を取る。
 そんな自分の無意識の行動に気付いて、ラリーは改めて思う。
 何年離れていようが、自然と体は動くものだ、ということに。
「何を苦笑いしてるんだ」
 ラリーの微妙な心境の変化を読み取ったのか、振り返ったエアハルトが不思議そうに聞いてくる。
 逃げられないのは分かっているが、それでもラリーは少し抗うことにした。
「いや、久しぶりにAK以外を……」
「違うだろ」
 誤魔化そうとしたラリーの言葉を遮って、エアハルトが断言してきた。
 そして、ラリーを胡散臭そうに睨むその目は、正に獲物を逃がさない鷲の目そのものだった。
 10年前と変わらない視線に思わず苦笑いがもれる。
 途端不機嫌な表情を隠さないエアに「まぁ、な」と答えラリーは、観念したようにその苦笑いの理由を正直に話した。
 話している間中、エアハルトの真っ直ぐに視線を受けてラリーは少しくすぐったくなった。
 変わらないその視線に、10年前にはなかった思いも、そこに……
 やがて話を聞き終えたエアハルトが満足したような顔になると、本格的にラリーに背中を預けてしまう。
「サイファー?」
 と思わず昔の名前で問いかけると、案の定訂正の言葉が返ってくる。
「今は『ファイ』だ。慣れないと咄嗟のとき間違うぞ」
 と頭だけラリーに振り向けて言う。
「すまん。……ファイ」
 慣れない言葉に訂正して答えると、満足したのかエアは改めてラリーに背中を預けた。
 そんなラリーの腕の中にいるエアハルトが腕を伸ばしてテーブルに置かれた飲みかけのグラスを取り、一口ずつゆっくりと飲んで言った。
「誰かに背中を預けて飲むのも、随分と久しぶりだな」
 本当に心穏やかな時以外では飲めない『飲み方』だからこその言葉というのが分かる。
 恐らく自分の前でしか見せないのだろう、その変わらない飲み方にラリーの心に思わず懐かしささえこみ上げる。
 そして今の発言は、ラリーと離れてから今までの間、彼が背中を預ける奴は居なかったとでも言うような。
――居なかったんだろうな、きっと
 エアの発言に隠された思いをラリーが察し、間近になった彼のうなじに不意をついて唇を寄せると彼は、ラリーにしか聞こえない声で何かを言った。
 目的は分かる。だけど今は
「カイがいる」
 と、遠まわしで断った。しかしそれは敢えなく撃墜される。
「あいつは緊急アラートの音か、作戦時刻前にしか起きない」
 カイの就寝特性を知り尽くしたエアハルトの言葉に、思わずラリーは口笛を吹きそうになった。
「よく知ってるもんだ。さすがは『師匠』だな」
 途端、覿面に嫌な顔をして
「お前までそういうこと言うのかよ」
 と、冗談か本気か落胆の色を隠さずにエアが告げてくる。
 これも、今日一日で学んだこと。
 余りにも近くにいると、相棒の色々な顔を見ることは出来ない。
 だから少し離れた意見をしてみる、という意地の悪い学習だったがラリーはその方法を実践してみることにした。
 もっと彼の感情を見てみたいという思いがそこにある。
 というより、カイは天然でやっているためどうか知らないが、スカーフェイス1であるTACネーム『NEMO』、ルーア・ルッソーニはどうやらそれを楽しんでいる節がある。いや、楽しんでいることは明らかだろう。
 でなければ、エアがあんな過剰に反応するはずがない。
 しかしエアもまた、ネモを嫌っているのは確かだろうが、そこまで心底嫌っているわけではない、という複雑な印象をラリーは受けた。
 どちらかというと、自分で面白がるなといった軽い拒否反応、といったところか。
 そしてここにきてラリーは、あまり感情を表に出さないと思い込んでいた相棒への評価を、改めて見直さなければならないと思った。
 それほどに、ISAF内で見せるエアの感情は豊かだった。
 そしてそれを10年前の自分では引き出せなかったことが、ラリーの心に軽く黒いものを落とす。
「冗談だ」
 と言うと、エアは少しふてくされた表情で
「お前に言われると、少しばかり堪える」
 と不満そうに言った後、今度は違う方法でラリーを誘う。
 そしてラリーもまた、今度は断る理由が見つからなかった。
 何故なら、最初に彼の誘いを断ったのは自分なのだから、相棒が望む以上、ここはコレで妥協するしかなさそうだと思った。
 カイがベッドで眠っていることも、最早ラリーには関係がなくなっていく。
 不思議なものだと、ラリーは思った。
 さっきまで少しは気にしていたのにな。と、心のどこかが苦笑いをこぼす。
 だがラリーの口は全く別のことを言っていた。
「じゃ、よろしく頼む。相棒」
 その言葉に、ニヤリとエアが笑った気がした。




 髪に手を差し入れて引き寄せる。
「上手いな、相変わらず」
 声が上ずっているのを自覚してラリーは言った。
 それに対する声での答えはなかったが、返答はあった。
 いきなり襲ってきた急性な快楽に、思わず髪を掴んでいた手に力がこもる。
「エ……ッ!?」
 名前を呼ぼうとして失敗した。
 そして頭の中が真っ白になる。自分ではならない感覚で、こればかりは他人にやってもらわなければなることはない。
 しかし、何もかもが『自分のタイミング』に近いのに、何故こうも……
 そんなラリーの疑問などお構いなしに、そこから顔を離したエアがゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ後、小さな声でポツリと
「オカ臭い」
 と言った。
 だがラリーは夕飯を食う前にシャワーを浴びてサッパリしており、朝着ていた服は早速洗濯機兼乾燥機に放り込んでいて、今は支給された服を着ているからそれほど『臭う』ということはない。
 つまり彼のこの言葉は、ラリーに染み付いた土と硝煙の匂いを指しているのだろう。
 だが熱を吐き出したラリーは「そんなに匂うか?」と、先ほど言われた『ヒネクレ者』として鼻に自分の腕を近づけ臭いを嗅ぎ、とぼけてみせる。
 疲れてはいるが、それ以上に今は少しでも多くこの余韻を楽しみたかったし、それに何よりも、エアハルトと二人きりで話がしたかった。
 それに久しぶりに相棒にしてもらったことだし、な。
 と、カイがベッドで寝ていなければ相棒の口ではなく、最後までやっていたかもしれないと、ベッドの縁に預けていた背中を少し浮かせ、服を着込みながら改めてラリーは思った。
「そうじゃない。土の匂いがするって言ったんだ」
 分かってるくせにと、体を起こしたエアが手で唇を拭いながらラリーを睨み、答える。
 だがラリーには、そんなエアの顔など何処吹く風だ。怖いとは思えない。
「分かってるよ。そしてそういうお前は、相変わらずの空の匂いだ」
 と言った。
 これは本当のことだ。
 彼から漂う航空燃料の微かな匂い。少なくとも今、体に染み付くほど飛んでいないラリーにとって、それは懐かしい香りだった。
「そりゃなぁ」
 その言葉に納得と苦笑いを含めてエアが答える。
 そんなエアハルトの肩に手を回して引き寄せ再び背中を預けさせると、今度はその髪に顔を寄せその匂いを確かめる。
 彼は、あの時から空を離れていないのだからその匂いが染み付いているのは当然のことで、その匂いが懐かしいと思える自分は、やはりつくづく空の人間だと思い知らされた。
 何よりも、エアハルトの傍が落ち着くのだ。
 地上でも上空でもそれは関係なかった。こればかりはラリーにもどうしようもないことで、仕方がないことだと半ば諦めている。
 そして、どうやらカイも似たようなものを感じているようだが、エアのあのカイへの本気の中に冗談を交えた、また冗談の中に本気が混じっている拒否からして、恐らく自分の方が近い位置にいるのだろうことは確かだと思った。
 第一これまで彼に散々触れてきたが、一度も拒否されたことがないのだ。この差は大きい。
 ま、その分相棒の感情ある側面を見ることが出来なかったわけだが、ここISAFには彼の感情を引き出す人間が、天然と意図的という違いはあれど少なくとも二人確認されている。
 それにそんなところで勝手に競い合っても仕方のないことだがとラリーは思い、カイの事を考えた続きとして、昼間の疑問の一つを解消してみることにした。




「ところで相棒」
「ん?」
「気になることは複数あるんだが、その中の一つ、いいか?」
 そんなラリーの問いかけに答える代わりに、彼は首を僅かに動かすことで先を促す。
「カイは、何故お前がサイファーだと知っているんだ」
 これは、ラリーが一番最初に聞こうと思っていたことだ。
 他にも疑問は多々あるが、これだけはまず最初に解消しておきたかった。
「その答えは、こいつの部屋に行けばわかるさ」
 と、二段ベッドの下段で眠るカイに視線をやってエアが答える。
「部屋ねぇ」
 答えを濁されたラリーは少し面白くなさそうに言うが、
「朝、時間があったら案内してもらえ」
 と告げた言葉に、どうやらエアハルトはこの件に関して自分から答える気はないようだとラリーは思った。
 こうなってしまっては、相棒から答えを引き出すのは難しいだろう。
 ここは折れるしかなさそうだと諦めると、
「ウィルコ」
 と、了解以上を示す言葉でラリーは答えた。
 それは必ず行うことを意味し、聞いているか聞いてないか分からない『了解』である『ラジャー』よりも重い言葉だ。
 そしてそんな答えをよこす元二番機に背中を預けたまま、ラリーにとっての元一番機であるエアは腕を伸ばし、テーブルに置いた今度は水の入ったグラスを取り、再び一口ずつゆっくりと飲む。
 交差したあの一瞬、あれから今に至る自分の人生のことを思えば、今こうして再び相棒の隣に居ること自体考えられないことだ。
 運命とは皮肉だなとつくづく思う。
 そして其処から逃げられないらしいことも。
 そんなことは、とっくに分かっていたはずなのに。
「何を考えている」
 その言葉で現実に引き戻される。
 そして尋ねた当の本人は、視線を少なくなったグラスの水の中に落として黙ってラリーの返事を待っていた。
「いや、何も」
 と誤魔化してみるが、効果がないのは分かりきっている。
 この手のことで、エアが追及をやめることはない。
「お前のことだ。どうせ運命だ、とか複雑なことでも考えているんだろう」
 お前の考えていることなどお見通しだ、とでも言わんばかりのエアの言葉に、ラリーは心をつかまれたような感覚になり、思わず体が揺れた。
 そしてその動揺を見逃すほど、かつては円卓の鬼神と呼ばれ、今はリボン付きの死神と呼ばれる男は甘く無い。
 ラリーは更なる追及を覚悟したが、思いのほかアッサリとエアは引き下がる。
「ま、いいさ」
 相棒の、これまでにない反応に思わず呆気に取られる。
「引いた、な」
 と驚きを込めて言うと
「あぁ。先の戦争で、引く事を覚えた」
 と答えてエアは、ラリーの体に更に背中を預けるようにして眠ってしまった。
「サイファー?」
 掛かる体重が増えたのを感じ取ったラリーは思わず昔の、呼び慣れたTACネームで呼んでしまう。
 だが本格的に返事がないのを確認すると、ラリーは小さく息を吐いた。
――結局、俺は相棒の隣から離れられないのか?
 そう自らに問いかけ、エアの手からグラスを取り上げテーブルに置き、その手で暖房のリモコンを持って設定温度を少しだけ上げると、明日、カイの部屋に行くことを再確認して、エアに背中を預け、眠りについた。
アトガキ
空の匂い、土の香り
2011/03/25
加筆 2011/06/26
管理人 芥屋 芥